野孩子楽隊 WILD CHILDREN
北京語:イェハイズ
北京で活動するフォークバンド。1995年2月、小索(Vo&G)・張[イ全](Vo&G)によって杭州で結成された。5月になり、出生地の蘭州へ戻る。その後約1年の間に延安から黄河沿いに内モンゴルへ徒歩で移動し、創作活動を行った。1996年3月、北京へ移り住み、他のミュージシャン達と練習を行う。1997年1月1日、北京の大西倶楽部で初ライブを行う。この時、張健(アコーディオン)・岳浩昆(B)・于偉民(Dr)がサポートを務めた。3月、周國彬(Dr)が加入した。8月23日、蘭州でソロライブを行った。10月、周國彬が脱退してしまった。そのため、暫くの間は葉鴻明(Dr)がサポートを務めた。 1998年6月、高輝(Dr)が加入した。この頃は、自分達のバンド活動を行うほか、張淺潜のバックバンドとしても活動していた。 1999年1月31日・2月1日には、成都の小酒館でライブを行う。2月には1stDEMO『咒語』を製作し、ライブ会場で販売する。11月にはイギリスのロンドン現代芸術学院(ICA)で開かれた“北京在倫敦”中国アートフェスティバルに参加する。また、「咒語」が『摩登天空有声音楽雑誌5』に収録された。同年発売された栗正酒[ロ巴]のアルバム『栗正酒[ロ巴]@』では小索と張[イ全]は編曲・ギター・ベースを務めた。同年末、高輝が脱退した。 |
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2000年6月、周國彬(Dr)が再加入した。6月には、北京のフランス学校が開いた“フランス音楽フェスティバル”に参加した。この時、李正凱(B&Cho)と冬子(マラカス)がサポートを務めた。7月になり、陳志鵬(ハンドDr&Cho)・李正凱(B&Cho)・張[王韋](アコーディオン&Cho)が正式に加入し、5人編成となる。8月24日、蔵酷酒[ロ巴]でソロライブを行い、その際に1stLiveAlbum『IN THE LOFT』をレコーディングした。同年、音楽サイトweiku.comと契約した。 かつて、Channel[V]で“前衛音楽戦士”と呼ばれたが、彼らの音楽は前衛音楽ではなく、西北民間音楽の民謡化したものである。 流行歌手の羽・泉の海外デビュー名が野孩子であるが、彼らとはまったく関係ない。どうやら、羽・泉の方はユニット名を野孩子としたかったようだが、すでに野孩子楽隊が北京で活動していたため、ただ海外で活動する時だけ、野孩子としたそうだ。 2001年からは、三裏屯に河酒[ロ巴](River Bar)を開き、そこで毎週末ライブを行った。5月18日には、北京大学北京百年紀念堂で行われた“新青年・新音楽・原創音楽会”に参加した。 |
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2002年11月2日、上海の新天地ARKでのライブ |
2002年初、『IN THE LOFT』が発売となった。5月1日、迷笛音楽節に出演した。6月、2ndDEMO『咒語』を発売した。同月、オムニバス『LIVE 小酒館1997−2002』に作品が収録された。8月18日、雲南省麗江の玉龍雪山甘海子で行われた“麗江雪山音楽節”に出演した。11月1日・2日には、上海の新天地ARKでライブを行った。それと同時に、2ndLiveAlbum『ARK 上海現場2002.11.1』をレコーディングした。11月3日、杭州の旅行者酒[ロ巴]でライブを行った。12月19日、全国農業展覧館2号館で行われた迷笛音楽季に出演した。 2003年2月24・25日、張蔚(Dr)をサポートに招きいれ、香港の香港大会堂で行われた香港芸術節“北京謡滾”に参加した。6月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽20』に曲が収録された。8月14日、河酒[ロ巴](River Bar)が閉店となってしまった。それと同時に、バンド活動が停止となった。 野孩子楽隊はインディーズでアルバムを発売しただけで、正式に発売した事はなかった。しかし、中国ニューフォークミュージックの探索者として、蘭州・北京だけでなく、中国各地や海外にもファンがいた。また河酒[ロ巴]は北京オルタナティブの発信地の1つとして、オルタナティブミュージシャン・バンドに活動の場所を与え続けた。 |
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1998年8月29日、KEEP IN TOUCHで行われた |
2004年2月21日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。バンド活動再開後、初のライブであったが、その後再度活動を停止してしまう。3月、CD付き雑誌『口袋音楽03』に曲が収録された。 10月30日、小索が胃癌により亡くなった。享年34歳であった。 11月3日、バンドは再結成する。メンバーはリーダーの張[王韋][王韋]ほか、郭龍で、オリジナルメンバーは残っていない。11月4日、小索のために、新豪運酒[ロ巴]で“為野孩子楽隊小索送行”追悼ライブが行われた。その後、野孩子名義では活動はしていない。 2005年10月、オムニバス『口袋音楽精選@』に曲が収録された。同年、1997年8月23日のライブを収録したアルバム『黄河謡』が発売となった。 |
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1999年、成都の小酒館でのライブ |
2008年、『IN THE LOFT』が再版された。 2009年12月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽93』に曲が収録された。 周國彬はやがて雲南省大理でバー・五十碗小酒館を開いた。李正凱は2005年10月30日、無名高地酒[ロ巴]で行われた“記念我們的朋友(野孩子)小索”ライブに参加した。2007年3月、フランスのMathieuと共にユニットとして全国ツアーを行い、3月1-4日には、陝西省宝鶏で、3月6・7日、蘭州の時間音楽酒[ロ巴]で、3月10日には、青海省西寧の簡単日子酒[ロ巴]でライブを行った。3月24日、疆進酒酒[ロ巴]で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。9月15日、南鑼鼓巷で行われた“第二届南鑼鼓巷胡同文化節 創意市集”に参加した。4月27日、疆進酒酒[ロ巴]で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。5月19日、疆進酒酒[ロ巴]で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。(一部情報提供:佐藤あつしさん) |
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●インディーズアルバム
タイトル | 出版 | 発行 | 製作 | 発行年 | 品番 | 地域 |
咒語 | 自主製作 | 1999/2 | 品番無し(CT版) | 中国 | ||
IN THE LOFT | 石頭唱片 | 2002初 | 品番無し(CD版) | 中国 | ||
河音楽 | 2008 | 品番無し(CD版) | 中国 | |||
咒語 | 自主製作 | 2002/6 | 品番無し(CD版) | 中国 | ||
ARK 上海現場2002.11.1 | 自主製作 | 2002/11 | 品番無し(CD版) | 中国 | ||
黄河謡 | 河音楽 | 2005 | 品番無し(CD版) | 中国 |
●ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発行年 | 備考 |
Zhou Yu(咒語) | Wild Children[野孩子] | 1999 | |
摩登天空有声音楽雑誌5 | 1999/11 | ||
LIVE 小酒館1997−2002 | 2002/6 | ||
(曲名不明) | 2002 迷笛現代音楽節 Live | 2002/7 | ▼VCD |
離開 | 北京 Beijing Band 2001 | 2003 | 『引フ 2001』も |
弄品 | 我愛揺滾楽20 | 2003/6 | |
消失 | 口袋音楽03 | 2004/3 | |
口袋音楽精選@ | 2005/10 | ||
離開 | 我愛揺滾楽93 | 2009/12 |
●参加アルバム
歌手(楽隊)名 | 曲名 | アルバム名 | 発行年 | 参加形態 | 備考 |
栗正・鐘立風 | 栗正酒[ロ巴]@ 上集 | 1999 | 編曲・ギター・ベース・パーカッション(複数で) | メンバー(張[イ全]・小索・周國斌)が一緒に演奏したかどうか不明だが、クレジットあり▽下集にもクレジットあり▽全曲参加 | |
栗正酒[ロ巴]@ | 1999 | 編曲・ギター・ベース・パーカッション(複数で) | メンバー(張[イ全]・小索・周國斌)が一緒に演奏したかどうか不明だが、クレジットあり▽全曲参加 | ||
栗正 | 栗正酒[ロ巴]@ 下集 | 1999 | 編曲・ギター・ベース・パーカッション(複数で) | メンバー(張[イ全]・小索・周國斌)が一緒に演奏したかどうか不明だが、クレジットあり▽全曲参加 | |
鐘立風 | 吻(demo版) | 在路旁 | 2006/3 | 編曲・ギター・パーカッション | |
張[王韋][王韋]和郭龍 | [イ尓]等着我回来 | 2008/8/11 | 詞曲 | 3曲参加 |
●出演
出演媒体 | 曲名(題名) | 映像名 | 発行年 | 参加形態 | 備考 |
地下映画 | 後革命時代 | 2005/2 | ライブなど | ▼DVDあり |
●関連サイト
「野孩子」(中国語GB)
バンドのサイト。バンドプロフィールや写真、音楽視聴などがある。(以前のサイトは→ここ)
「RIVERMUSIC」(中国語GB)(相互LINK!)
野孩子楽隊が経営していたライブハウスのサイト。2003年8月14日で閉店となった。その後は音楽サイトとなった。
「野孩子」(UTF-8)
doubanより。バンドのコミュニティ。
「野孩子
Wild Children」(UTF-8)
doubanより。バンドのコミュニティ。
「揺滾記」(中国語GB)
ロックBBS。バンド専用のBBSがある。
「甘粛新音楽−−非官方媒体総合報道」(中国語GB)
甘粛ロック(主に蘭州ロック)のサイト。バンドに関する記事がある。