死逗樂楽隊 S.D.L
北京語:スードウラー
武漢のパンクバンド。1998年結成。メンバーは張海(Vo&G)ほか、呉維(B&Cho)と朱寧(Dr)の3人。音楽はオールドスクールパンク。彼らの演奏する曲の歌詞は、とても過激であまりにもストレートである。11月5日、江漢大学北区礼堂でライブを行った。12月3日、華中師範大学活動中心でライブを行った。12月19日、華中理工大学南四楼建築系館大庁でライブを行った。 1999年5月には広州でライブを行った。5月16日、湖北大学第三食堂で行われた“声討北約反対覇権(NATOのユーゴ中国大使館誤爆事件が発端)”パンクライブに参加した。10月29日、Boystoy Barで生命之餅楽隊・憤怒的狗眼楽隊・媽媽楽隊と共に1stDEMO発売記念ライブを行った。このDEMOは高い評価を受け、武漢パンクを代表する4バンドの1つとして、大陸中に名前を轟かせた。12月25日、安徽省合肥市の合肥市体育館で行われた“中北千禧揺滾之夜”に参加し、3000人以上もの観衆の前で演奏した。 2000年5月になり、ベースが任傑、ドラムが胡娟に代わる。間もなくして、2ndDEMOを制作した。やがて、ベースが麥顛となる。12月には、呉維(B&Cho)がバンドに復帰した。 |
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2002年12月21日、上海の音楽倉でのライブ |
2001年、音楽サイトweiku.comと契約した。6月になり、麥顛がギターを担当し、熊耀平(B)が加入したが、胡娟が脱退してしまう。そのため、ドラムがいなくなってしまった。その後新しいドラムが加入したようだが、10月になり、バンドは解散した。 2002年1月になり、再結成した。活動再開後の音楽スタイルは、デスコア。メンバーは張海(Vo&G)・麥顛(B&Cho)・朱寧(Dr)。3月30日、VOX声音酒[ロ巴]で行われたオープン記念ライブに参加した。4月27日、VOX声音酒[ロ巴]でライブを行った。9月26日、TOTO酒[ロ巴]でライブを行った。10月12日、南昌市の百老匯酒[ロ巴]で行われた“碑三期南昌首発式”に参加した。10月16日、TOTO酒[ロ巴]でPK14楽隊の孫霞のために行われたチャリティライブに参加した。11月16日、TOTO酒[ロ巴]でライブを行った。12月18日、南京の莱鳥酒[ロ巴]でライブを行った。12月20日、杭州の杭州市広播電視高等専科学校でライブを行った。12月21日、上海の音楽倉でライブを行った。12月30日、長沙市のDD BOX酒[ロ巴]でライブを行った。 |
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2000年の写真 |
2003年、フランスのVialkaと共に“NO
WAR Tour”を開始し、3月29日、石家庄の奥ka羅倶楽部で、3月30日には、天津のmy
disco.md酒城で、4月4日には北京のCD CAFEで、4月10日、四川音楽学院通俗音楽校区で、4月12日、重慶の沙坪[土貝]芸念酒[ロ巴]で、4月18日、武漢の7&7酒[ロ巴]で、4月19日、長沙の魅力四射酒[ロ巴]でライブを行った。6月、石頭唱片(STONE
MUSIC)と契約し、オムニバスのために曲をレコーディングした。9月12日、唯美音楽台でライブを行った。10月3日、北京で行われた迷笛音楽節に参加した。10月、曲が収録されたオムニバス『荒漠旅行』が発売となった。 2004年、麥顛がベースからギターに転向し、新たに胡宇飛(B)が加入した。4月3日、7&7酒[ロ巴]で行われた“紀念NIRVANA”ライブに参加した。5月11日、新起点酒[ロ巴]でライブを行った。5月19日からフランスのVialkaと共にヨーロッパツアーを開始し、6月26日までにフランス・イタリア・スロヴェニア・オーストリア・ドイツ・デンマーク・オランダ・ベルギーを巡演した。1回のツアーでこれだけの国と都市を巡演したのは、中国のバンドとしては初めてである。ツアーの際のメンバーは、張海(Vo&G)・麥顛(B&Cho)・朱寧(Dr)。 8月、バンドは解散した。 |
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●インディーズアルバム
タイトル | 出版 | 発行 | 制作 | 発行年 | 品番 | 地域 |
死逗樂 | 自主制作 | 1999 | E-90(CT版) | 中国 | ||
2ndDEMO(正式タイトル不明) | 2000 | 中国 |
●ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発行年 | 備考 |
I wanna F××× you | 摩登天空有声音楽雑誌9 | 2000/5 | |
SAY YES OR SAY NO | 荒漠旅行 | 2003/10 | |
摩托青年 | 荒漠旅行 | 2003/10 | |
心霊敵人 | 荒漠旅行 | 2003/10 |
●関連サイト