程進
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ナビゲーションに移動検索に移動程進 | |
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基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 程进 |
中国語名(繁体字) | 程進 |
拼音 | Cheng Jin |
発音転記 | チョン ジヌ |
出身地 | 北京市 |
担当楽器 | ドラム |
職業 | 現場作業員・プロダクション従業員・アートディレクター・スタジオミュージシャン・マネージャー・プロダクション経営者・プロデューサー |
程進(チョン ジヌ、Cheng Jin)は、北京市で活動しているプロダクション経営者・プロデューサー。
経歴
母親が音楽学院の教師であったため、程進を指揮者に育てようと、まずピアノを習わせた。しかし、ピアノを所持していたことが、文化大革命で造反派扱いとなってしまう。そこで、二胡を習ったが、性に合わず、途中で投げ出してしまった。高校卒業後は工場で仕事をしていたが、この頃流行音楽がとても好きで、暇を見ては音楽を聴いたり、ギターを勉強していた。
1981年、余暇を利用して古典打楽器を勉強する。のち、ジャズドラムに触れ、その影響を強く受け、将来ドラムを勉強することを決心する。家にはドラムセットがもちろん無かったため、仕事を早朝勤務にしてもらい、昼間は労働人民文化宮に行ってドラムを勉強した。1985年には中国児童芸術劇院のドラム選考に合格し、ようやく音楽家としての道を進むようになった。
しかし、そこでの仕事は決して多くは無かった。そこで1986年には、自ら白天使楽隊を結成したが、1989年には解散となる。
その後は、魔岩文化公司北京事務所の代理人となったほか、1990年2月の90現代音楽演唱会ではアートディレクターになる。また、唐朝楽隊のマネージャーを務めたり(1992年頃)、1989楽隊のドラマーを務めた。
1993年には魔岩文化公司を退社し、1989楽隊での活動に力を入れるようになった。
1993年から1994年にかけて、紅星生産社の総経理となり、バンド活動からは遠ざかっていくことになった。
1997年には、北京麒麟童文化伝播有限公司を設立し、総経理となった。
2019年7月、不得不楽隊を結成した。