The Believers楽隊

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The Believers楽隊
基本情報
中国語名(簡体字) 信徒
中国語名(繁体字) 信徒
拼音 Xintu
英語名・外国語名 The Believers
出身地 北京市
ジャンル オールドスクールパンク(初期)・ハードコア
活動期間 2003年8月 -
メンバー 胡寧



ファイル:11.jpg
(写真:)

The Believers楽隊(、、)は、2000年代半ば、北京市で活動していたバンド。

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

経歴

2003年8月末結成。メンバーは胡寧([口/力]一種意見楽隊)(Vo&G)・徐海龍(元・徒勞楽隊)(B)・關錚(Dr)。バンド名は中国語で信徒であるが、どの宗教にも属せず、自分達の独立した思想の事を表している。音楽はオールドスクールパンクであるが、どのバンドの真似をせず、オリジナルティーを持たせようとしている。そのうち、ハードコアの要素が強まった。結成から1週間後、rave clubで初ライブを行った。9月、劉昊(B)が加入した。10月、1stEP『Keep everything fucking chaos』をインディーズで発売した。10月11日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。10月25日、天津の自由輪渡酒[ロ巴]でライブを行った。同月末、劉昊が脱退した。そして、江志(元・噬君楽隊)(G)が加入した。11月22日、B52酒[ロ巴]でライブを行った。12月13日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。同月末、劉可(元・死扣楽隊)(B)が加入し、メンバーは胡寧(Vo)・江志(G&Cho)・劉可(B&Cho)・關錚(Dr&Cho)となった。12月28日、主暢酒[ロ巴]で行われた台湾の滅火器楽隊や半導體楽隊のライブの前座を務めた。12月31日、B52酒[ロ巴]でライブを行った。

2008年3月のメンバー (写真:馬也rocky、信徒)


 2004年2月、CD付雑誌『通俗歌曲VOL.261』に曲が収録された。4月9日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。4月10日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。4月30日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。4月30日、WHAT酒[ロ巴]でライブを行った。5月1日、路尚珈琲でライブを行った。5月、1stDEMO『FACK THE RED LAND』をインディーズで発売した。5月半ば、雷震天地国際文化(北京)公司とイベント活動面での契約をした。5月23日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。6月5日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。6月12日、路尚珈琲でライブを行った。6月13日、WHAT酒[ロ巴]でライブを行った。6月25日、雲夢酒[ロ巴]でライブを行った。7月10日、雲夢酒[ロ巴]でライブを行った。8月7日、雲夢酒[ロ巴]でライブを行った。8月14日、廊坊市の明珠影劇院二楼でライブを行った。8月19日、青島で行われた“第十四届青島[ロ卑]酒節”に出演した。8月21日、雲夢酒[ロ巴]で日本のパンクバンド・KATTUやDOKURO PIECEと一緒にライブを行った。8月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽33』に曲が収録された。9月4日、WHAT酒[ロ巴]でライブを行った。9月17日、無名高地酒[ロ巴]で行われたJOY SIDE楽隊の1stアルバム発表会に参加した。10月2日、北京国際雕塑公園で行われた迷笛音楽節に参加した。10月9日、成都の小酒館でライブを行った。10月16日、重慶の第一現場音楽酒[ロ巴]でライブを行った。 

2006年7月23日、上海の育音堂でのライブ 左から:胡寧・江志・孟磊・劉可 (撮影:YIREN)

 10月23日、西安の八又二分之一酒[ロ巴]でライブを行った。11月27日、天津の西部天堂酒[ロ巴]でライブを行った。12月、パンクオムニバス『燎原星火 VOL.2』に曲が収録された。12月31日、新豪運酒[ロ巴]で行われた新年ライブに参加した。  2005年初、江治がバンド脱退した。そのため、1月から活動休止となる。その後、辛亮(G)が加入し、7月末から活動を再開した。音楽はハードコアだけでなく、多元化した。8月5日、13CLUBでライブを行った。8月13日、両個好朋友酒[ロ巴]で行われた“第二届北京露天PUNK音楽節”に参加した。8月14日、河北省廊坊の時代飲[ロ巴]でライブを行った。9月3日、13CLUBでライブを行った。10月1日、13CLUBでライブを行った。この時、2ndDEMO EP『輝煌』を発表した。その後、辛亮が脱退する。12月、江志(G)が再加入し、メンバーは胡寧(Vo)・江志(G)・劉可(B&Cho)・關錚(Dr&Cho)となった。12月10日、WHAT酒[ロ巴]元大都店でライブを行った。12月24日、桂林の桂林七星公園で行われた“2005揺滾中国・桂林音楽節”に参加した。12月31日、13CLUBでライブを行った。

 2006年2月10日、13CLUBでライブを行った。2月25日、13CLUBでライブを行った。2月28日、南門空間劇場で行われた痛苦的信仰楽隊の1stEP『不』発表記念ライブに参加した。3月3日、13CLUBで行われたスウェーデンのハードコアバンド・Insurgent Kidのライブの前座を務めた。この頃、關錚が脱退し、孟磊(THE LAST CHANCE OF YOUTH楽隊)(Dr)が加入した。4月、東方音楽機構と契約した。


2005年の写真 (写真:信徒楽隊、揺滾北京)


 4月15日、13CLUBでライブを行った。4月21日、廊坊の星勝酒[ロ巴]でライブを行った。5月1日、13CLUBでライブを行った。5月、CD付きインディーズ雑誌『団結! Vol.2』に曲が収録された。5月4日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。5月5日、北京汽車電影院内楓花園でライブを行った。その後、中国華北地区ツアーを開始し、5月14日、河北省邯鄲市の藍色酒[ロ巴]でライブを行った。このツアーで、1stVCD『BACK TO THE BELIEVERS』を発売した。5月16日、大連のRock Action Clubでライブを行った。6月17日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。6月20日、通州区の尊克酒[ロ巴]でライブを行った。6月24日、道譜酒[ロ巴]でライブを行った。7月8日、両個好朋友酒[ロ巴]でライブを行った。やがてアメリカのヘビーメタルバンド・8mm OVERDOSEと共に中国ツアー“開天-影象巡回唱演会”を開始し、7月14日、河南省新郷の星期八餐[ロ巴]で、7月15日、洛陽の新世紀文化広場大中華演義中心で、7月16日、武漢のVOX酒[ロ巴]で、7月17日、長沙の肆陸酒[ロ巴]で、7月20日、広州のBUNKER[ロ巴]で、7月21日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]で、7月23日、上海の育音堂で、7月24日、上海の021酒[ロ巴]で、7月25日、南京の極地77酒[ロ巴]で、7月27日、愚公移山でライブを行い、ツアーを終了した。 

2004年の写真 (The Believers(信徒)楽隊より)  8月5日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。8月26日、面対面倶楽部で行われた“北京第三届朋克音楽節”に参加した。8月26日、無名高地酒[ロ巴]で行われた“拯救家園、凝聚[イ火]伴 為中国地網募捐義演的活動”に参加した。9月15日、13CLUBでライブを行った。  その後、活動が休止となった。同年末、バンドは音楽スタイル別に、雅樂組・濁樂組・清樂組・N40樂組の4つが誕生した。

 2007年、“開天-影象巡回唱演会(open the sky)”の映像がアメリカで発売となった。やがてバンド活動が再開となった。10月7日、星光現場音楽庁でライブを行った。10月28日、通州区の北苑万意百貨商場広場で行われた“麗音盛楽首届原創音楽節”に参加した。11月9日、星光現場音楽庁でライブを行った。11月23日、13CLUBでライブを行った。同年、バンドは活動を停止した。


2003年9月の写真 (『Keep everything fucking chaos』より)

   2008年前半、活動を再開した。メンバーは胡寧(Vo)・田然(痛苦的信仰楽隊)(G)・陳欣(元・伍個火槍手楽隊)(B)・呂楠(Dr)・王磊(元・子曰秋野楽隊)(DJ)・KUZ Chen(米国人)(VJ)。音楽スタイルはエレクトロロックとなった。4月、CHINA5楽隊と改名した。  劉可と關錚は2004年、COMIC ROXY楽隊の再結成メンバーとなった。劉可は2006年10月、林伽楽隊を結成した。辛亮は2006年末、清樂組を結成した。江智は2003年、橙色戰闘機楽隊を結成した。2006年9月、大理へ行き、JOKY NOISE楽隊のサポートギターを務めた。孟磊は2007年、舎曲林楽隊を結成した。

 

 


ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

EP

シングル

映像作品

プロモーション・アルバム

 プロモーション・シングル

デモテープ

コラボレーション・アルバム

スプリット・アルバム

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考

参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考

主要なライブ・コンサート

外部リンク

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