U235楽隊

日本語訳:ウラン235 中国語名:[金由] 235

 1998年3月24日に四川省楽山で結成された女性パンクバンド。結成当初は、メンバーが5人で、この頃はコピーバンドであった。徐麗麗は当初、ボーカル兼リズムギターであったが、キーボードとベースが脱退してしまったため、徐麗麗はギターを辞め、ベースを弾くようになる。のち、ドラムも脱退し、固定メンバーは徐麗麗(Vo&B)と劉敏(G)の2人だけとなってしまった。

 1999年、EP『一次演出』を製作した。同年、このEPが音楽雑誌関係者に認められ、カセット付き音楽雑誌『朋克時代 VOL.3』に「安眠曲」が収録された。

 のち、成都で活動するようになり、2000年にはオムニバス『地下成都』に作品が収録された。この時のメンバーは徐麗麗(Vo&B)・劉敏(G)・張琳(Dr)。やがて、ドラムが王ganとなる。

2001年4月13日、成都の小酒館でのライブより
(写真:
蔡鳴

 2000年3月、カセット付き雑誌『自由音楽 第三期』に曲が収録された。4月30日・5月1日、迷笛音楽節に参加したようだ。7月、小酒館で高校時代最後のライブを行った。8月には、北京迷笛音楽学校で日本のバンド・RUINSとともにライブを開いた。8月12日、太原の貝塔斯曼城堡で盤古楽隊らとライブを行った。9月15日、上海のU-LIKE酒[ロ巴]でライブを行った。10月15日、合肥の合肥琴島演芸広場でライブを行った。10月末から12月にかけて、再び北京でライブを行った。この時、ドラムは毛豆孫[王韋]がサポートした。

 2001年、音楽サイトweiku.comと契約した。4月13日、成都の小酒館でのライブを行った。同月から、成都を離れ南京に移り住んだ。この時、倪辰蔭(Dr)が参加した。6月14日には、他の成都のバンドとともに深[土川]の根拠地酒[ロ巴]でライブを行った。9月、『地下成都2』に彼女らの曲が収録されたが、この時ドラムは楊森が務めていた。12月30日、雲南省昆明で行われた“中国芸術在行動−−昆明現代音楽節”に参加した。この時、ドラムは阿勇が担当した。同年、再び成都へ戻った。

2000年7月、小酒館のライブにて
(写真:
蔡鳴

 2002年1月2日も“中国芸術在行動−−昆明現代音楽節”に参加したが、ドラムは曹操が務めた。1月17日には、成都の華西医大室内バレーボール場で行われた小酒館五周年記念ライブに参加した。18日にも、小酒館で行われた小酒館五周年記念ライブに参加した。小酒館五周年記念ライブを最後に、バンドは解散した。

 バンド解散後の6月、オムニバス『LIVE 小酒館1997−2002』に作品が収録された。2003年6月、CD付雑誌『極度揺滾NO.2』に曲が収録された。

 徐麗麗は2003年、成都で河床楽隊を結成したが、その後大理へ行き、商売を始めた。

 
 

 

●インディーズEP

タイトル 出版 発行 製作 発行年 品番 地域
一次演出     自主製作 1999   中国

 

●ソロ発表曲

曲名 アルバム名 発行年 備考
安眠曲 朋克時代 VOL.3 1999  
姥姥 自由音楽 第二期 2000/3  
地下成都 2000/4  
在底下 2000/12  
LIVE 2001 ライブ▼VCD
沈睡的殷墟 地下成都2 2001/9  
LIVE 2001 ライブ▼VCD
LIVE 小酒館1997−2002 2002/6  
極度揺滾NO.2 2003/6  
布拉吉 小酒館五周年紀念巡演 2003/6 ライブ▼VCD

 

●関連サイト

歓迎参観1999中国民間音楽牧場(下)」(中国語GB)
邱大立が書いた記事。簡単なバンド紹介とアルバム紹介がある。

 

MENU