黒豹楽隊 HOT-BLOODED POWER/BLACK PANTHER/BLACK LEOPARD
北京語:ヘイバオ
1990年代、華人(中国人、華僑)の中で、最も売れたロックバンド。 1986年、郭傳林らが北京で沙棘藝術團を結成する。しかし、会社と関係が折り合わなく、1987年になり契約を破棄、黒豹楽隊と名称を変更する。李[丹彡]が名付け親であった。当時のメンバーには丁武(Vo&G)・李[丹彡](G)・王文傑(B)・程偉・王文芳(Dr)・宋英雲・董鵬(Key)がいた。1988年、郭傳林が演奏メンバーから外れ、マネージメント業に専念する。同じ時、丁武が脱退し、活動が休止となりかけた頃、巒樹(Key)と竇唯(Vo)をメンバーに加え、活動を再開した。しかし、この頃は金もなく、演奏する設備もなく、メンバーの心は黒豹楽隊から別のところにあった。郭傳林のおかげでどうにか、天安門事件後の困難を乗り切る。 1990年、趙明義(Dr)を加え、メンバーが竇唯(Vo)・李[丹彡](G)・王文傑(B)・趙明義(Dr)・巒樹(Key)となり、固定する。この時、最初のオリジナル作品「臉譜」を創作する。5月、“深[土川]之春”コンサートに呼吸楽隊・1989楽隊・眼鏡蛇楽隊・常寛とともに参加する。コンサートは大成功となり、その結果、黒豹楽隊は多くのメディアから注目を浴びるようになった。この成功で、香港勁石公司(滾石公司の香港の子会社)との契約交渉が始まる。 |
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1991年、香港勁石公司と契約し、2ヶ月の間にレコーディングとMVを製作する。8月になり、香港と台湾で1stアルバムが発売となった。9月には、「Don't
Break My Heart」が香港の音楽ランキングで、3週ほど1位に輝き、“大陸で最も優秀なロックバンド”と称される。間もなくして台湾の滾石唱片(ROCK
RECORDS)と契約する。11月には、香港で行われた“嘉士伯音楽会”に参加した。 1992年12月、大陸でもアルバムが発売されることとなるが、大陸盤が発売されるまでの1年の間に、大陸中で多くの海賊盤が出回ってしまう。1stアルバムは、正規盤で150万本の大ヒットとなるが、海賊盤も同じくらいの本数が出回ってしまった。海賊盤に対し、レコード会社の対応に煮え切らないメンバーは滾石唱片との契約を破棄した。 |
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当時、ロックアルバムは崔健しか発売していなかったため、ロックを知らない人々がこぞって彼らのアルバムに興味を示したことが売れた要因であろう。もちろん、アルバムの完成度はとても高いものであった。このアルバムの売上を超えたバンドは彼ら以前にも以後にも存在しない。当時、黒豹人気は彼らの知らないところにまで広まっており、雲南と長春では黒豹楽隊の名前を騙ったバンドが出現、かってにコンサートを開いていた。 このように、人気は絶頂であったが、1991年10月、突然ボーカルの竇唯が脱退してしまう。そのため、秦[王奇]をボーカルとしてテストしたが、バンドに合わず、キーボードの巒樹がボーカルを担当することになった。1992年5月、王勇(Key)がサポートを務める。 1993年4月より、馮小波(Key)が加入した。4月24・25日には、北京の首都体育館で1989楽隊と“臨終關懐(臨終まで配慮する)”合同チャリティコンサートを開く。 |
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2000年12月24日、温州市体育館で行われたコンサートより |
8月、2ndアルバム『光芒之神』を発表した。 1994年4月には、日本のJVCと契約、11月には『光芒之神』を大友光悦ほか、日本人スタッフの手によりリミックスされ、新たな『光芒之神』として発売された。しかし、この頃には巒樹が脱退し、秦勇がボーカルとしてメンバーに加わっていた。 1995年4月は、ラサで初のロックコンサートを開く。これは、チベットの歴史が始まって以来の快挙であった。 1996年2月には、3rdアルバム『無是無非』がアジア地区で同時発売となる。1ヶ月足らずで、45万本を販売した。3月には、来日して東京・渋谷のクラブクアトロで単独ライブを行い、日本の音楽界に黒豹楽隊の存在を知らしめた。のち、香港の棉花倶楽部でソロライブを行う。5月には、香港の紅[石勘]体育館で行われた“我愛普通人(私は普通の人が好き)”コンサートに出演する。 |
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1997年には、全国60都市で公演する。 1998年5月には4thアルバム『不能譲我的煩悩没有機会表白』がアジア地区で同時発売となる。9月18日には再び来日、東京の池袋AMULUXで開催された“ASIAN BEATS 夜総会’98”に出演する夜総会バンドのゲストとして、ライブを行った。この後、大阪(UEDA HEAT BEAT)と九州(福岡“アジア・マンス”)でもライブを行った。10月8日には、中国北京奥林匹克中心体育場でコンサートを開く。このコンサートは、北京ではかつてないほどの観客動員数を記録したほか、近年大型ロックコンサートを開くことが禁じられていた北京で開いたということで、とても意義のあるものであった。その時の音源は、翌年2月になってアルバム化された。 1999年1月23日、雲南省昆明で行われた“拒絶毒品,珍愛生命(麻薬を拒み、命を大切に)”コンサートに8つのバンドとともに参加する。6月、“新郷第二届揺滾音楽節”に参加したほか、各地でコンサートを開くが、年末には、馮小波が脱退する。代わりに惠鵬(Key)が加入し、2000年には「桑塔露[王其]亜(サンタルチア)」、「体会(Rimix)」を発表する。 春節(旧正月)過ぎから5月までの3回、中央電視台の番組「音画時尚」に出演し、「桑塔露[王其]亜(サンタルチア)」を演奏。ロックバンドとしては快挙であった。4月には、雲南世界博園一周年記念のイベントに参加した。 |
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竇唯脱退後のメンバー |
9月16日には、北京のオリンピックスタジアムで行われた“2000年現代音楽演唱会”に参加してトリを務め、なお中国一のロックバンドであるところを見せ付けた。10月、長年マネージメントを担当してきた竹書文化との契約が切れてから初めての曲、「没有[イ尓]」を発表した。同月8日には、北京工人体育場で行われた原創反盗維権大型演唱会に参加した。 2001年2月には、1998年10月8日に中国北京奥林匹克中心体育場で行われたコンサートが、VCDとなって発売された。5月12日、日壇公園で行われた“第三回ハイネケン夏季音楽祭”に出演した。9月19日、奥林匹克体育中心体育館で行われた北京サンミゲルビール賛助の“中国揺滾生力軍楽隊比賽総決賽(ロックバンドコンテスト決勝戦)”にゲスト出演した。 2002年、北京麒麟童文化と契約する。7月11日、香港の伊利沙白体育館で行われた“国際揺滾音楽節”に参加した。12月25日、深[土川]の歓楽谷でソロライブを行った。 2003年9月16日、北京朝陽公園で行われた“2003首届中国国際飲料節”に出演した。10月11日、北京展覧館劇場で行われた“北京中日青春歌友会”にSilver Ash楽隊や張亞東、日本の坂本美雨やBBBBと共に出演した。11月、中国ロック初期の曲を集めたオムニバス『吶喊 為了中国曾経的揺滾』が発売となり、そこに「別去糟踏」と「臉譜」が収録された。12月27日、南昌市紅谷灘市政広場で行われた“2003中国・南昌揺滾音楽節”に出演した。 |
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2004年1月30日、シンガポールで行われたロック音楽祭に参加した。7月、5thアルバム『黒豹X』が発売となった。8月6日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、初日のトリを務めた。 2005年3月、秦勇が脱退し、新しく張克[艸/凡](大棚)(Vo)が加入した。5月1日、西安の陝西紅河谷森林公園で行われた“紅河谷現代音楽節”に参加した。5月27日、北京首都体育館で行われたBEYONDのラストコンサートに、前座として出演した。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空−記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月30日、広西チワン族自治区北海の銀灘広場で行われた“北海国際海灘旅遊文化節”に参加した。 2006年5月26日、哈爾濱の哈爾濱国際会展中心体育館で行われた“揺滾・経典中国-哈爾濱[口卑]酒演唱会”に参加した。6月17日、河北省唐山の唐山市体育中心田径場で行われた“唐山[口卑]酒揺滾演唱会”に参加した。7月20日、台湾台北県貢寮郷福隆県の福隆海水浴場で行われた“第七届貢寮国際海洋音楽祭”に参加した。7月22日、深[土川]の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。10月2日、北京国際雕塑公園北園で行われた“2006北京首届揺滾[口卑]酒節”に参加した。 2007年3月2-4日、雲南省瀾滄市雲県で行われた“2007年度瀾滄江[口卑]酒狂歓節”に参加した。4月4日、星光現場音楽庁で行われた“STAND UP站起来 慈善募捐演唱会(肺癌となったレコーディングエンジニア・D哥 李國強のためのチャリティライブ)”に参加した。6月23日、石家庄の滾石娯楽城でライブを行った。7月22日、西安の曲江国際会展中心和諧広場で行われた“第五届西安曲江国際[口卑]酒節”に出演した。7月28日、海南省三亜市の亜龍湾希爾頓酒店で行われた“第四届沙灘慈善音楽会”に参加した。8月3日、長春の金樽酒[ロ巴]でライブを行った。 2008年2月1・2日、北京工人体育館で行われた“BEYOND双傑北京演唱会”のゲストを務めた。やがて、普天同慶娯楽と契約した。そして、英語名をHot-Blooded Powerとした。3月19日、成都の驕子音楽庁で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。4月7日、安徽省淮南市の淮南煤礦会堂で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。4月9日、安徽省阜陽市の阜陽大劇院で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。6月25日、星光現場音楽庁で“黒豹楽隊成立20周年記念活動啓動演唱会”を開いた。7月5日、四川省綿陽の五一広場で行われた“用吶喊釈放悲傷,用歌声唱響希望”慰問コンサートに参加した。9月30日、河北省唐山の月[土它]島で行われた“首届月[土它]島海洋音楽節”に参加した。 2010年1月31日、黒龍江省大慶の大慶歌劇院でコンサートを開いた。 大棚は2008年、文章と共に[シ文]川大地震被災者のための応援歌「永不放棄」を歌った。2010年1月17日、星光現場音楽庁で行われた“過年[口婁]首届揺滾春晩聯歓会”に参加した。 |
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●アルバム
タイトル | 出版 | 発行 | 制作 | 発行年 | 品番 | 地域 |
黒豹 | KINN'S MANEGEMENT LTD | 1991/8 | KM91-2-04(CT版) | 香港 | ||
中国音楽家音像出版社 | 滾石有声出版社有限公司監製、中国火製作、魔岩唱片企画授権 | 1992/12 | Z426H063(CT版) | 中国 | ||
1996 | ISRC-CN-A50-96-0006-0/A・J6(CD版) | |||||
浙江文芸音像出版社 | 広州娯通文化伝播有限公司 | 滾石国際音楽股[イ分]有限公司版権提供 | 2010/3 | RCD067,ISRC CN-E14-10-313-00/A.J6(CD版) | ||
滾石有声出版社有限公司 | 中国火製作、魔岩文化有限公司企画 | 1992/12 | RD-1137(CD版) | 台湾 | ||
P-VINE RECORDS | 1994 | PCD-13014(CD版) | 日本 | |||
光芒之神(邦題:光の神) | 中国音楽家音像出版社 | 中国音楽家音像出版社、北京鴻[金太]文化芸術伝播有限公司、台湾点将股[イ分]有限公司 | 1993/8 | ISRC CN-A50-93-0009-0/A.J6(CT版) | 中国 | |
中国音楽家音像出版社 | 北京鴻[金太]文化芸術伝播公司、JVC唱片 | 1994 | ISRC CN-A50-93-0009-O/A・J6(CT・CD版) | 中国 | ||
ビクターエンタテインメント株式会社(Rolling Sound) | 1995/6/21 | VICP-5562(CD版) | 日本 | |||
無是無非(邦題:信じるまえに飛べ) | 湖南文化音像出版社 | 北京金旋律音像中心 | JVC唱片有限公司、北京鴻[金太]文化芸術伝播有限公司 | 1996 | ISRC CN-F37-95-309-00/A・J6(CT版) | 中国 |
点心RECORDS | 1996 | DSCD HB02-96(CD版) | 香港 | |||
ビクターエンタテインメント株式会社(Rolling Sound) | 1996/2/21 | VICP-5686(CD版) | 日本 | |||
不能譲我的煩悩没有機会表白(邦題:自由になりたい) | 河北文化音像出版社 | 中国敦煌国際影視文化交流中心 | JVC唱片、竹書文化 | 1998 | ISRC CN-C17-98-315-00/A.J6(CT・CD版) | 中国 |
JVC | 1998 | JMCD-1014(CD版) | 日本 | |||
1999/4 | (CD版) | 台湾 | ||||
狂biao・激情−奥林匹克中心体育場大型演唱会現場版 | 国際文化交流音像出版社 | 広東美ka文化音像有限公司 | 竹書文化 | 1999 | MKC-1244,ISRC CN-A26-99-303-00/A・J6(CT版) | 中国 |
MKCD-1244,ISRC CN-A26-99-303-00/A.J6(CD版) | ||||||
国際文化交流音像出版社 | 天津泰達音像発行中心総経銷 | 竹書文化 | 2001/2 | ISRC CN-A26-01-300-00/A.J6(VCD版) | ||
竹書文化 | 第三隻眼音楽工作室総代理 | 竹書文化 | 1999 | CDTE 002-2(CD版) | マレーシア | |
黒豹X | 中国文聯音像出版社 | 北京金典嘉輝音像有限公司 | 北京麒麟童文化伝播有限責任公司 | 2004/7 | ISRC CN-A49-04-311-00/A.J6(CD版) | 中国 |
●非売品
タイトル | 出版 | 発行 | 制作 | 発行年 | 品番 | 地域 |
錯覚 | 北京麒麟童文化伝播有限責任公司 | 2003? | 品番無し(CD版) | 中国 | ||
愛在飛 | 自主制作 | 2007/7 | 品番無し(CD版) | 中国 | ||
[イ尓]是我一生唯一 | 自主制作 | 2007 | 品番無し(CD版) | 中国 | ||
我知道 | 自主制作 | 2007 | 品番無し(CD版) | 中国 |
●ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発行年 | 備考 |
別去糟踏 | 中国火壹 | 1992/12 | 竇唯がボーカル |
中国大揺滾 - 献給国際減災十年 | 1993/1/8 | 巒樹がボーカル▽『中国火壹』と同じ | |
大揺大擺 | 1999/2 | 竇唯がボーカル▽『中国火壹』と同じ | |
中国人今天説不 | 1999 | 秦勇がボーカル▽1999年5月13日深[土川]世界之窓で行われたNATOによるユーゴの中国大使館誤爆抗議コンサート▼VCD | |
揺滾中国楽勢力十年精選第一輯 | 2001/4 | 竇唯がボーカル▽『中国火壹』と同じ | |
吶喊 為了中国曾経的揺滾 | 2003/11 | 竇唯がボーカル▽『中国火壹』と同じ | |
無地自容 | 中国大揺滾−−献給国際減災十年 | 1993/1/8 | 巒樹がボーカル |
揺滾衝撃波@ | 1994 | 巒樹がボーカル | |
ROCK IN CHINA | 1996 | 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ | |
20世紀中国揺滾大系@ | 1999 | 秦勇がボーカル▽『狂biao・激情』と同じ▽『揺滾衝撃波3』も | |
大揺大擺 | 1999/2 | 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ | |
滾石字典(国語部) | 2000/6 | 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ | |
青春的童話 | テレビドラマの挿入歌▽学内バンドが演奏しているほか、カラオケで歌っている▽ボーカルは竇唯の声 | ||
光芒之神 | 中国揺滾精華版(第二集) | 1994? | 巒樹がボーカル▽アルバムジャケを見る限り、馮小波と巒樹が一緒に写っており、巒樹が脱退する直前にレコーディングしたものと思われる |
愛的箴言 | 告別的揺滾 | 1995 | 秦勇がボーカル |
《同一首歌》相聚2000 第2部 | 2000 | 秦勇がボーカル▽CCTVで放映された大型歌番組▼VCD | |
同一首歌 | 2001 | 以前VCDで出たもの▽ジャケットは「愛的真言」となっている▼DVD | |
愛人 | 告別的揺滾 | 1995 | 秦勇がボーカル |
DON'T BREAK MY HEART | 東方之珠V 葬心 | 1992/7 | 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ |
揺滾柔情 | 1996 | クレジットは竇唯與黒豹楽隊▽1stアルバムと同じ | |
快楽天堂之重拾旧歓 | 1998/12 | 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ | |
揺滾霊魂中国火 | 1999/10 | 竇唯がボーカル▼MVも付いている▽1stアルバムと同じ | |
希望之光 精選輯 | 2000 | 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ | |
Heineken節拍夏季音楽節 | 2001 | ▼MV▽2006年5月12日に行われた“第三回ハイネケン夏季音楽祭”のプロモーション用VCDだが映像は普通のもの | |
中国火 | 2003 | 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ | |
TAKE CARE | 揺滾柔情 | 1996 | クレジットは竇唯與黒豹楽隊▽1stアルバムと同じ |
夢 | 2001/1 | 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ | |
怕[イ尓]為自己流涙 | 揺滾柔情 | 1996 | クレジットは竇唯與黒豹楽隊▽1stアルバムと同じ |
臉譜 | 揺滾北京 | 1993 | 巒樹がボーカル |
揺滾衝撃波A | 1994 | 巒樹がボーカル▽曲が一部しか入っていない | |
中国揺滾経典 | 1995 | 巒樹がボーカル▽『揺滾北京』と同じ | |
流行・揺滾 王曉京制作歌曲精選'90〜'97A | 1997 | 巒樹がボーカル▽『揺滾北京』と同じ | |
吶喊 為了中国曾経的揺滾 | 2003/11 | 巒樹がボーカル▽『揺滾北京』と同じ | |
放心走[ロ巴] | 実力再現 | 1997 | 秦勇がボーカル▼MV |
原創反盗維権大型演唱会 | 2000 | ライブ▼VCD | |
English
Version▽アルバム未収録▽ |
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朝前走 | 実力再現 | 1997 | 秦勇がボーカル▼MV |
少年中国 | 七月一日生 | 1997/7/1 | 秦勇がボーカル |
百年巨変 | 七月一日生 | 1997/7/1 | 秦勇がボーカル |
高興就来難過就走 | 20世紀中国揺滾大系A | 1999 | 秦勇がボーカル▽4thアルバムと同じ▽『揺滾衝撃波4』も |
桑塔露[王其]亜(サンタルチア) | 真愛永恒 | 2000/1 | 秦勇と程志がボーカル▽「サンタルチア」をカバー |
体会 | 真愛永恒 | 2000/1 | 秦勇がボーカル▽過去に発表した作品をテクノミックスしたもの |
没有[イ尓] | Heineken節拍夏季音楽節 | 2001 | ▼MV▽2006年5月12日に行われた“第三回ハイネケン夏季音楽祭”のプロモーション用VCDだが映像は普通のもの |
靠近我 | 揺滾中国楽勢力十年精選第二輯 | 2001/4 | 竇唯がボーカル▽1stと同じ |
中国揺滾手冊 | 2006/5 | ||
別来糾纏我 | 中国揺滾生力軍楽隊比賽総決賽 | 2001 | 2001年9月19日、奥林匹克体育中心体育館でのライブ▼VCD |
●参加アルバム
歌手(楽隊)名 | 曲名 | アルバム名 | 発行年 | 参加形態 | 備考 |
豹妹 | 把軽松交給我 | 豹妹・羅[王奇]『英雄無悔・選択堅強』 | 1996 | 演奏 | 豹妹の1stアルバムとはクレジットが異なる。新たにレコーディングしたものか |
回到夢中 | 豹妹・羅[王奇]『英雄無悔・選択堅強』 | 1996 | 演奏 | 豹妹の1stアルバムとはクレジットが異なる。新たにレコーディングしたものか | |
樂驛楽隊 | 無地自容 | [土商] | 1998 | 詞曲 | 樂驛楽隊がカバーした |
複数 | 既然我們是兄弟 | 既然我們是兄弟 | 1999 | ボーカル(複数で) | 非売品 |
郭峰 | 懐抱 | 懐抱 | 1999 | コーラス(複数で) | 非売品 |
経典郭峰 | 2000 | コーラス(複数で) | ▼MVも | ||
陳琳 | 生日心愿 | 陳琳 | 2000 | 演奏 | クレジットにはないが、黒豹楽隊が演奏 |
輪廻楽隊 | ー[王于]帰来[ロ阿]哩哩 | 我的太陽 | 2002/2 | 改編(輪廻楽隊と) | |
郭峰・黒豹楽隊・零點楽隊 | 心手牽連 | 2002 | 演奏 | 2002年全国アイススケート主題曲▽アルバム未収録 | |
天堂之門楽隊 | 無地自容 | 第二届附中現代音楽節 | 2007/7 | 詞曲 | |
無地自容 | 第三届附中現代音楽節 | 2008/7 | 詞曲 |
●出演
出演媒体 | 曲名 | 映像名 | 発行年 | 参加形態 | 備考 |
VCD | 走近黒豹 | 2000 | インタビュー | オリジナルインタビューを海賊盤VCDに収録 | |
テレビ | 手拉手 | 同一首歌 新北京新奥運 北京申ban2008奥運会 | 2001 | 演奏(唐朝楽隊・輪廻楽隊・零點楽隊・蛍火蟲楽隊とともに) | 2008年オリピック誘致運動コンサートより▼海賊盤VCDあり |
●関連サイト−日本語−
「黒豹『不能譲我的煩悩没機会表白』」(日本語)
揺滾音楽のサイトにある。大友光悦氏の文章や馮小波へのインタビューがある。
「黒豹ヒストリー」(日本語・日本語環境の中国語)(相互LINK!)
幸治さん製作のファンサイト。日本のサイトで最も黒豹に関して詳しく書かれている。
「《黒豹W》」(日本語)
新北京かってにTop10内にある。4thアルバムの批評がある。
「黒豹」(日本語)
重金属音楽振興会のメンバーのサイトより。黒豹のアルバムを聴いて好きになった理由や、彼らのプロフィールなどを紹介している。
●関連サイト−中国語−
「黒豹[ロ巴]」(中国語GB)
百度貼[ロ巴]より。バンドに関する書き込みがたくさんある。
「北京麒麟童文化伝播有限責任公司」(中国語GB)
契約会社のサイト。プロフィールやニュースがある。
「竹書文化」(中国語GB)
黒豹が所属していた会社のサイト。バンド紹介などがある。
「黒豹楽隊歌迷会」(中国語GB)
三九网蛙音楽にある、ファンクラブサイト。ニュースやアルバムレビュー、BBSがある。
「東北風第55期 中国揺滾記憶特集」(中国語GB)
中国の多くの文化人と交流を持つ、毛丹青氏が書いている。その中で黒豹に関する記事があり。1997年のもの。
●関連サイト−英語−
「HEI BAO」(英語)(相互LINK!)
ファンサイト。黒豹についていろいろ記載してある。英語のサイトはほとんど少ないので、かなり貴重。
「Loud butpolitically correct,
'Hei Bao' rocks China」(英語)
CNNのサイトより。1997年7月26日のもの。映像をダウンロードすることができる。