髓楽隊 MARROW
北京語:スイ
上海のバンド。2002年4月結成。メンバーは范強(G)・鐘科(G)・王玉龍(Dr)・袁[王丁](女性)(Vo)・張凱(B)。音楽スタイルはノイズ、グランジ、サイケデリックなど。ソニックユース、スマッシングパンプキンズに影響を受けた。 7月13日、挂二音楽工場二周年記念ライブに参加した。8月3日、音楽倉のオープニングライブに出演した。8月24日、南京の紅色気球音楽坊でライブを行った。10月16日、華東師範大学礼堂でライブを行った。12月17日、上外逸夫会堂でライブを行った。12月31日、禾火餐庁でライブを行った。 2003年4月20日、新天地ARKで行われた“我們這一代”ライブに参加した。4月に発売されたオムニバス『泛音盒1』に曲が収録された。5月には、北京で行われる迷笛音楽節に出演予定であったが、迷笛音楽節が延期となってしまった。 |
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2004年12月4日、新天地ARKで行われたライブより |
6月27日、1088酒[ロ巴]でライブを行った。7月11日、虹橋上海城前の東広假日音楽広場で行われた『泛音盒1』宣伝ライブに参加した。その後、メンバーが范強(G)・王玉龍(Dr)・袁[王丁](Vo)・YANN(仏人)(B)となった。9月27日、頂層画廊でライブを行った。10月2日、北京で行われた迷笛音楽節に参加した。この時、袁[王丁]は白い布を被って歌を歌い、観客の注目を浴びた。 その後、范強の脱退などにより、調整期間に入り、ライブ活動は休止となる。 残った王玉龍と袁[王丁]は、新たなメンバーを招集して活動を再開した。メンバーは袁[王丁](女性)(Vo)・deng佳宏(女性)(Vo)・張鋒(元・TOFFEE楽隊)(G)・李林楓(G)・FREDRIK(B)・王玉龍(Dr)。メンバーの変更に伴い、バンド名を旋楽隊にしようとしたが、結局は髓のままであった。 |
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2006年4月7日、育音堂でのライブ |
2004年4月11日、新天地ARKで行われた“再見涅磐”NIRVANA10周年記念上海楽隊ライブに参加した。この時が新しいメンバーになってから初めてのライブであった。その後、deng佳宏は脱退した。また、呉凱(B)が加入した。9月28日、新天地ARKで行われた“原創主張・滬上行---CCII中外設計師新天地揺滾PARTY”に参加した。10月7日、羅馬假日で行われた“揺滾大閲兵”ロックコンテストに参加した。10月17日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。11月20日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。12月4日、新天地ARKで行われた“give
live a chance 2004 Shanghai John Lennon Tribute”に参加したほか、同時に発売されたアルバムに曲が収録された。12月4日、哈雷酒[ロ巴]で行われた“喜歓上海的理由”音楽PARTYに参加した。 2005年1月16日、哈雷酒[ロ巴]で行われた“口袋音楽創刊一周年記念”ライブに参加した。その後、活動が休止となる。3月、1stDEMOが発売となった。 2006年、活動を再開した。メンバーは袁[王丁](Vo)・張鋒(G)・李林楓(G)・フランス人(B)・王玉龍(Dr)。 |
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3月18日、SHUFFLE MUSIC BARでライブを行った。4月7日、育音堂で低苦艾楽隊と共にライブを行った。 同年、バンドは解散した。 張鋒・王玉龍は、バンド解散後、香蕉猴子楽隊を結成した。 李林楓は2004年、SLIT楽隊に加入した。2005年前半、[口/力]一種光亮楽隊に加入し、ギターを担当した。2006年7月、香蕉猴子楽隊に加入し、ベースを担当した。鐘科は2005年、傀儡戯を結成した。同年半ば、頂樓的馬戯團に加入し、ドラムを担当した。2006年3月、THE FUCKENROLLS楽隊を結成し、ドラムを担当した。 |
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2003年4月20日、新天地ARKでのライブ |
●インディーズアルバム
タイトル | 出版 | 発行 | 製作 | 発行年 | 品番 | 地域 |
髓 | MAYE EXPERIMETATION MUSIC | 2005/3 | 品番無し(CD版) | 中国 |
●ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発行年 | 備考 |
鳥的理想 | 泛音盒1 | 2003/4 | |
love | give live a chance 2004 Shanghai John Lennon Tribute | 2004/12 |
●関連サイト
「髄」(中国語GB)(相互LINK!)
幽声隧道より。バンド専用のBBSがある。