崔健 CUI JIAN
北京語:ツイジェン
中国ロックの第一人者。 朝鮮族。1961年に生まれる。父親は、トランペット奏者で、母親は朝鮮族舞踏団と、音楽に関する家庭で育つ。1975年、父親からトランペットを教わる。1978年から北京交響楽団のトランペット奏者となる。1981年、北京歌舞団のトランペット奏者となる。この頃、外国から来た留学生と旅行者が持って来ていた洋楽のカセットを聴き始め、それからロックを好きになり、ギターを勉強しながら、歌を歌い始めた。 1984年11月、七合板楽隊を結成する。この時はまだオリジナル曲が無く、洋楽のカバーを歌っていただけであった。そこで、多くの洋楽を聴いた経験を生かして、オリジナル曲を製作した。最初の作品は「不是我不明白」。1985年6月、七合板楽隊は解散してしまった。 1986年5月、国際和平年の音楽会“全国第一届百名歌星演唱会(100名スターコンサート)”上で、壊れたギターを抱え、ジーンズの両足の長さが揃っていないような、小汚い格好で舞台に上がり、「一無所有」を歌った。彼を見た観衆は最初何事かと思っていたが、この曲を聴いた瞬間、いままでの中国音楽には無かった、新しいリズム・歌詞に震え上がった。のち、このコンサートで歌った崔健の「一無所有」こそが、中国ロックの幕開けだと言われるようになる。 |
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2004年10月21日、新天地ARKで行われたライブより |
1987年5月、北京交響楽団を辞め、ADO楽隊との活動を始める。1988年1月、北京中山音楽堂で初めてのソロコンサートを開く。同年、ソウルオリンピック前夜祭特別番組の世界中継のテレビの中で、「一無所有」を歌う。1989年2月、1stアルバム『新長征路上的揺滾』を発売する。3月、北京展覧館で“新長征路上的揺滾”コンサートを開く。また、イギリス・ロンドンの“アジア流行音楽祭”に参加。4月には、ADO楽隊とともにフランス・パリの“布爾日之春”アートフェスティバルに参加した。1990年1月28日、北京工人体育館でアジア大会の資金収拾を目的とした“従頭再来”ソロコンサートを開く。3月からは、“新長征路上的揺滾”ツアーを開始した。途中で中止にさせられたが、1993年の夏まで、2年ほど全国を回り、大陸中が崔健に注目するようになった。 1991年2月、2ndアルバム『解決』を発売した。この時は、ADO楽隊との活動は辞めていた。 1992年、『解決』に収録の「快譲我在這雪地上撒点児野」のMVが、MTVの“VIDEO MUSIC AWARD 1991 MTV ASIAVIEWERS CHOICE AWARD CUI JIAN "WILD IN THE SHOW"”(最も観衆に好まれたアジア歌手賞)に輝く。7月には、日本の神奈川県・横須賀で行われた“ぴあ20周年記念コンサート”に参加した。12月28‐30日には、癌基金のために、北京展覧劇場でコンサートを開いた。 |
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1999年前後の崔健 |
1993年、映画『北京雑種(北京バスターズ)』に出演した。また、映画音楽を手がける。2月には、ドイツ・ベルリンで行われた“中国前衛文化月間”に参加した。4月には、日本の“たまライフ21”イベントに参加した。 1994年、“福岡アジア映画祭”のゲストとして参加する。8月には、3rdアルバム『紅旗下的蛋』を発売した。世界で発売となる。このアルバム製作の時に結成した紅旗下的蛋楽隊を率いて、9月にはアメリカ・シアトルで開かれた“Bumbershoot音楽祭”に出演した。10月下旬には、日本の東京・大阪・福岡・京都でコンサートを行った。 1995年8月には、アメリカでツアーを行い、サンフランシスコ・ニューヨーク・ボストンなどを巡演する。アメリカソロツアーは、中国人アーティストとして初めてで、計6回ほどライブを行った。9月、日本の東京(NISSIN POWER STATION・東京武道館)と大阪(FESTIVAL HALLで2DAYS)でライブを行う。同年末、香港伊麗沙白体育館で2回ほどソロコンサートを開き、成功を収める。 1996年6月には、デンマークで行われた世界最大のロックフェスティバル“Roskilde音楽祭”に参加したほか、国内で多くのコンサートを開く。 |
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1998年4月18日、河北省石家庄の裕[丹彡]国際体育中心でライブを行った。5月、4thアルバム『無能的力量』を発売する。 1999年、アメリカのシアトル、ロサンゼルス、ボストン、ニューヨーク、ダラス、アトランタでコンサートを開き、アメリカ人・特に華僑の絶大な支持を得る。 2000年3月には、北京普[シ来]文化芸術有限公司(PULAY MUSIC)とマネジメント契約を交わした。10月8日には、北京工人体育場で行われた原創反盗維権大型演唱会に参加し、「飛了」を歌った。崔健にとって北京の大舞台でのコンサートは、1992年以来の事であった。12月2日には、オランダ駐中大使からクラウス王賞を受賞した。 崔健は、中国ロックを初めて公の場で演奏し、国内で初めてロックのソロアルバムを発売した人物である。1stアルバムを発売してから10年以上が経過した今でも、未だに人気が衰えない、中国ロックの顔でもある。彼の人気が未だに衰えない理由は、各アルバム毎にスタイルが変化していること、意味深な歌詞でいつも話題に上がることなどがある。歌詞の解釈は人それぞれであるが、けっして西洋諸国でイメージされているような反体制ロッカーではないと思われる。彼が1stアルバムに収録した「新長征路上的揺滾」は、共産党の長征を茶化したとして、政府の眼に止まることとなってしまったが、現在の中国を愛しているからこそ、その偉大な英雄達の長征を自分流にアレンジして歌ったのである。近年、北京でも大々的にロックコンサートが開かれるようになったが、彼の大型ソロコンサートは1991年以来開かれていない。彼の大型コンサートが北京で開けるようになってこそ、中国ロックは新たな時代へ突き進むであろう。 |
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1990年前後、天安門広場にて |
2001年1月16日から18日には、香港の葵青劇院で香港城市当代舞踏団とともに現代音楽舞劇“給[イ尓]一点紅色”を公演し、成功を収めた。1月から2月にかけては、フランスのパリ・オランダのアムステルダム、スイスのチューリッヒでコンサートを行う。7月には、イタリア・フランス・ドイツ・スイスでコンサートを開いた。同年、映画『我的兄弟姐妹』に出演し、話題を呼んだ。12月16・17・18日には、深[土川]で行われた第1回深[土川]揺滾音楽節に参加した。 2002年2月5日、吉林省の延吉市へ行き、延辺電視台(テレビ局)の春節晩会に出演した。わざわざ延吉まで行くのは、朝鮮族が最も多い延吉でとても人気があるためであった。2月14・15日には、天津の天津市体育中心で行われた“何夫人潤徳[ロ卑]酒狂歓夜”コンサートに出演した。3月2日には、韓国のソウルでライブを行った。3月9日には、アメリカ・ニューヨークの太平洋城でライブを行った。6月2日には、韓国で行われた釜山ロックフェスティバルに出演した。8月7日、CD CAFEで真唱運動の開始を宣言した。8月17・18日、雲南省麗江の玉龍雪山甘海子で行われた“麗江雪山音楽節”のアートディレクターを務めたほか、自らライブを行った。 2003年1月18日、シンガポールで真唱運動演唱会を開いた。4月4日、北京工人体育館で行われるRolling Stonesのコンサートで前座を務める予定であったが、SARSにより延期になってしまう。8月7日、北京汽車電影院で真唱運動一周年活動を行った。8月8日、天津の天津遊楽場で行われた“天津第四届[ロ卑]酒節”の初日に真唱運動コンサートを行った。9月13日、上海の南京路世紀広場で行われた“上海旅遊節開幕大狂歓”野外コンサートに出演した。9月17日、北京の仁倶楽部で、9月19日には、上海の新天地ARKで行われた“聯動之声・音楽之夜”音楽連誼会に参加し、ドイツの歌手・UDO LINDENBERGと共演した。11月27日、仁倶楽部で行われた“理想不倒,向音楽致敬!”ライブに、一時的に再結成した七合板楽隊の一員として参加した。12月31日、広州市の時代[王攵]瑰園で行われた“時代的晩上---広州・中国新年揺滾音楽節”に出演した。 |
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2003年9月19日、上海の新天地ARKでのライブより |
2004年1月16日、北京首都体育館で行われた伍佰のコンサートにゲストとして出演した。北京での大型コンサートに出演という事で、大きな話題となった。2月、ドイツで10日間のツアーを行った。2月27・28日には上海の美h大戯院で、3月4・5日は、北京の北展劇場で、ドイツの歌手・UDO LINDENBERGが開いたマルチメディア音楽劇“大西洋故事”に出演した。3月31日には北京の北京工人体育館で、4月2日には、上海の上海大舞台で、4月4日には、広州の広州天河体育館で、「深紫 VS 崔健」と題するツアーを開き、Deep Purpleと共演した。4月、アメリカツアーを行った。5月15日、遼寧省瀋陽市の遼寧老龍口体育館でコンサートを行った。8月6日、北京市楓花園汽車電影院で“真唱運動二周年記念活動”を行った。8月8日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、最終日のトリを務めた。9月21日、上海の新天地ARKで行われたWarwickギターのイベントに参加し、アメリカ人ギターリスト・George Lynchを従えながらライブを行った。10月、国連和平音楽大賞を獲得し、中国のロックミュージシャンとして貴重な国際的な賞を獲得した。12月31日、旅遊衛視(テレビ)の番組「衛視先鋒」で、2004年12月10日に北京の新豪運酒[ロ巴]で行った単独ライブの様子が放映された。 | |
2004年10月21日、新天地ARKで行われたライブより |
2005年1月13日、北京糖果娯楽空間で行われた“Radio
Aid--HIT FM88.7印度洋海嘯賑災義演(スマトラ島沖大地震チャリティーコンサート)”に参加した。3月、5thアルバム『給[イ尓]一点顔色』が発売となった。6月3日、武漢の武漢洪山体育館でコンサートを行った。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空−記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月16日、雲南省昆明で行われた“時尚風暴−世博節拍”コンサートに参加した。7月29日、広西チワン族自治区北海の銀灘広場で行われた“北海国際海灘旅遊文化節”に参加した。7月31日、内モンゴル自治区四子王旗格根塔拉草原で行われた“2005内蒙古・格根塔拉草原狂歓節”に参加した。同月、崔健が過去に発表した曲をカバーしたトリビュートアルバム『誰是崔健!?』が発売となった。8月6日、北京楓花園汽車電影院で“真唱運動三周年記念”ライブを行い、真唱運動を終了した。8月31日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“除旧迎新--為仮唱送終”ライブに登場し、『営業性演出管理条例』の中の「仮唱」に関する法律施行を祝った。9月24日、北京首都体育館で“陽光下的夢”コンサートを開いた。10年以上の歳月を経て、崔健がようやく北京で開いたコンサートで、中国ロックに対する政治的な解釈が変化したということを如実に示すものである。崔健の今までの行動が政府によって認められた結果である。11月4日、西蔵(チベット)自治区拉薩の雪堆音楽酒[ロ巴]でライブを行った。チベットでのロックライブは非常に珍しいことである。11月11日、韓国釜山の釜山社稷体育館で行われた“第二届亜洲音楽盛典”に参加した。 2006年1月6日、北京21世紀劇院で行われた“2005網絡・娯楽・英雄会 TOM在線栄耀盛典頒奨典礼”に参加し、曲を演奏したほか、2005最具演唱会実力歌手奨(2005年最もコンサートで実力を備えている歌手賞)を獲得した。1月10日、初の短編映画作品『修復処女膜時代』がネット配信された。4月8日、上海の上海大舞台で行われたThe Rolling Stonesのコンサートにゲスト出演した。5月9日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“記念中国揺滾20周年曁《一無所有》誕生20周年(1986-2006)”ライブに参加した。5月24日、香港のHARD ROCK CAFEでライブを行った。6月16-18日、瀋陽の火車頭体育館で行われた“記念中国揺滾20年”コンサートに参加した。7月15日、星光現場音楽庁のこけら落としライブを務めた。このライブは翌年、DVD化された。7月21日、深[土川]の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。7月29日、深[土川]の深[土川]体育館で行われた“昌報5周年慶曁民謡盛典”に参加した。10月4日、広東省増城市増城広場で行われた“首届中国(増城)揺滾&[口卑]酒狂歓節曁第五届新塘国際牛仔服装節”に参加した。 2007年3月26日、星光現場音楽庁で行われたBob Marleyの子・Ziggy Marleyのライブにゲスト出演した。4月23日、星光現場音楽庁で行われたSonic Youthのライブにゲスト出演した。6月22日、青島の頤中体育場で行われた“MOTOROKR音楽会”に参加した。6月24日、成都の龍泉陽光体育城で行われた“MOTOROCKR音楽会”に参加した。7月4日、瀋陽の瀋陽新奥体中心で行われた“国際女子足球四国邀請賽開幕式”に出場した。7月8日、台湾で行われた“第八届台湾貢寮海洋音楽祭”に参加した。7月28日、湖南省岳陽で行われた“銀沙灘音楽節”に参加した。9月9日、北京朝陽公園で行われた“2007北京流行音楽節”揺滾中国舞台に参加した。10月4日、雲南省麗江の束河三朶広場で行われた“麗江雪山音楽節”に参加した。10月6日、韓国の“韓国ソウル芸術節”に参加した。10月7日、上海の同楽坊で行われた“NOTCH07 上海站”に参加した。 2008年1月5日、北京工人体育館で“時代的晩上”コンサートを開いた。この時は、音楽の中にサンバのリズムを取り入れていた。4月26日、成都の四川省体育館でコンサートを開いた。5月3・4日、アメリカでコンサートを開いた。5月22日、星光現場音楽庁で行われた超越那一天”[シ文]川大地震被災者チャリティライブに参加した。7月25日、ポルトガルのシネスで行われた“FMM Sines音楽節”に参加した。9月12日、奥運広場で子曰秋野楽隊と共にライブを行った。9月29日、重慶市大足県龍水湖で行われた“龍水湖畔 国際露営音楽節”に参加した。10月5日、杭州の銭江新城市民中心南広場で行われた“2008杭州首届銭江新城国際音楽節”に参加した。10月22日、南寧で行われた“第五届中国一東盟博覧会曁第十届南寧国際民歌芸術節開幕晩会”に参加した。10月26日、上海の上海大寧国際商業広場で行われた“第十届中国上海国際芸術節”に出演した。 2009年2月7日、海南省三亜で行われた“梅賽徳斯
- 奔馳”群英会に参加した。5月1日、江蘇省鎮江の優山美地空置区域内で行われた迷笛音楽節に参加した。7月26日、内モンゴル自治区呼和浩特市の蒙古風情園万畝草原で行われた“第二届緑色旗幟草原音楽節”総合舞台に出演した。8月15日、寧夏回族自治区銀川市の覧山劇場で行われた“中国揺滾音楽20年経典回顧銀川演唱会”に参加した。9月19日、スペインのマドリードのSALA
HEINEKEN1音楽庁で、9月23日、バルセロナのPlaca
Reialでコンサートを行った。10月18日、上海の浦東世紀公園で行われた“2009爵士上海音楽節”揺滾&民謡舞台に参加した。10月24日、山東省烟台の烟台大劇院でコンサートを皮切りに、“新長征路上的揺滾V21”コンサートツアーを開始した。10月26日、江蘇省常州の常州大劇院でコンサートを行った。10月29日、広東省恵州の恵州市文化芸術中心でコンサートを行った。10月31日、深[土川]の深[土川]保利劇院でコンサートを行った。11月2日、東莞の玉蘭大劇院でコンサートを行った。11月5日、武漢の琴台大劇院でコンサートを行った。11月7日、鄭州の河南芸術中心大劇院でコンサートを行った。12月4日、台湾台北市の伝でライブを行った。12月24日、北京展覧館でコンサートを行った。 過去のアルバムを1つにしたアルバムBOXが発売となる予定である。 |
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●アルバム
タイトル | 出版 | 発行 | 制作 | 発行年 | 品番 | 地域 |
当代欧美流行爵士DISCO | 中国録音録像公司 | 1985 | (CT版) | 中国 | ||
浪子帰 | 1986 | (CT版) | 中国 | |||
滾石有声出版社有限公司 | 1993/12 | RD-1038(CD版) | 台湾 | |||
新長征路上的揺滾 | 中国旅遊声像出版社 | 1989 | BJZ 01(CT版) | 中国 | ||
一無所有(邦題:俺には何もない) | EMI HONG KONG | 1989 | TCFH 50037(CD版) | 香港 | ||
可登有声出版社有限公司代理発行 | 香港飛康公司授権 | 1990 | CR-8933(LP版) | 台湾 | ||
東芝EMI株式会社 | 1993/11/17 | TOCT-8244(CD版) | 日本 | |||
解決(邦題:解決) | 中国北光声像芸術公司 | 1991/2 | BSL029(CT版) | 中国 | ||
1991/3 | 台湾 | |||||
東芝EMI株式会社 | 1994/4/27 | TOCT-8363(CD版) | 日本 | |||
中国文采声像出版公司 | 北京京文唱片伝播有限公司、広東新京文音像有限公司 | 北京東西音楽芸術制作有限責任公司 | 2005/6 | ISRC CN-A51-05-308-00/A・J6(CD版) | 中国 | |
北京崔健演唱会 | 中国旅游出版社 | 北京京文音像公司 | 1993 | ISBC CN-M29-93-0009‐/A.J6(CT版) | 中国 | |
紅旗下的蛋(邦題:ボールズ・アンダー・ザ・レッド・フラッグ) | 深[土川]市激光節目出版発行公司 | 天津音像有限公司 | 北京東西芸術製作有限公司 | 1994/8 | ISRC CN-F27-94-361-00/A・J6(CT版) | 中国 |
東芝EMI株式会社 | 1994/10/5 | TOCT-8571(CD版) | 日本 | |||
北京北影録音録像出版社 | 北京京文唱片伝播有限公司、広東新京文音像有限公司 | 北京東西音楽芸術制作有限責任公司 | 2005/6 | ISRC CN-A08-05-322-00/A・J6(CD版) | 中国 | |
’85回顧(邦題:’85回顧) | 中国唱片総公司 | 1994 | EL-603,ISRC CN-A01-94-528-00/A.J6(CT版) | 中国 | ||
CCD-94/435,ISRC CN-A01-94-528-00/A・J6(CD版) | ||||||
株式会社キングインターナショナル輸入発売、キングレコード株式会社販売 | 1995/3/24 | KKCP46(CCD-94/435)(CD版) | 日本 | |||
中国唱片深[土川]公司 | 2002/9 | CD-02/36,ISRCCN-F31-02-327/00/A.J6(CD版) | 中国 | |||
1986-96 珍蔵版 | 中国国際広播音像出版社 | 北京京文音像公司 | 北京東西芸術制作有限公司 | 1996 | ISRC CN-C07-96-359-00/A・J6(CT版) | 中国 |
ISRC CN-C07-96-358-00/A・J6(CD版) | ||||||
輸入ムジテック、配給メタカンパニー | 記載なし | CH=0272(CD版) | 日本 | |||
一無所有 | WOONGJIN MUSIC、SORIMADANG | 1997 | WJCC-0026,SMLCD-011(CD版) | 韓国 | ||
崔健演唱会 | 北京北影録音公司 | 1997 | ISRC CN-A08-97-380-00/V・J6(VCD版) | 中国 | ||
無能的力量(邦題:無能な力) | 中国唱片総公司 | 北京京文音像公司 | 北京東西音楽芸術製作有限責任有限公司 | 1998/4 | EL-1043,ISRC CN-A01-98-0086-0/A.J6(CT版) | 中国 |
CCD-98/931,ISRC CN-A01-98-0086-0/A.J6(CD版) | ||||||
輸入ムジテック、配給メタカンパニー | 1998 | CH=0567(CD版) | 日本 | |||
輸入元POP SHOP ASIA | 記載無し | PSC 981(CD版) | ||||
World Beat Records | 1999 | 記載無し(CD版) | 米国 | |||
新長征路上的揺滾 再版 | 北京東西音楽芸術制作有限公司授権、中国国際広播音像出版社出版、北京京文音像公司発行 | 1999/5 | ISRC CN-C02-99-307-00/A.J6(CT・CD版) | 中国 | ||
崔健中国揺滾演唱会 | 広州市新時代影音公司 | 2000 | VCD-0075,ISRC CN-F21-00-374-00/V・J6(VCD版) | 中国 | ||
給[イ尓]一点顔色 | 中国文采声像出版公司 | 北京京文唱片有限公司 | 北京東西音楽芸術制作有限責任公司 | 2005/3 | ISRC CN-A51-05-0001-0/A・J6(CD版) | 中国 |
音楽現場運動 | 中国文采声像出版公司 | 北京亜神文化伝播有限公司 | 北京東西音楽芸術制作有限公司提供版権 | 2007/11 | ISRC CN-A51-07-309-00/V.J9(DVD版) | 中国 |
●スプリットアルバム
歌手名 | タイトル | 出版 | 発行 | 制作 | 発行年 | 品番 | 地域 |
王虹・崔健 | 王虹☆崔健(邦題:血染めの勇姿) | 永声音楽出版有限公司 | 1990 | SMCD90001(CD版) | 香港 | ||
P-VINE RECORDS | 1994 | PCD-14501(CD版) | 日本 |
●その他
タイトル | 出版 | 発行 | 制作 | 発行年 | 品番 | 地域 |
人物:崔健 | 中国国際電視総公司 | 2006/1 | ISRC CN-A03-05-0145-0/V.J6(DVD版) | 中国 |
●ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発行年 | 備考 |
受傷的蒼鷹 | 金木水火土 | 1986 | テレビドラマ『西熱図的伝説』の主題歌 |
在遠方 | 金木水火土 | 1986 | |
浪子帰 | 金木水火土 | 1986 | アルバム『浪子帰』とはアレンジが異なる |
美麗新世界U 戦争與和平 | 1989/2 | 台湾のアルバム▽滾石唱片から発売 | |
無言 | 金木水火土 | 1986 | |
歓楽之夜 | 愛的太陽 | 不明 | |
没有 | 五色譜2 | 不明 | |
世界的微笑 | 五色譜2 | 不明 | |
旅 | 霧 | 1986? | 歌詞はないが、声は崔健 |
『北飛行動』の主題歌 | 1987 | テレビドラマ『北飛行動』の主題歌▽発売したかどうか不明 | |
愛的瞬間 | 請多多観照 | 1987? | テレビドラマ『請多多観照』の主題歌▽発売したかどうか不明 |
心的独白 | 星、新、星 | 1985 | 流行曲オムニバスに収録 |
中国巨星首唱原版7 | 1996 | ||
輝煌郭峰 | 1996 | ||
最後一槍 | 無名高地第一集 | 1987 | |
開天闢地 | 1988 | 『解決』にも収録されているが別テイク | |
火焼鳥(邦題:炎の大走査線) | 不明 | 台湾映画『火焼鳥』のサントラ▽他のCDに収録されているものとは別テイク | |
今年夏天 | 2002 | 映画挿入歌 | |
一無所有 | 譲世界充満愛 | 1986 | 一無所有の初音源 |
全国百名歌星薈萃精選1 | 1986 | 1stアルバム以前にレコーディング | |
中国通俗歌曲集錦1 | 1992 | ||
中国揺滾 | 1995 | ▼LD版 | |
原唱流行経典名曲第一輯 | 1997 | 徐日勤編曲による、ニューアレンジバージョン | |
1988西北風1 | 1998 | ||
20世紀中国揺滾大系A | 1999 | 『揺滾衝撃波4』も | |
THE ROUGH GUIDE TO THE MUSIC OF CHINA | 2003 | 曲名は「Yi Wu Suo You (Nothing To My Name)」 | |
中国揺滾手冊 | 2006/5 | ||
錯 | 中国通俗歌曲集錦1 | 1992 | |
新長征路上的揺滾 | 中国揺滾経典 | 1995 | |
中国揺滾 | 1995 | ▼LD版 | |
寛容 | 北京雑種 | 1993 | 映画挿入歌 |
像一把刀子 | 北京雑種 | 1993 | 映画挿入歌 |
花房姑娘 | 頭髪乱了 | 1994 | 映画挿入歌 |
中国揺滾 | 1995 | ▼LD版▼1993年ドイツコンサートの映像 | |
假行僧 | 北京のロック・ライブ’93 | 1994/6 | ▼1993年ドイツコンサートの映像 |
中国揺滾 | 1995 | ▼LD版 | |
昨天 | 2002 | 映画の挿入歌▼映画VCDあり | |
快譲我在這雪地上撒点児野 | 北京のロック・ライブ’93 | 1994/6 | ▼1993年ドイツコンサートの映像 |
中国揺滾 | 1995 | ▼LD版 | |
不是我不明白 | 全国百名歌星薈萃精選1 | 1986? | 1stアルバム以前にレコーディング |
中国通俗歌曲集錦1 | 1992 | ||
中国揺滾 | 1995 | ▼LD版 | |
今年夏天 | 2002 | 映画挿入歌 | |
誰誰誰 | 中国巨星首唱原版3 | 1996 | |
夢中的傾訴 | 中国巨星首唱原版3 | 1996 | 英語曲 |
超越那一天 | 七月一日生 | 1997/7/1 | |
一塊紅布 | 北京のロック・ライブ’93 | 1994/6 | ▼1993年ドイツコンサートの映像 |
20世紀中国揺滾大系@ | 1999 | 『揺滾衝撃波3』も | |
昨天 | 2002 | 映画の挿入歌▼映画VCDあり | |
飛了 | 原創反盗維権大型演唱会 | 2000 | ライブ▼VCD |
麗江雪山音楽節主題曲 | 通俗歌曲VOL.227 | 2002/9 | 崔健は歌っていない |
九十年代 | 夏日暖洋洋 | 2001 | 映画挿入歌▼映画VCDあり |
長城霊歌 | 鬼子来了 | 2001 | 映画挿入歌▼映画DVDあり |
時代的晩上 | 像鶏毛一様飛 | 2002 | 映画の主題歌▼DVDには特別編集映像が収録されており、そこで曲が使用されている |
無能的力量 | 命案十三宗 | 不明 | テレビドラマ挿入歌 |
I Walk This Road Alone | I Walk This Road Alone | 2007 | デンマークのMichael Learns To Rockとデュエット▽非売品シングル |
●参加アルバム
歌手(楽隊)名 | 曲名 | アルバム名 | 発行年 | 参加形態 | 備考 |
七合板楽隊 | 七合板演唱専輯 | 1985 | 演奏(複数で) | 全曲参加 | |
斯ka保羅集市 | 吶喊 為了中国曾経的揺滾 | 2003/11 | ボーカル(複数で) | ||
百名歌星 | 譲世界充満愛 | 譲世界充満愛 | 1986 | ボーカル(百名で) | |
輝煌郭峰 | 1996 | ボーカル(百名で) | |||
原唱流行経典名曲第一輯 | 1997 | ボーカル(百名で) | |||
原唱流行経典名曲 | 1997 | ボーカル(百名で) | |||
王虹 | 別為我送行 | 譲世界充満愛 | 1986 | サブボーカル | |
呉小yun | 一無所有 | 開天闢地 | 1988 | 詞曲 | 香港の作曲家がアレンジ |
劉元 | 夢桃花 | 1996/5 | 編曲(複数で)、ラッパ、ハーモニカ | 3曲参加 | |
子曰 | 第一冊 | 1997/4 | ディレクター、キーボード、ミキシング(何biaoと)等 | 全曲参加 | |
門前事児 | 20世紀中国揺滾大系@ | 1999 | キーボード、トランペット、コーラス(複数で) | 1stアルバムと同じ▽『揺滾衝撃波3』も | |
相対 | 20世紀中国揺滾大系A | 1999 | キーボード | 1stアルバムと同じ▽『揺滾衝撃波4』も | |
劉歓 | 一無所有 | 西部恍惚 | 1998 | 詞曲 | 劉歓がカバー |
BEYOND | 一無所有 | 北京演唱会 | 1997 | 詞曲 | 1988年のライブ音源より |
真的見証演唱会 | 1999 | 詞曲 | |||
齊秦(チー・チン) | 一無所有 | 斉秦的世紀情歌之迷 | 1999 | 詞曲 | 台湾の齊秦がカバー |
北京春分演唱会 | 2003/6 | 詞曲 | 2003年3月21日の北京コンサートより▼VCD、DVDもあり | ||
陳勁 | 紅・頭・縄 | 1993 | ハーモニカ(陳勁と)、トランペット | 全曲参加▽クレジットは老崔 | |
臧天朔 | 磨合 | 我這十年 | 1995 | トランペット | |
周靱 | 暈眩 | 搾取 | 1996 | トランペット | |
69楽隊 | 朋克万歳 | 無聊軍隊 | 1999/8 | トランペットソロ | |
林志R | 花房姑娘 | 擦声而過 | 2001 | 詞曲 | |
中国広播少年合唱団 | 夢 | 2001 | 詞曲 | 映画『我的兄弟姐妹』収録曲 | |
ユニゾン武者旅団(小菅良輔・ケイジ) | Asian Sky | Asian Sky | 2002/11 | 作曲 | 「一無所有」にオリジナルの日本語歌詞を付けている▽DEMOシングル |
老五 | 浪子帰 | 三里屯音楽之酒[ロ巴]歌手合輯 男孩女孩 | 2004/12 | 作曲 | |
陽光地帯楽隊 | 花房姑娘 | 愛的[言荒]言 | 2005/5 | 詞曲 | |
盤古楽隊 | 最後一槍 | 2006/6/4 | 原作 | ||
盤古暴民選集第2巻 | 2006/7/25 | 原作 | 曲名は「新最後一槍」 | ||
Hang On The Box楽隊 | 不是我不明白 | “G”ides songs | 2006/7 | 詞曲 | |
Michael Learns To Rock | I Walk This Road Alone | I Walk This Road Alone | 2007 | 作曲 | アルバムに収録されているものはMichael Learns To Rockが歌っているが、非売品シングルでは崔健とデュエットしているバージョンもある |
藍墻楽隊 | 新長征路上的揺滾 | 第四届附中現代音楽節 | 2010 | 詞曲 | |
オムニバス | 誰是崔健!? | 2005/7 | 詞曲 | 全曲参加 |
●出演
出演媒体 | 曲名 | 映像名 | 発行年 | 参加形態 | 備考 |
映画 | 北京雑種 | 1993年製作 | 脇役、演奏シーンが収録 | 中国では公開されず香港で公開 | |
映画 | 我的兄弟姐妹 | 2001 | 脇役 | ▼映画DVDあり | |
CD | 中国語ジャーナル 2001年1月号 | 2000/12 | インタビュー | ||
CD | 中国語ジャーナル 2001年2月号 | 2001/1 | インタビュー・続 | ||
テレビ番組 | 中国新音楽的N個瞬間 | 2005/9 | 語り | ▼DVDあり | |
DVD | FAR DVD | 2007/4/21 | インタビュー | ヒップホップについて語っている | |
DVD | BEIJING BUBBLES - How the story continued | 2008/8/23 | インタビュー |
●関連サイト−公式サイト−
「http://www.cuijian崔健.com」(中国語GB・英語)
公式サイト。
「崔健」(中国語GB)
三九网蛙音楽製作による公式サイト。アルバム紹介やプロフィールなどが掲載されている。ただ、他の公式サイトに比べると見劣りする。
●関連サイト−中国語−
「崔健歌迷会」(中国語GB)(相互LINK!)
三九网蛙音楽にある、ファンクラブサイト。ニュースやアルバムレビュー、BBSがある。
「崔健2005全新大die」(中国語GB)
新浪網にある、5thアルバムに関するコンテンツ。ニュースやアルバムレビューなどがある。
「崔健在時代的晩上」(中国語GB)
新浪網にある、ファンクラブサイト。ニュースやアルバムレビュー、BBSなどがある。
「毛丹青的大陸」(中国語GB)(相互LINK!)
作家・毛丹青氏のホームページ。そこに、崔健に関する記事がある。
「東北風第55期 中国揺滾記憶 飛越揺滾的“孤島”」(中国語GB)
作家・毛丹青氏が書いている。1997年のもの。
「崔健」(中国語GB)
吉他中国より。丁寧な作りではあるが、それほど多くの記事はない。
「崔健」(中国語GB)
新浪網にある。プロフィール等が掲載されている。BBSもある。
「崔健」(中国語GB)
時空星座にある、歌手紹介。プロフィールがある。
「老崔豪伝」(中国語GB)
崔健のVCDを販売しているサイトであるが、崔健に関する文章などが多くアップされている。
「愛情就是自由加上[イ尓]的人格」(中国語Big5)
台湾のBBS。大陸の中国人とは異なる視点で書きこまれている。
「崔健在韓国挙行個人演唱会実況記録」(中国語GB)
2002年、韓国で行ったライブの音源を視聴することができる。
●関連サイト−日本語−
「日本崔健歌迷会 長征倶楽部」(日本語)
日本における崔健の公式ファンクラブのサイト。最近はまったく更新をしていない。
「ロックの「孤島」を飛び越えて」(日本語)
揺滾音楽のサイトにある。作家・毛丹青氏とのインタビュー記事。
「青野研究室」(日本語)
青野氏のホームページ。「中国作家紀行」というコーナーに崔健に関する記事あり。
「時事外国語編 辞書にない言葉 「一塊紅布」」(日本語)
現代中国を「一塊紅布」の曲を元に考察。「一塊紅布」の日本語訳あり。
「《無能的力量》」(日本語)
新北京かってにTop10内にある。4thアルバムの批評がある。
「CUI
JIAN」(日本語)
過去に崔健が日本の媒体に紹介された時の写真を何枚か掲載。
「崔健 寛容(ライブ盤)」(日本語)
崔健に対する評論。ここで『寛容』というアルバムが紹介されているが、これは海賊盤である。
「崔健(ツイ・ジェン)国内盤コレクション」(日本語)
崔健の日本盤を専門的に紹介しているサイト。
「Cui Jian@Kawaguchi Lilia Hall (7th May '10)」(日本語)
Smashing Magより。2010年5月7日のライブレポート。
●関連サイト−英語−
「Beijing
Rocks:Rockin'n the in Not-So-Free World」(英語)
西洋人が書いた中国ロックに関する文章。崔健のことを多く書いている。1995年に書かれたもの。
「Cui
jian」(英語)
Rock
Music in China内にある。紹介文や、リンクが掲載されている。
●関連サイト−複数言語・その他の言語−
「Rockmusik in
China」(ドイツ語)
ドイツのホームページ内にある中国ロックに関する文章。崔健に関しての記事あり。