新空気 FRESHAIR

北京語:シンコンチ

 広州のグループ。1987年、広東省軽音楽団に所属していた張全復解承強畢曉世が広州で結成した。結成の動機は、3人で活動すれば資金面でも、創作の面でも強力になると考えたからであった。新空気音楽組合の名前でクレジットされることより、個々でクレジットされることが多く、彼らの創作する曲はポップスであったが、南方歌壇では、ポップスとロックの区別がなかったため、人々は彼らの音楽をロックとも流行音楽とも受け取った。

 最初に参加したアルバムは、1987年発売の程琳の『新歌・1987』で、メンバーがそれぞれ楽曲を提供し、何れの曲も大ヒットとなった。同年、1stアルバム新空気的声音』が発売となった。1980年代後半は、西北部の民謡の流れを組む“西北風”スタイルを採用した曲を発表して大ヒットさせ、西北風の祖とも言われた。

新空気的声音』のジャケットより

   1988年初、北京で行われた環境保全をテーマとした“第二届百名歌星演唱会”に参加した。この時は、新空気楽隊としての参加であった。6月、北京でコンサートを行った。北京でのコンサートを行うことによって、北京のミュージシャンや歌手・音楽関係者と交流することになった。創作曲のレベルや演奏技術は当時の北京のバンドのレベルを超えているとも言われ、中央電視台(テレビ)の大型コンサートなどの伴奏を数多く務めることになった。

 新空気音楽組合が張全復解承強畢曉世の3人のグループを示すのに対し、新空気楽隊はこの3人以外に固定していないメンバーが加わった形である。固定はしていないが、比較的長期に渡って新空気楽隊に参加したメンバーは呉立群(撈仔)(G)・李小林(B)・賀宇旭(Dr)・畢曉笛(Key)である。

 1989年、卜通100歌舞庁がオープンし、新空気楽隊は専属バンドとなった。7月、広州の友誼劇院で3回コンサートを開いた。

 1990年1月、上海の黄浦体育館で“太陽神新空気上海演唱会”を開いた。3回渡ったこのコンサートは大成功を収めた。

 その後も卜通100歌舞庁で活動しているが、新空気楽隊は卜通100・新空気大楽隊または卜通100楽隊と呼ばれるようになり、バンド形態が変化し、張全復解承強畢曉世の3人は新空気から離れた。

 2002年5月になり、CCTVの番組『同一首歌』の要請を受け、久々に3人が一緒にライブを行った。この時は、張全復(ビオラ)・解承強(チェロ)・畢曉世(バイオリン)という編成であった。

 

 

●アルバム(→撈仔

タイトル 出版 発行 制作 発行年 品番 地域
新空気的声音 東方歌舞団録音公司     1987 DF-1027(CT版) 中国

 

●ソロ発表曲

曲名 アルバム名 発行年 備考
只有一個地球 地球的孩子 1988  

 

●参加アルバム

歌手(楽隊)名 曲名 アルバム名 発行年 参加形態 備考
竇鵬 我們来自東方 黒月亮A1 1991 演奏  
秦勇 脚下就是[イ尓]的路 黒月亮A1 1991 演奏  
胡月 流浪的燕子 黒月亮A1 1991 演奏  
胡寅寅 輪回線上的太陽 黒月亮A1 1991 演奏  
林依輪 従前的地方 火火的歌謡 1995 詞曲  

 

●関連サイト(→卜通100楽隊

広州楽隊 開始純美音楽的方向」(中国語GB)
南方報業網より。バンドの記事がある。

 

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