王勇 WANG YONG
北京語:ワンヨン
北京で活動するアーティスト。1964年6月10日、北京で生まれる。1972年に父親の王世[王黄]から古筝を学ぶ。のち、著名古筝演奏家の曹政から古筝を学んだ。1980年、中央音楽学院附中に入学し、有名な古筝演奏家から古筝を学んだ。 1981年、阿里斯楽隊を結成する。1983年には、中国音楽学院に進学し、古筝を専攻する。邱大成から古筝を勉強した。1984年、不倒翁楽隊でキーボードを担当するが、翌年脱退する。1987年2月には、中国音楽家代表団員としてフィリピンに赴き、文化交流を行う。5月には、“第1回海内外江南絲竹”コンクールで1等賞となる。7月には中国音楽学院を卒業し、そのまま学校に留まり器楽系の教師となる。のち、作曲系の教師となった。同年、1stアルバム『孔雀東南飛』が発売となった。このアルバムは古筝のアルバムである。 1989年にADO楽隊のサポート古筝・キーボード奏者となり、崔健と共同で「譲我在雪地上撒点野」を発表した。3月には崔健のバンドメンバーとしてフランスへ赴き、“布日之春”揺滾音楽節(ロック音楽祭)に参加した。7月には1989楽隊を結成、キーボードを担当する。のち、崔健のバックバンドとしての活動が忙しくなり、数ヶ月で脱退してしまう。6月にはART杯中国楽器コンクールの古筝青年の部で2位となる。 |
1990年には“為亜運会而唱(アジア運動会のために歌う)”チャリティに参加した。 1991年、崔健のバンドメンバーとして香港芸術学院伊莉莎白体育館でのコンサートに参加した。同年、創作活動を開始した。 1992年に発表した「喜瑪拉雅」が“中国MIDI作品コンテスト”で2位となる。同年5月、黒豹楽隊のキーボードを担当する。10月、唐朝楽隊のキーボードを務めた。 1993年2月にはドイツのベルリン世界文化宮へ赴き、“中国前衛文化月間”に参加する。同年、「安魂進行曲」が収録された『北京揺滾』が発売となる。5月、南京五台山体育館でコンサートを行う。6月には新疆のウルムチ体育館でコンサートを行う。10月には河北省石家庄体育館でコンサートを行う。 1994年10月には日本の福岡でコンサートを行う。12月、香港紅[石勘]体育館で行われた“揺滾中国楽勢力”に唐朝楽隊のサポートキーボードとして参加した。 |
|
(写真:王勇跨界嘗試 群星歳末変臉より) |
1995年5月には、香港沙田大会堂で行われた“中国南北名家”古筝音楽会に参加した。 1996年1月、2ndアルバム『往生』を発売する。同年、香港で行われた“亜州唱片博覧会”でライブを行った。また、香港でThe Landと一緒にライブを行った。 1997年、“Kunihiko Ryo東京演唱会”にゲストとして参加した。またNHKの依頼によって上海からライブが放送された。 その後、北京のライブハウスKEEP IN TOUCH(保持聯絡)を運営し、ロックアーティストに活動の場を与え、王勇は店でオーナー兼エンジニアとして活動する。ここで、唐朝楽隊のライブが行われた際には、彼らをバックに随えて「招魂」を演奏していた。 1999年夏、店を譲渡したため、KEEP IN TOUCHは消え、それと同時に王勇をライブハウスで見かけることはなくなった。同年、イギリスのロンドンで“北京−−倫敦之夜”ライブを行った。またオランダのアムステルダムで“北京−−阿姆斯特丹之夜”ライブを行ったほか、ドイツのケルンでドイツのミュージシャン達とライブを行った。 |
|
1998年5月22日、KEEP IN TOUCHで唐朝楽隊をバックに「招魂」を歌う王勇(撮影:YIREN) |
2000年、“SXSW2000”ライブに参加した。同年、ドイツのベルリンで行われた“CROSS
BORO2000音楽節”に参加したほか、スイスで行われた“Will
Sall爵士節”に行われた。また、“Swatch長城時装秀”ライブを行った。その他、アムステルダム皇家音楽庁でライブを行った。 2001年、『Mondo』を発売した。9月、ドイツのベルリンで行われた“柏林亜太芸術周・中国節”に参加した。この時は、王勇音楽小組(WANGYONGGROUP)を組織し、「天・地・人・物」という題で、新しい概念を持ちこんだ。その王勇音楽小組のメンバーは、王勇・王曉芳・秦[王奇](G)・岳浩昆(B)・張健(Key)・艾尼瓦爾・劉效松(Per)・袁波・焦山林・那日森・那仁格日樂(モンゴル族)・陳莎莎・董曉林と、ロック界の大物ばかりである。この時、金少剛も、エンジニアとして参加した。12月31日、深[土川]で行われた“世界之窓CCTV新年音楽会”に王勇音楽小組として参加した。 |
|
1990年代前半の写真 |
王勇は、中国音楽とMIDIの融合を試みただけでなく、そこにロックも取り入れてオリジナルの音楽を作り出した。仏教をテーマにした曲が多いため、全体的に暗く、商業路線から外れているが、ワールドミュージック的分野からしてみれば秀逸な作品を数多く残している。 2002年、アルバム『Free touching』が香港のNOISE ASIAより発売となった。6月21日、中国児童劇院で“夢天遊池”音楽会を開いた。この時、王勇音楽小組としてコンサートを行ったが、艾斯ka爾と韓紅、娜仁其木路がボーカルを担当した。 2003年1月29・30日、世紀劇院で“王勇・跨界2003新春音楽会”を開いた。この時は王勇音楽小組としてコンサートを行ったが、ボーカルは艾斯ka爾や、娜仁其木路のほか、葉[艸/倍]・丁武・李杰が参加した。3月、王勇音楽小組はハンガリーへ赴き、“ブタペスト民間芸術節”に参加した。11月27日、仁倶楽部で行われた“理想不倒,向音楽致敬!”ライブに出演し、「招魂」を演奏した。 2004年2月1日、北京の北展劇場で行われた新民楽迎春音楽会に、艾爾肯と共に出演した。8月7日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演した。11月12日、香港の香港文化中心で香港中楽団と共に“夢天遊池”音楽会を開いた。 2005年7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空−記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。 2007年5月26日、陝西省西岳華山麓の玉泉院広場で行われた“巨石伝情・情動華山 - 2007中国陝西特別奉献”コンサートに参加した。10月20日、南京の大行宮広場大舞台で行われた“徳中流行音楽盛典”に王勇音楽小組として参加した。 2008年1月27日、フランス・カンヌのMartinez Hotelで行われた“MIDEM OPENING NIGHT PARTY Music China”開幕式に参加した。11月15日、広州の天河体育場広場で王勇音楽小組としてライブを行った。 2009年10月7日、北京朝陽公園で行われた“摩登天空音楽節”に参加した。 |
|
●アルバム
タイトル | 出版 | 発行 | 制作 | 発行年 | 品番 | 地域 |
孔雀東南飛 | 1987 | (CT版) | 中国 | |||
往生 | 滾石国際股[イ分]有限公司所属公司魔岩唱片股[イ分]有限公司企画発行、上海声像出版社出版発行 | 中国火 | 1996/1 | Y-1205,ISRC CN-E04-96-316-00/A・J6(CT版) | 中国 | |
MSD-007,CD-0134,ISRC CN-E04-96-316-00/A・J6(CD版) | ||||||
滾石国際股[イ分]有限公司所属公司魔岩唱片股[イ分]有限公司企画発行 | 中国火 | 1996/1 | MSD-007(CD版) | 台湾 | ||
Mondo | ECM | 2001 | (CD版) | 不明 |
●共同アルバム
歌手(楽隊)名 | タイトル | 出版 | 発行 | 制作 | 発行年 | 品番 | 地域 |
王勇&史蒂夫・布莱労克 | 藍調古筝 | 有待唱片 | 1997/3/15 | YD-004(CT版) | 中国 | ||
Han Bennink、Wong Young、Andreas Schreiber、Dennis Rea、Steffen Schorn、Claudio Puntin | Free Touching | Noise Asia Ltd | Noise Asia Ltd | 2002 | NAKIT 01/02 CD(CD版) | 香港 |
●ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発行年 | 備考 |
安魂進行曲 | 揺滾北京 | 1993 | |
神揺第一章・・極楽揚州路 | 1994 | 『揺滾北京U』には収録されていない | |
流行・揺滾 王曉京制作歌曲精選'90〜'97@ | 1997 | ||
招魂 | ROCK IN CHINA | 1996 | |
中国火U | 1996/8 | ||
揺滾中国楽勢力十年精選第一輯 | 2001/4 | 『往生』と同じ | |
中国火 | 2003 | 『往生』と同じ | |
我想吃我不想吃 | 北京のロック・ライブ’93 | 1994/6 | ▼1993年ドイツコンサートの映像 |
自己的空間 | 揺滾中国楽勢力十年精選第二輯 | 2001/4 | 『往生』と同じ |
●参加アルバム
歌手(楽隊)名 | 曲名 | アルバム名 | 発行年 | 参加形態 | 備考 |
崔健 | 新長征路上的揺滾 | 1989 | 古筝 | 全曲参加▽『一無所有』も | |
解決 | 1991 | キーボード、古筝、コーラス(複数で)、作曲(崔健と) | 全曲参加 | ||
1986−1996 珍藏版 | 1996 | キーボード、古筝、作曲(崔健と) | 2曲参加 | ||
快譲我在這雪地上撒点児野 | 一無所有 | 1997 | 作曲(崔健と) | ||
眼鏡蛇楽隊 | 1966 Written Documentary film “1966” | HYPOCRISY | 1994 | 古筝 | |
陳勁 | 青藍色和深紫色 | 霧气里的昆虫 | 1995/6 | 古筝 | 『揺滾北京V』では、「妙」という名前に変更されているが曲は同じ |
妙 | 揺滾北京V | 1997 | 筝 | ||
王磊 | 夜 | 1996 | キーボード | 4曲参加 | |
WangLei | 2002 | シンセサイザー(複数で) | 全曲参加▽クレジットはWang Yong | ||
李杰 | [イ尓]的心 我的房 | 表情 | 1996 | 古筝 | |
艾敬 | 追月 | 1996 | 編曲、キーボード、古筝 | 2曲参加 | |
丁武 | 活在[イ尓]的夢裏 | 再見 張炬 | 1997 | キーボード、エフェクト | |
唐朝楽隊 | 飛翔鳥 | 揺滾中国楽勢力 | 1995/10 | サポートキーボード | ライブ▼映像もあり |
選択 | 揺滾中国楽勢力 | 1995/10 | サポートキーボード | ライブ▼映像もあり | |
演義 | 演義 | 1998/12 | 古筝、キーボード | ||
演義 単曲紀念珍蔵版 | 2000 | 古筝、キーボード | シングル | ||
王迪 | 不覚流水年長 | 20世紀中国揺滾大系A | 1999 | キーボード | クレジットにはないが、王迪がライブ中にメンバー紹介をしている▽『揺滾衝撃波4』も |
紅梅谷 | BEIJING KEEP IN TOUCH LIVE | 2000 | レコーディング(KEEP IN TOUCHで)、スペシャルサンクス | 香港のバンド▽1999年5月、北京のKEEP IN TOUCHでレコーディング▽全曲参加 |
●関連サイト
「青野研究室」(日本語)
青野氏のホームページ。「中国作家紀行」というコーナーにインタビュー記事あり。
「王勇跨界嘗試 群星歳末変臉」(中国語GB)
北京音楽台より。2003年1月のコンサートに向けて製作されたコンテンツ。彼に関わるニュースやプロフィールともリンクしている。
「王勇」(中国語GB)
プロフィールがある。
「王勇:与音楽和人群保持聯系」(中国語GB)
中国文化網内にあるサイト。彼がKEEP IN TOUCHを経営していたころに書かれた評論。