老五/劉義軍 LAOWU/LIU YIGUN
北京語:ラオウー/リゥイージュン
劉義軍(劉義君)、通称は老五。1963年1月10日生まれ。身長184cm。天津で生まれたが、文化大革命の時に河北省廊坊へ移り住む。学生時代に二胡を2年ほど勉強する。1976年、ギターを買い、独学で勉強する。1980年頃からエレキギターを勉強しはじめる。 1983年末、北京で丁武や王迪・劉君利と知り合いになる。のち、丁武と劉元が深[土川]にライブへ行ってしまったため、廊坊に帰る。その1年の間に、小林克己のギター教材を見て、練習する。1985年、北京に移り住む。 1986年、白天使楽隊を結成し、ギターを担当する。この頃は、ヴァン・ヘイレンや、イングウェイ・マルムスティーンに大きく影響を受けていた。1989年、白天使楽隊の解散後は、時效楽隊に2ヵ月ほど参加した。 1989年後半、丁武と張炬に誘われて唐朝楽隊のメンバーとなり、リードギターを担当する。そして1stアルバムを製作、ドイツ・日本でもコンサートを開く。 |
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『再渡帰来』の歌詞カードより |
練習の鬼で、毎日8時間もの間ギターの練習をしていた。そして唐朝楽隊に加入したことで、その真価が発揮され、1992年には雑誌『SPIN』より、「中国で最も偉大なギターリスト」と称される。そのテクニックの素晴らしさから彼の元でギターを勉強する人は多く、韓鴻賓(元・超載楽隊)・劉衛強([イ瓦]族楽隊)・劉衛東([イ瓦]族楽隊)などの有名ギターリストも誕生した。1992年、北京迷笛音楽学校でギターを学生に教えたこともあった。 1996年、音楽的方向性の違いから唐朝楽隊を脱退した。 そして1997年には教え子のギターリスト達と共に『霧中行集』を発表する。そこで、自ら作詞・作曲、ボーカルを務めたほか、インストゥルメンタル曲を演奏した。また、1999年にはアルバム『再渡帰来』を発表した。 民族音楽を志向するようになり、かつての派手さはなくなった。また、ライブ活動はほとんど行わなくなったため、彼のギター演奏を聴くことができなくなったのは、とても悲しい。 |
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1999年には、北京に音楽工作室を作り、新人アーティストの発掘、音楽教育を行い始めた。 2001年1月10日、CD CAFEでライブを行った。4月22日、藏酷酒[ロ巴]で行われたMr.BIGのギターリスト・Paul Gilbertとの交流会で、演奏をした。同年、郭智音楽教室や北京新時空文化芸術学校でギター教師を務めるようにもなる。また、8月18日には豪運酒[ロ巴]でライブを行い、ライブ活動を本格的に再開させた。バンドのメンバーは李亞宗(Vo)・呉勤勇(G)・張Q(Dr)など。10月14日、藏酷酒[ロ巴]でライブを行った。12月20日、CD CAFEでライブを行った。同年末、老五のバンドは解散した。 唐朝楽隊を脱退後に発表した作品でも、唐朝老五とクレジットされていた。しかし、その後のサイン等では中国老五と書いていた。 2002年初になり、唐朝楽隊に復帰した。復帰した話は中国ロック界でも大きな話題となり、数多くのメディアが取り上げたほどである。老五といえば、第一に唐朝楽隊を連想させるほど、唐朝楽隊の中心的人物であるということができる。 2003年10月29日、手心手背酒[ロ巴]で行われた元・MegadethのギターリストMarty Friedman(馬蒂・弗莱徳曼)の北京交流会に出演した。 |
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2004年9月24日、上海の羅馬假日で行われた唐朝楽隊のコンサートより |
2008年5月24日、星光現場音楽庁で行われた“与[シ文]川同在”チャリティライブに参加した。10月18日、合弦音楽工廠でライブを行った。 2009年1月、唐朝楽隊を再度脱退した。 |
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●アルバム
タイトル | 出版 | 発行 | 製作 | 発行年 | 品番 | 地域 |
雰中行集 | 中国音楽家音像出版社 | 華声音楽家影音有限公司 | 1997 | ISRC CN-A50-97-0041/A.J6(CT・CD版) | 中国 | |
再渡帰来 | 中国音楽家音像出版社 | 1999 | ISRC CN-A50-99-0013-0/A・J6(CT・CD版) | 中国 |
●ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発行年 | 備考 |
霧中行(A walk in the fog) | 中国火V | 1998/10 | |
亞洲製造 | 2000/6 | クレジットが唐朝&老五となっているが、実際には老五の曲 | |
揺滾中国楽勢力十年精選第二輯 | 2001/4 | 『中国火V』と同じ | |
舞 | 中国火V | 1998/10 |
●参加アルバム(→唐朝楽隊)
歌手(楽隊)名 | 曲名 | アルバム名 | 発行年 | 参加形態 | 備考 |
牧羊 | 流浪 | 1991 | ギター・コーラス(複数で) | 全曲参加 | |
何勇 | [土立][土及]場 | 1994/5 | 編曲・ギター(複数で) | 全曲参加 | |
姑娘漂亮 | 揺滾中国楽勢力十年精選第一輯 | 2001/4 | ギター(複数で) | ||
[土立][土及]場 | 揺滾中国楽勢力十年精選第二輯 | 2001/4 | ギター(複数で) | ||
白天使楽隊 | 過去的揺滾 −1989年版− | 1995 | ギター(推測) | 全曲参加▽1989年に発売したアルバムも | |
北京揺滾群星 | 夜色 | 告別的揺滾 | 1995 | ギター・コーラス(複数で) | |
Funky末吉和他的朋友們 | 揺滾老頭 | 亜洲鼓魂 | 1996 | ギターソロ | |
王勇 | 招魂 | 往生 | 1996/1 | ギター(賈敏恕と) | |
中国火U | 1996/8 | ギター(賈敏恕と) | |||
揺滾中国楽勢力十年精選第一輯 | 2001/4 | ギター(賈敏恕と) | |||
巒樹 | 那一天 | 再見 張炬 | 1997 | ギター | |
丁武 | 活在[イ尓]的夢裏 | 再見 張炬 | 1997 | エレキギターソロ | |
張楚 | 認識了 | 中国火U | 1996 | 編曲(複数で)、ギター | |
我的睫毛都快被吹掉了 | 再見 張炬 | 1997 | ギターソロ | ||
陳勁 | 愛和自由的翅膀−喜馬拉雅之旅 | 再見 張炬 | 1997 | ギター | |
徐紹斌 | 前方 | 1998/4 | ギター | 5曲参加 | |
新王菲 | 水上花 | 1999 | 編曲(李杰と) | 4曲参加 | |
晧天 | 諾言 | 快楽HAPPY | 2000 | 作詞 | |
丁武、許巍、周曉鴎、張楚、汪峰、高旗、李延亮、巒樹、馬上又、陳勁 | 礼物 | 礼物 | 2005/5 | ギター(複数で) | |
呉樹徳・尹力 | 欠撼 | 蝉 | 2006/9/26 | ギター | 『天下還有比這更美的事ma?』も |
オムニバス | 北京REGGAE2 | 1995 | サポートリードギター(劉林と) | 全曲参加 |
●関連サイト(→唐朝楽隊)
「老五・吉他」(中国語GB)
中国地下音楽網のBBSより。専用のBBSがある。
「吉他中国」(中国語GB)
ギターサイト。インタビューやイベントに参加した際の記事などが掲載されている。
「北京新時空文化芸術学校」(中国語GB)
音楽教師を務めている学校のサイト。プロフィールが掲載されている。