単行道楽隊

提供:Chinese Rock Database
2011年8月13日 (土) 14:37時点におけるYaonpghab (トーク | 投稿記録)による版
ナビゲーションに移動検索に移動
単行道楽隊
Danxingdao 21.jpg
2005年12月3日の写真。(写真:九州音楽
基本情報
中国語名(簡体字) 单行道
中国語名(繁体字) 單行道
拼音 Danxingdao
発音転記 ダヌシンダオ
英語名・外国語名 One Way
出身地 広東省深圳市
ジャンル ハードロックポップロック
活動期間 1993年3月 -
メンバー 馮松涛
阿宝
青蛙
南方大揺滾 太平洋一号風暴1994’』の歌詞カードより。

単行道楽隊(ダヌシンダオ、Danxingdao)は、広東省深圳市で結成となり、広州市北京市でも活動しているバンド。南方のバンドで初めてロックアルバムを発売したバンドである。

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

経歴

バンド名の「単行道」(日本語で一方通行)は、「我々はただ1つの方向のみ、ただ1つの道しかない」という意味である。

1994年初、オムニバス・アルバム南方大揺滾 太平洋一号風暴1994’』のために、「南方之痛」をレコーディングした。

1995年9月、太平洋影音公司と契約し、1stアルバム『姥姥』を発売した。アルバム発売は、南方のバンドとしては初の快挙であった。同年、オムニバス・アルバム南方都市揺滾』に4曲が収録される。その時のメンバーは6人編成であったが、結成当初からのメンバーは馮涛松太陽・肖子亮の3人だけとなってしまった。

1996年、活動拠点を広東省広州市に移した。

南方のバンドで20世紀中にソロアルバムを発売したのは、彼らだけであった。南方にもロックが根付いているということを知らしめたが、アルバムを発売してからは活動が停滞する。

1997年、劉冲が加入する。同年初、深圳坤田影音公司と契約し、2ndアルバム『最後的玫瑰』をレコーディングするが、深圳坤田影音公司が倒産してしまったため、発売には到らなかった。

1999年6月、突然馮松涛が2ndアルバム収録曲の「最后的玫瑰」と「你要飞」の版権を台湾上華唱片に売り渡してしまった。これを聞いた劉冲は憤慨し、バンドを離脱する。

2000年になり、オムニバス・アルバム『我看到未来』に作品を2曲発表した。

また、2002年12月発売の阿涛&喜児の『苦菜花』の演奏クレジットに、「吉它兄弟楽団(単行道)」との記載があった。メンバーはかつて単行道に参加していた面々である。

作品を発表したり、たまにライブを行なっていたが、活動は停滞気味であった。

2005年1月、バンド活動を本格的に再開した。

2006年1月に発表した「猪都笑了」は、中国娯楽FLASH歌曲で半年以上1位となったほか、GOOGLEの検索量は1千万回を超えるなど、ネット上で大好評を博した。ポップロックとユーモラス、バラードが一体化となった曲である。同年から北京市に移住し、北京星之光文化伝播有限公司と契約した。9月7日、2ndアルバム『猪都笑了』が発売となった。   

2007年から、また活動が停滞した。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
南方之痛南方大揺滾 太平洋一号風暴1994’1994/5/15
故乡的来信南方都市揺滾1995
你要飞南方都市揺滾1995
那一分自我南方都市揺滾1995
野战排南方都市揺滾1995
告别我看到未来2000
灯光 - 给那个火红的年代我看到未来2000

参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考
阿涛&喜児苦菜花2002/12演奏全曲参加▽クレジットは吉它兄弟楽団(単行道)

主要なライブ・コンサート

深[土川]のバンド。1993年3月結成。「單行道」(日本語で一方通行)は、「我々はただ1つの方向のみ、ただ1つの道しかない」という意味である。  1994年初、ロックオムニバス『南方大揺滾一』のために、「南方之痛」をレコーディングした。この時のメンバーは、リーダーの馮鬆濤(Vo&G)ほか、太陽(Key)・肖子亮(B)・洛石(梁錦彪)(Dr)・華仔(サポートG)。「南方之痛」は、馮鬆濤のバンドでの初の創作作品であった。同年11月5日には、深[土川]のNirvana酒[ロ巴]で行われた“新群衆”ロックコンサートに他の南方のバンドとともに参加した。

 1995年9月、太平洋影音公司と契約し、1stアルバム『姥姥』を発売した。アルバム発売は、南方のバンドとしては初の快挙であった。この時のメンバーは、馮鬆濤(G&Vo)・黒ma(Vo)・青蛙(G)・太陽(Key&Per)・子亮(B)の5人だった。同年、オムニバス『南方都市揺滾』に4曲が収録される。その時のメンバーは、文歌(Vo)・馮鬆濤(G)・馬乾游(G)・太陽(Key)・蘇英俊(Dr)・肖子亮(B)と、6人編成になった。結成当初からのメンバーは馮鬆濤・太陽・肖子亮の3人だけとなってしまった。


2005年12月3日の写真 (写真:九州音楽)


 南方のバンドで20世紀中にアルバムを発売したのは、彼らだけであった。南方にもロックが根付いているということを知らしめたが、アルバムを発売してからは活動が停滞する。

 1997年、劉冲(Vo)が加入する。同年初、深[土川]坤田影音公司と契約し、2ndアルバム『最後的[王攵]瑰』をレコーディングするが、深[土川]坤田影音公司が倒産してしまったため、発売には到らなかった。1999年6月、突然馮鬆濤が2nd収録曲の「最後的[王攵]瑰」と「[イ尓]要飛」を台湾の上華唱片に売ってしまった。これを聞いた劉冲は憤慨し、バンドを離脱する。

 2000年になり、突如オムニバス『我看到未来』に作品を2曲発表した。9月22・23・24日には、龍勝[ロ巴]でライブを行った。

 また、2002年12月発売の阿濤&喜兒の『苦菜花』の演奏クレジットに、「吉它兄弟楽団(單行道)」との記載があった。メンバーはかつて單行道に参加していた面々である。

『南方大揺滾 太平洋一号風暴1994’』の歌詞カードより

 2003年12月末から2004年初にかけて行われた“2003深[土川]歓楽谷流行音楽節”に出演した。  2005年1月、バンド活動を再開した。メンバーは、阿濤(Vo&B)・阿寶(韋景冠)(Vo)・青蛙(リードG&Vo&MIDI)。

 2006年1月に発表した「猪都笑了」は、中国娯楽FLASH歌曲で半年以上1位となったほか、GOOGLEの検索量は1千万回を超えるなど、ネット上で大好評を博した。ポップロックとユーモラス、バラードが一体化となった曲である。同年から北京に移住し、北京星之光文化伝播有限公司と契約した。9月7日、北京の無名高地酒[ロ巴]で2ndアルバム『猪都笑了』アルバム発表会を行った。9月23日、北京の豪運酒[ロ巴]でライブを行った。10月4日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。10月15日、北京の星光現場音楽庁でライブを行った。10月25日、北京の星光現場音楽庁でライブを行った。12月2日、広州のBUNKER[ロ巴]でライブを行った。12月3日、広州のSOLO[ロ巴]でライブを行った。

 元メンバーの史小鵬(G)は、2006年10月、夏楽隊を結成した。

  

 

 



外部リンク

  • UTF-8