襁褓楽隊 QIANGBAO

北京語:チャンバオ

 成都のバンド。1996年6月結成。メンバーは、袁晴(Vo&G)・黎深(リズムG)・冉爲(B)・何文鼎(Dr)。結成当初はヘビーメタルバンドであった。黎深はすぐ脱退してしまった。

 1997年4月には、3曲ほどレコーディングを行う。この時の音源が、のちオムニバス『地下成都』に収録された。完成度はとても低く、音楽の出来の悪さに失望してしまう。暫くの間、自分たちの方向を探っていたが、4ADのバンドに影響を受け、スタイルを見出していく。

 9月には、上海の過敏楽隊の曾泰(Dr)を加える。12月、曾泰がバンドを脱退する。3人目の新しいドラマーを加えるが、半月あまりで脱退してしまう。そして、バンドは解散となった。

2000年10月6日のライブ
(写真:
蔡鳴

 その後、袁晴は夾江という都市で風信子花楽隊を結成するが、1ヶ月あまり活動の後、成都に戻る。暫くして、冉爲をメンバーに加えてバンド名を襁褓楽隊の名前にする。ここにおいて、襁褓楽隊は再び活動を始めた。再結成後は、SONIC YOUTHやU2などを目標にするなど、スタイルも以前と異なっていた。しかし、袁晴が音楽活動に疑問を持ち始めてしまい、嫌悪感を抱いたことから、活動は不可能となり、1998年12月に解散となってしまった。

 1998年12月まで、合計2年半ほど活動を続けたが、6回も解散をするなど、トラブル続きのバンドであった。しかし、袁晴はこのバンドに対して相当未練があったようで、2000年3月には、袁晴(Vo&G)・冉爲(B)・孟[日含](Dr)が集まり、襁褓楽隊時代の曲をレコーディングする。

 6月には、袁晴が組んでいた交媾者的巣穴楽隊の名前を襁褓楽隊にして、再び襁褓楽隊は活動を開始した。この時のメンバーは、袁晴(Vo&G)・張黎兵(G)・顔[王路](B)・孟[日含](Dr)だった。

2000年10月6日のライブ
(写真:
蔡鳴
 8月、羅友生(G)が加入し、DEMO発育過程中下落』を製作する。10月、羅友生は音楽性の違いにより脱退してしまった。10月6日、万国商場酒[ロ巴]街で行われた“熊猫商城揺滾音楽会”に出演し、唐朝楽隊爻釋・子曰楽隊と同じ舞台に立った。10月末から11月にかけて、北京でライブを行った時は、ベースに冉爲が復帰していたほか、馬俊傑(米国人)(サポートバイオリン)が参加していた。

 北京から成都に戻ってきたあと、また解散してしまった。

 解散した後の2001年、音楽サイトweiku.comと契約した。1月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽6』に曲が収録された。2002年6月、オムニバス『LIVE 小酒館1997−2002』に作品が収録された。

 2003年4月、CD付雑誌『極度揺滾』に曲が収録された。

ボーカル兼ギターの袁晴
(写真:
地下成都

 

●インディーズアルバム

タイトル 出版 発行 製作 発行年 品番 地域
発育過程中下落 暗漬横行出品   2000/8 記載無し(CD版) 中国

 

●ソロ発表曲

曲名 アルバム名 発行年 備考
天生残缺 地下成都 2000/4 クレジットは「天生的残缺」
極度揺滾 2003/4  
未来象是陰謀 我愛揺滾楽6 2001/1  
磁谷 LIVE 小酒館1997−2002 2002/6  
TOKYO DOG 小酒館五周年紀念巡演 2003/6 ▼VCD
母愛 小酒館五周年紀念巡演 2003/6 ▼VCD

 

●関連サイト

襁褓楽隊討論区」(中国語GB)
襁褓楽隊のBBS。彼らの動向が分かる。

武漢揺滾」(中国語GB)
武漢ロックに関するサイト。プロフィールと音源がアップロードされている。

 

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