「佐藤誠也」の版間の差分
提供:Chinese Rock Database
ナビゲーションに移動検索に移動29行目: | 29行目: | ||
[[日本]]でTHE FISHを結成し、[[ベーシスト]]としての活動を始める。 | [[日本]]でTHE FISHを結成し、[[ベーシスト]]としての活動を始める。 | ||
− | やがて[[北京市]]に留学し、[[常寛]] | + | やがて[[北京市]]に留学し、[[常寛]]のアルバム制作に加わったほか、1992年には、[[常寛]]のサポートメンバーとして、[[香港]]で行なわれた「万事発音楽節」に参加した。 |
− | + | 1993年、[[晩間新聞楽隊]]に加入して「拒绝选择」のレコーディングに参加した。同年12月には、北京大鐘寺で買った生レバを食べた日に、稲田静夫・金聖奎(G)と共にTHE LIVERSを結成した。また、THE DEPENDANTSという外国人留学生のみのバンドにも参加し、[[イギリス]]のニュースに取り上げられていた。 | |
+ | |||
+ | 1994年、[[表情楽隊]]に加入した。 | ||
その後、[[日本]]に帰国し、中国での音楽活動は行なっていない。 | その後、[[日本]]に帰国し、中国での音楽活動は行なっていない。 |
2021年1月19日 (火) 13:09時点における版
佐藤誠也 | |
---|---|
THE LIVERSでの写真。(写真提供:THE LIVERS) | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 佐藤诚也 |
中国語名(繁体字) | 佐藤誠也 |
拼音 | Zuoteng Chengye |
発音転記 | ズオトン チョンイエ |
別名 | ピロリー誠也 |
出身地 | 日本 |
担当楽器 | ベース |
佐藤誠也(さとう せいや)は、かつて北京市で活動していた日本人ベーシスト。
経歴
日本でTHE FISHを結成し、ベーシストとしての活動を始める。
やがて北京市に留学し、常寛のアルバム制作に加わったほか、1992年には、常寛のサポートメンバーとして、香港で行なわれた「万事発音楽節」に参加した。
1993年、晩間新聞楽隊に加入して「拒绝选择」のレコーディングに参加した。同年12月には、北京大鐘寺で買った生レバを食べた日に、稲田静夫・金聖奎(G)と共にTHE LIVERSを結成した。また、THE DEPENDANTSという外国人留学生のみのバンドにも参加し、イギリスのニュースに取り上げられていた。
1994年、表情楽隊に加入した。
その後、日本に帰国し、中国での音楽活動は行なっていない。
日本に帰国してからも、神戸でTHE LIVERSの活動を続けている。メンバーが日本人・韓国人・北朝鮮人という多国籍なバンドになった時期もあった。THE LIVERSの2002年のメンバーはニューカン浜(Dr)・ピロリー誠也(佐藤誠也)(B)・ゴールド金(金聖奎)(G)・甘利匡輔(デッド甘利)(G)・グアバ稲田(ハープ)・オール全(Vo)・プリンス久保(Key)である。2003年夏には、ニューカン浜(Dr)・ピロリー誠也(佐藤誠也)(B)・ゴールド金(金聖奎)(G)・甘利匡輔(デッド甘利)(G)となり、ボーカルはメンバーみなで担当しているほか、活動拠点を東京・横浜に移した。
(一部情報提供:XIAOXUEさん、パンズさん、グアバ稲田さん)
ディスコグラフィー
参加アルバム
アーティスト・バンド名 | 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
常寛 | 今天的一切 | 1992/8 | 編曲(複数で) | 全曲参加 | |
常寛 | 玩世不恭 | 揺滾北京 | 1993 | ベース | 中国盤CD・香港盤には収録されていない |
晩間新聞楽隊 | 拒绝选择 | ’94 中国之火壹 | 1994 | 詞曲(複数で)、ベース | 『揺滾列車壹』も |
晩間新聞楽隊 | 拒绝选择 | 揺滾之旅壹 | 1996 | 詞曲(複数で)、ベース | 『’94 中国之火壹』と同じ |
外部リンク
- 日本語
- オフィシャルサイト。