死藥丸楽隊 SIYAOWAN

北京語:スーヤオワン

 瀋陽のパンクバンド。1998年8月結成。メンバーは瀋陽骨科医院の医者である付多(Vo)のほか、大果(G)・志明(B)・小志(Dr)。11月5日、遼寧大学で初ライブを行う。その後、王會東(B)が加入した。同年末、韓天(B)が加入してからは、バンドが安定する。

 1999年になり、劉偉(G)が加入する。同年、撫順雷鋒体育場で行われた大型ロックコンサートに参加した。同年半ば、韓天が脱退し、小宇(B)が加入した。

 1999年にはDEMO『車泯頌』を製作した。2000年、大果が脱退した。12月19日には、瀋陽の凱特金酒[ロ巴]でライブを行った。

 瀋陽でライブパフォーマンスに定評があり、人気がある。

 2001年頃、劉偉小志PROZAC楽隊に加入した。2001年4月15日、WHO ARE YOU楽隊画策の“我們只為音楽”中型演唱会に出演した。7月15日、芭娜娜DISCO広場で“為了告別的聚会(瀋陽さよならライブ)”を行った。11月24日、部落人酒[ロ巴]でのライブを最後に瀋陽を後にした。この最後のライブでは、演奏中に兎を殺すというパフォーマンス(実際には殺していない)で、観客の度肝を抜いた。その後、活動の拠点を北京へ移した。

2004年5月28日、新豪運酒[ロ巴]で行われたライブ
(写真:虔仟仙兒)

 2002年2月28日、瀋陽の嬉皮士酒[ロ巴]でライブを行った。10月18日、哈爾濱の哈爾濱学院(師専)籃球館で行われた“第五届魔韵揺滾音楽節”に参加した。11月2日、北京の豪運酒[ロ巴]でライブを行った。11月23日、瀋陽恵盛隆倶楽部で行われた病蛹楽隊のライブゲストを務めた。

 2003年4月6日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。4月19日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。8月17日、北京の蔵酷酒[ロ巴]でライブを行った。9月20日、豪運酒[ロ巴]で行われた痛苦的信仰楽隊の結成4周年記念ライブでゲストを務めた。12月6日、瀋陽のka薩布蘭ka国際倶楽部でライブを行った。12月12日、豪運酒[ロ巴]で行われた液yang罐頭楽隊のバンド結成3周年記念ライブにゲスト出演した。この頃のギターは王友金が務めていた。

 2004年のメンバーは、付多(Vo)・王友金(G)・小宇(B)・小志(Dr)。4月4日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。5月1日、北京の朝陽公園で行われた“朝陽流行音楽周”に出演した。

2000年12月21日、凱特金酒[ロ巴]で行われたライブ
(写真は
自由之声のサイトより)

 5月15日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。5月28日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。7月24日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。8月22日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。9月4日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。10月6日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。1122日、無名高地酒[ロ巴]で行われた“中国地下音楽網3歳生日聚会”に参加した。11月27日、北京の酷玩酒[ロ巴]でライブを行った。同年、2ndDEMOを製作し、インディーズで販売した。

 2005年1月1日、蔵酷で行われた新年ライブに参加した。1月2日、無名高地酒[ロ巴]で行われた“霊魂的哀鳴−記念潘多拉前吉他手Dimebag Darrell義演(Panteraの元ギターリスト・Dimebag Darrell追悼ライブ)”に参加した。3月5日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。3月19日、老豪運酒[ロ巴]でライブを行った。4月9日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。4月30日、雲夢酒[ロ巴]で行われた反日ライブに参加した。

 同年6月、バンドは雜音楽隊と改名した。

 東子は2000年末、J-B-SLASH楽隊に加入した。王友金は2003年後半、夜叉楽隊に加入し、ギターを務めた。

 
 

 

●インディーズアルバム

タイトル 出版 発行 製作 発行年 品番 地域
車泯頌     自主製作 1999 品番無し(CT版) 中国
2ndDEMO(タイトル不明)     自主製作 2004 品番無し(CD版) 中国
為了告別的聚会 死藥丸(雑音)現場     FREE Sound 2005 品番無し(CD版) 中国
自由之声電台(第一期) 死薬丸(雑音)楽隊 訪談     FREE Sound 2005 品番無し(CD版) 中国

 

●ソロ発表曲

曲名 アルバム名 発行年 備考
習慣了 在底下 2000/12  
浪漫的都−車泯頌 血色童心 2001/8  
我愛揺滾楽11 2002/1 血色童心』と同じ

 

●関連サイト(→雜音楽隊

歓迎参観1999中国民間音楽牧場(上)」(中国語GB)
邱大立が書いた記事。簡単なバンド紹介とアルバム紹介がある。

 

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