呼吸楽隊 THE BREATHING

北京語:フーシー

 北京のバンド。1988年末、高旗(G)や曹鈞(G)の2人で結成したバンドに、劉效松(Dr&Per)・呉運濤(B)・鄒世冬(Key)が参加する。1989年初には青芸小劇場で最初のライブを行う。この時は、高旗がボーカルを務めた。間もなくして蔚華(女性)(Vo)が参加し、正式に呼吸楽隊が結成された。バンド名は、紅一点である蔚華が付けた。意味は「音楽を空気のように満たそう」。4月、北京の馬克西姆餐庁(マキシムレストラン)で開かれたPARTYに参加、これが呼吸楽隊と名乗ってから初のライブであった。同月、日壇で唐朝楽隊とともにライブを行う。6月1日には、台湾の真言社公司とアルバム契約をする。12月からレコーディングを開始し、2ヶ月程度でアルバムが完成する。

 1990年2月、“90現代音楽演唱会”では、唐朝楽隊眼鏡蛇楽隊寶貝兄弟楽隊1989楽隊ADO楽隊とともに参加し、トリを務めた。この時は、高旗曹鈞が1曲ずつ、蔚華が3曲歌った。

 しかし、このライブ後には劉效松が脱退し、趙牧陽(Dr)が加入した。また、柳文利が第3のギターリストとして加入したが、呉運濤が脱退したことで、柳文利はベースを担当した。

1990−1991年秋のメンバー
左から:
鄒世冬(Key)・蔚華(Vo)・曹鈞(G)・趙牧陽(Dr)・柳文利(B)・高旗(G)
雑誌『環球歌壇 中外明星画刊』(中国電影出版社、1992年)より
(写真提供:幸治隆子さん)

 “90現代音楽演唱会”以降は、人気が急上昇したのか、毎月コンサートがあり、大陸中を駆け巡っていた。5月には、“深[土川]之春”コンサートに黒豹楽隊1989楽隊眼鏡蛇楽隊常寛とともに参加した。8月には、台湾・香港で1stアルバムを発売する。しかし、レコーディングに納得しなかったメンバーは、11月にドラムを新しくレコーディングし、リミックスし直した。

 1991年秋、結成メンバーである高旗のほか、趙牧陽が脱退した。代わりに馬禾(Dr)・顧忠(B)が加入、柳文利がリズムギターに変更となった。12月には山西省太原で唐朝楽隊超載楽隊眼鏡蛇楽隊1989楽隊等のバンドと共演する。

 1993年にはリミックス版のアルバムが中国国内で発売となり、一気に知名度が高まる。3月には、『揺滾北京』発売記念に参加、そこで「新世界」を歌った。

1993年前後のメンバー
書籍『揺滾夢尋』より

 7月18・19日には、北京首都体育館で眼鏡蛇楽隊指南針楽隊竇唯張楚王迪らとともに“奥運−中国之夢”大型ロックコンサートを開く。呼吸楽隊の最盛期はここまでで、この後、蔚華が脱退してしまい、呼吸楽隊の活動が休止となってしまう。

 その後名前を聞かなくなるが、数年後にバンド活動を再開したようで、1998年には崔健唐朝楽隊とともにマレーシアでコンサートを開いた。

 1999年には、北京のバーで毎週ライブを行った。1999年に、流行歌手の思暘がアルバムを発売したが、そのレコーディングメンバーには、呼吸楽隊の面々が参加していた(呼吸楽隊のクレジットは特になし)。

 2003年11月、中国ロック初期の曲を集めたオムニバス『吶喊 為了中国曾経的揺滾』が発売となり、そこに「毎次都想擁抱[イ尓]」が収録された。

 元メンバーの張明(ハーモニカ)は、2007年、頑主楽隊を結成した。

 

 

●アルバム

タイトル 出版 発行 制作 発行年 品番 地域
呼吸     真言社公司 1990/8   海外
CBAV中国広播音像出版社   1993 BM055,CA179(CT版) 中国
深[土川]市激光節目出版発行公司 深[土川]市激光節目制作公司 1993 SC-92-018(CD版) 中国

 

●ソロ発表曲

曲名 アルバム名 発行年 備考
新世界 揺滾北京 1993  
揺滾衝撃波A 1994  
流行・揺滾 王曉京制作歌曲精選'90〜'97A 1997  
愛的光芒 中国大揺滾 - 献給国際減災十年 1993/1/8  
揺滾衝撃波@ 1994 曲名が「愛的光芒(太陽昇)」となっている
中国揺滾経典 1995  
譲我站立起 中国大揺滾−−献給国際減災十年 1993/1/8  
中国揺滾精華版(第一集) 1994?  
揮起手 中国揺滾精華版(第二集) 1994?  
只想請[イ尓]看着我 中国揺滾精華版(第二集) 1994?  
中国揺滾経典 1995  
毎次都想擁抱[イ尓] 吶喊 為了中国曾経的揺滾 2003/11 1stアルバム(中国盤)より

 

●関連サイト

呼吸から超載へ」(日本語)
揺滾音楽のサイトにある。中国ロックに関する資料を元に、高旗がどうやって、呼吸楽隊結成に到ったかを記載。

 

MENU