曹平 CAO PING
北京語:ツァオピン
“ロック伝教士”の異名を持つ、中国で本当のロックを初めて演奏したギターリスト。 1961年3月22日、北京で生まれる。3歳の時に広州に移る。1974年からギターを勉強し、1975年には、広州で有名なギターリスト・容氏兄弟にギターを教えてもらう。のち、弟の曹鈞までがギターを好きになったので、曹平は彼にギターを教えるようになる。1980年には、陳志の教材でギターを勉強、技術が格段にアップした。やがて曹鈞が香港の六線譜を入手。以後カセットを聴きながら英語の曲を練習し始める。当時先生の家で、BEATLESの曲を聴いていた。またFUNKを好んで聴くようになる。1982年、北京に戻る。1983年、英国の友達が持ってきたアーティストやロックに関する本を翻訳。 |
1985年には、“奥[王其]ギターコンテスト”に兄弟で出場する。そこで、高旗と知り合いになる。同年末には、七合板楽隊と交流を結ぶようになる。 1985年から1986年にかけて、高旗と音楽の行動を共にする。 1987年、高旗や曹鈞らとライブを行う。5月には、化工学院地下礼堂でのPARTYに参加する。このコンサート以後、高旗とともにバンド結成を企画、夏から美院に行って練習を開始した。メンバーには、張炬・朱佳・周松などがいた。しかし年末には解散。また同年秋には、Da Da Da楽隊を結成したが、1年あまりで解散。1988年には、曹鈞、趙年、何士[王奇]と共に時效楽隊を結成したが、翌年解散。当時、彼の住んでいた西三旗賓館では、多くのロッカー達が練習や、情報交換のためにやってきていて、ここに同居したことのあるロッカーは20人以上もいた。 1993年、北京迷笛音楽学校の創立時の教師となり、多くの海外教材を翻訳した。1996年、現代音楽学院を設立する。 曹平は国内外のロックに詳しく、またギターも得意であったため、多くのロッカーが彼の周りに集まってきた。中国ロック界で第一世代と呼ばれる人物から現在に到るまで、多くの人物が彼から音楽について教わっていた。バンド活動は決して成功したとはいえないが、中国ロックの発展に大きく貢献した人物である。 1998年には赤龍楽隊を結成し、同年10月11日、北京首都体育館で行われた中美武林高手(武術大会)のゲストとしてライブを行ったが、その後、赤龍楽隊の名前は聞かなくなった。 1999年、曹平音楽教室を設立する。 2003年10月2日、北京迷笛音楽学校で行われた吉他中国琴友会に曹鈞と楊樂が参加したが、彼らの演奏で、ゲストとしてドラムを叩いた。 現在でも音楽学校の教師を続けている。 |
|
●アルバム
タイトル | 出版 | 発行 | 製作 | 発行年 | 品番 | 地域 |
電貝司教程 | 公安部華盛音像出版社 | 広東傑盛唱片有限公司 | 2000 | ISRC CN-A63-99-317-00/V.G4(VCD版) | 中国 | |
架子鼓演奏法 | 公安部華盛音像出版社 | 広東傑盛唱片有限公司 | 2000 | ISRC CN-A63-99-327-00/V.G4(VCD版) | 中国 | |
拉丁鼓入門 | 中国科学文化音像出版社 | 北京劉伝風華図書有限公司策画 | 2006 | CSCDVD-334,ISRC CN-A23-06-0059-0/V・J6(DVD版) | 中国 |
●参加アルバム
歌手(楽隊)名 | 曲名 | アルバム名 | 発行年 | 参加形態 | 備考 |
呼吸楽隊 | 愛的光芒 | 呼吸 | 1990/7 | 作曲(高旗と) | |
中国大揺滾−−献給国際減災十年 | 1993/1/8 | 作曲(高旗と) | |||
揺滾衝撃波@ | 1994 | 作曲(高旗と) | |||
中国揺滾経典 | 1995 | 作曲(高旗と) |
●出演
出演媒体 | 曲名 | 映像名 | 発行年 | 参加形態 | 備考 |
VCD | 曹平教[イ尓]弾弗拉門ge吉他(上) | G2 吉他平方2004第10期 | 2004/10 | フラメンコギター教学 |
●関連サイト
「曹平老師的BLOG」(UTF-8)
個人のBLOG。
「広東傑盛唱片有限公司」(中国語GB)
練習教材VCDを製作、販売している会社のサイト。VCD紹介がある。