年代
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出来事
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1979 |
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改革開放路線スタート |
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中国最初のバンド、萬李馬王楽隊が北京で結成される |
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1980 |
10月
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22・23日 天津の天津第一工人文化宮で開催された“第一回中日友好音楽祭”にゴダイゴが出演、これが中国で初めて行われたロックコンサートであった |
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1981 |
8月
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アリスが北京の北京工人体育館で日中共同コンサート“ハンド・イン・ハンド 北京”を開く。影響を受けた李力や王勇は、コピーバンド・阿里斯楽隊を結成 |
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1983 |
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1984 |
11月
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崔健や劉元ら7人が七合板楽隊を結成する |
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中国最初のエレキバンド、不倒翁楽隊結成 |
この頃(1980年代)、老五などギター好きの青年は、小林克己のギター教材を見ながらギターを勉強した。洋楽は知り合いの外国人や海外から戻ってきた中国人からテープを聴かせてもらうことによって情報を手に入れていた |
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1985 |
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威猛楽隊(Wham!)が北京でコンサートを行う |
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1986 |
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1987 |
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黒豹楽隊結成 |
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ADO楽隊結成 |
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広州で張全復・解承強・畢曉世が新空気組合を結成。南方ロックの先駆けとなる |
10月
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雑誌『音像世界』創刊。中国で初めて多くの欧米ポップスを紹介。その中の「対話揺滾」は当時の中国音楽界に少なからずとも影響を与えた |
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西北風ブーム(〜1989)。崔健の「一無所有」が注目を浴びるようになる |
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1988 |
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竇唯が黒豹楽隊に加入する |
年末 |
唐朝楽隊結成 |
1980年代後半から1990年代前半にかけて登場したロックバンドの多くはハードロックに影響を受けていた |
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1989 |
年初
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呼吸楽隊結成 |
3月 |
崔健が北京展覧館でソロコンサートを開く。中国で初めての大舞台でのソロロックコンサートとなる |
春
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中国初の女性のみのロックバンド・眼鏡蛇楽隊結成 |
6月
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4日 天安門事件 |
7月
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1989楽隊結成 |
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ヘビーメタルバンド・面孔楽隊結成 |
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1990 |
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1991 |
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1992 |
5月 |
黄燎原・韓一夫共著『世界揺滾楽大観』発売。欧米ロックとポップスを紹介した本で、記事にはかなり不備な点があるが、洋楽の情報が少なかったこの頃は多くの音楽愛好者が購入した |
7月 |
崔健が神奈川県・横須賀で行われた“ぴあ20周年記念コンサート”に参加 |
9月 |
音楽雑誌『音楽天堂』創刊。のち、中国最初の音楽カセット付き音楽雑誌となる |
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1993 |
1月 |
『中国大揺滾』が発売となるが、レコード会社側の契約違反により、訴訟問題に発展 |
4月 |
崔健が日本の“アジアの声”文化交流に参加 |
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北京で最初のロックファッションの店が開店 |
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アメリカの南方派楽隊が北京でコンサートを行う |
5月 |
12日 指南針楽隊ボーカル・羅[王奇]が左眼を失明 |
6月 |
南方の音楽団体・音楽公社が、広州で“追億似水流年音楽会”を開く。この時、初めて王磊が表舞台に登場する |
10月 |
蒼蠅楽隊結成 |
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張元監督の映画『北京雑種(北京バスターズ)』製作 |
この頃、張有待がDJを務めるラジオ番組「新音楽雑誌」(北京電視台)がスタートした。北京で唯一最新の洋楽情報が入手できる手段として、多くの音楽愛好者がこの番組を聴いた
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この年を最後に、北京でのロックコンサートが事実上禁止となる
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1994 |
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1995 |
2月 |
19日 スウェーデンのRoxetteが北京でコンサートを行う |
5月 |
11日 唐朝楽隊のベーシスト・張炬が交通事故に遭い、死亡。享年25歳 |
8月 |
崔健のアメリカツアー。中国人で初めてアメリカ単独コンサートを開く |
9月 |
崔健が東京と大阪でライブを行う |
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1996 |
2月 |
13日 bjorkが北京でコンサートを行う |
2月 |
〜3月 黒豹楽隊などのいくつかのバンドが、音楽評論家・王曉峰の評論に激怒する |
3月 |
黒豹楽隊が東京で単独ライブを行う |
8月 |
5日 艾斯ka爾が山形県白鷹町で行われた“アジア国際音楽祭
in しらたか '96”に参加 |
8月 |
老五が唐朝楽隊から脱退し、ソロ活動を始める |
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竇唯が王菲(フェイ・ウォン)と結婚 |
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何勇がコンサート中に暴れてピアノを壊したほか、失言を発してしまい、レコード会社から活動禁止処分をくらう |
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1997 |
5月 |
張炬追悼のために製作したアルバム『再見 張炬』が発売 |
6月 |
蒼蠅楽隊の『the
fly>i』が台湾で発売され、過激な歌詞等から、国内外のマスコミの注目を浴びる |
7月 |
15日 羅[王奇]の麻薬中毒が南京で発覚し、公安に逮捕される |
この頃、最も中国ロックの将来を不安視する声が囁かれる(中国ロック、冬の時代)
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1998 |
1月 |
北京パンクの聖地・[ロ豪]叫倶楽部(SCREAM
CLUB)が開業 |
4月 |
蘭州で“98新音楽之春”コンサートが開かれ、盤古楽隊と舌頭楽隊が注目を浴びる |
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→北京ロックに飽きた人々が地方のロックに注目するようになる |
9月 |
黒豹楽隊が福岡の“アジア・マンス”に出演したほか、東京・大阪でライブを行う |
10月 |
8日 黒豹楽隊が北京オリンピックスタジアムでソロコンサートを行う |
11月 |
23日 AGAIN楽隊と李杰が“ユーラシアオデッセイ-3DAYS-”新潟アジア音楽フェスティバルに出演 |
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盤古楽隊の『慾火中焼』収録曲、「猪三部曲−圏」が物議を醸し出す |
パンクブーム となる。この頃、出現したバンドのほとんどはパンクバンドであったが、一方で「北京新声」と呼ばれる、ビジュアルや商業主義を意識したバンドが出現
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1999 |
1月 |
雑誌『通俗歌曲』がロック中心の雑誌となる |
3月 |
竇唯が王菲(フェイ・ウォン)と離婚 |
6月 |
雑誌『摩登天空有声音楽雑誌』創刊 |
11月 |
唐朝楽隊がCCTVに出演する |
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1989楽隊の解散 |
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9月21日の台湾大地震の被災者のために「既然我們是兄弟」を合唱 |
パンクブームも落ち着き、同年後半くらいからハードコアバンドが数多く出現
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2000 |
2月 |
CCTVの春節晩会にロッカーとして初めて臧天朔と朴樹が出演 |
7月 |
痩人楽隊が“FUJI ROCK’2000”に出演したほか、京都でライブを行う |
9月 |
16日 北京オリンピックスタジアムで“2000年現代音楽演唱会”が開かれる |
10月 |
8日 北京工人体育場で原創反盗維権大型演唱会が行われる |
10月 |
清醒楽隊が札幌で行われた“MIX2000”に出演 |
10 |
〜11月 四川省・成都の9バンドが、北京でライブを行う |
北京でのライブが規制緩和の方向へ進む
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2001 |
7月 |
29日 痩人楽隊が“FUJI ROCK’2001”に出演 |
9月
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24〜26日 挂在盒子上楽隊が名古屋、大阪、東京クラブクアトロで行われた“Wild
Wacky Party Asia−アジア・ガールズバンド・フェスティバル−”に参加 |
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2002 |
7月 |
〜8月 腦濁楽隊の日本ツアー |
7月 |
28日 銀色灰塵楽隊が『朝日新聞』朝刊の一面に取り上げれる |
8月 |
崔健による真唱運動スタート |
10月 |
GRAYが江沢民総書記と対面する。これは中国国家総書記がロックバンドや髪を金髪に染めた若者と対面した、初めての瞬間であった |
10月 |
13日 GRAYが北京でコンサートを行う |
12月 |
碎瓷楽隊の日本ツアー |
日本のビジュアル系ロックバンドに影響を受けた視覚系(ビジュアル系)バンドが大陸各地に出現 |
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2003 |
2月 |
3・4日 SUEDEが北京でコンサートを行う |
3月 |
腦濁楽隊と挂在盒子上楽隊が東京でライブを行う |
4月 |
〜5月 SARS(非典式肺炎)の影響でコンサート・ライブの中止や延期が相次ぐ |
9月 |
20〜21日 斯琴格日樂が福岡市で行われた“アジア太平洋フェスティバル2003”に出演 |
10月 |
2日 迷笛音楽節に出演したBRAHMANがジャパンバッシングの嵐を受け、日中で話題となる |
10月 |
腦濁楽隊と挂在盒子上楽隊が大阪でライブを行う |
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2004 |
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2005 |
9月 |
24日 崔健が北京首都体育館で“陽光下的夢”コンサートを開く |
10月 |
1〜4日 中国最大のロックフェスティバル・迷笛音楽節の有料化 |
10月 |
20日 阿修羅楽隊が東京・UNITで行われた“第2回東京アジア・ミュージックマーケット”に出演 |
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2006 |
10月 |
20〜25日 布衣楽隊が大阪と京都でライブを行う |
10月 |
24日 冷酷仙境楽隊が東京・UNITで行われた“第3回東京アジア・ミュージックマーケット”に出演 |
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2007 |
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