「王勇」の版間の差分
細 (→ソロ発表曲 ) |
細 |
||
| 1行目: | 1行目: | ||
| + | {{Infobox Musician | ||
| + | | name = 王勇 | ||
| + | | image = [[Image:Huzi_21.jpg|center|220px]] | ||
| + | | iamge_caption = 2006年12月31日、[[上海市]]の[[上海証大現代芸術館]]でのライブ。(撮影:[[YIREN]]) | ||
| + | | chinesename_jiantizi = 王勇 | ||
| + | | chinesename_fantizi = 王勇 | ||
| + | | pinyin = Wang Yong | ||
| + | | chinesename_katakana = ワンヨン | ||
| + | | englishname = | ||
| + | | birth_name = | ||
| + | | alias = | ||
| + | | born = 1964年6月10日 - | ||
| + | | blood = | ||
| + | | school_background = [[中国音楽学院]] | ||
| + | | died = | ||
| + | | origin = [[北京市]] | ||
| + | | instrument = [[古筝]]・[[MIDI]]・[[キーボード]] | ||
| + | | genre = [[オルタナティブ]]・[[民族音楽]] | ||
| + | | occupation = [[人民解放軍]](1990年代前半)・[[DJ]] | ||
| + | | years_active = 1981年 - | ||
| + | | influences = | ||
| + | | current_members = | ||
| + | }} | ||
| + | [[Image:Huzi_11.jpg|thumb|バンド時代。]] | ||
| + | |||
| + | '''王勇'''(ワン ヨン、Wang Yong)は、[[北京市]]在住の[[古筝奏者]]・[[ボーカリスト]]。 | ||
| + | |||
| + | == 経歴 == | ||
| + | |||
| + | 6歳から[[ダンス]]を勉強し始める。1991年から[[ギター]]の勉強を始める。13歳の時、[[人民解放軍]]の文工団に入隊して[[ダンサー]]となった。その時は、[[李延亮]]と同じ部隊にいた。この部隊で活動している時、偶然Cocteau Twinsを聴き、ロックに興味を持つ。この時から、毎日10数時間ギターの練習を始め、ダンスの練習から逃げるために、熱湯で自分の足をわざと火傷させたこともあった。 | ||
| + | |||
| + | 1994年、[[黒色星期五楽隊]]を結成し、ギターを担当した。 | ||
| + | |||
| + | 離隊した後の1997年、上京する。同年、[[中国音楽学院]]で[[古筝]]を勉強しはじめる。1月、[[NO楽隊]]に加入し、1stアルバムのレコーディングに参加した。9月、[[病医生楽隊]]を結成、[[ボーカル]]と[[ギター]]を務める。 | ||
| + | |||
| + | 1998年、[[亞凹亞凸楽隊]]を結成し、[[ボーカル]]を担当した。 | ||
| + | |||
| + | のち[[子宮楽隊]]、[[地下嬰児楽隊]]、[[馬軍]]与[[卡口先生楽隊]]にサポートギターとして加わる。 | ||
| + | |||
| + | 1999年からは、[[蒼蝿楽隊]]と[[張浅潜]]のバックで演奏する。また、同年から[[テクノ]]に興味を持ち、外国人と[[ラップ]]とテクノを融合したユニットを結成するも、外国人の帰国により解散してしまった。 | ||
| + | |||
| + | 2000年になり、突然「中国ロックは死んだ」と考えるようになり、2月、テクノジャズバンド・[[FM3]]を結成する。6月には、[[痩人楽隊]]に、[[符寧]]の代わりにライブサポートを務めた。同年後半、[[FM3]]を脱退した。 | ||
| + | |||
| + | 2001年9月、[[蒼蝿楽隊]]を脱退した。そして、[[DJ]]として活動し始め、また中国最大のモデルマネジメント会社である新絲路と共同で、ファッションショーの音楽を手がけた。 | ||
| + | |||
| + | 2002年5月2日には、映像カメラマンの趙亮と共に[[迷笛音楽節]]に参加し、音楽と映像の融合によるライブを行なった。7月、1stアルバム『[[叛客(虎子)|叛客]]』を発売した。同月、[[オムニバス・アルバム]]『[[BAD HEAD]]』に曲が収録された。 | ||
| + | |||
| + | 2003年7月、CD付雑誌『[[我愛揺滾楽21]]』に曲が収録された。 | ||
| + | |||
| + | 2004年8月8日 [[寧夏回族自治区]][[銀川市]]で行なわれた[[中国揺滾的光輝道路大型音楽節]]に、[[左小祖咒]]のバンドメンバーとして参加した。9月、2ndアルバム『[[口痴]]』が発売となり、24日には[[蔵酷酒吧]]で『[[口痴]]』+[[オムニバス・アルバム]]『[[charming playlist]]』発表会を開いた。 | ||
| + | |||
| + | 2005年6月、[[ブラジル]]へ行き、中国歴代服飾展のための音楽を担当した。11月、[[王娟]]との[[コラボレーション・アルバム]]『[[両個人的旅行(虎子&王娟)|両個人的旅行]]』を発表した。11月、[[オムニバス・アルバム]]『[[CHILL OUT Autumn Selection]]』に曲が収録された。 | ||
| + | |||
| + | 2006年から、現代舞のダンサー・小柯とテクノの融合を試みた実験ライブを行なうようになり、[[上海市]]・[[北京市]]・[[ドイツ]]などでライブを行なった。4月、CD付雑誌『[[我愛揺滾楽51]]』に曲が収録された。 | ||
| + | |||
| + | 2007年には、アルバムを一緒に制作した[[王娟]]とライブツアーを行なった。同年、[[PET CONSPIRACY楽隊]]を結成した。 | ||
| + | |||
| + | (一部情報提供者:[[XIAOXUE]]さん、[[佐藤あつし]]さん) | ||
| + | |||
| + | == ディスコグラフィー == | ||
| + | |||
| + | === スタジオ・アルバム === | ||
| + | |||
| + | *'''[[孔雀東南飛(王勇)|孔雀東南飛]]'''(1987年) | ||
| + | *'''[[往生(王勇)|往生]]'''(1996年1月) | ||
| + | *'''[[Mondo(王勇)|Mondo]]'''(2001年) | ||
| + | |||
=== コラボレーション・アルバム === | === コラボレーション・アルバム === | ||
| 297行目: | 364行目: | ||
}} | }} | ||
| + | |||
| + | == 主要なライブ・コンサート == | ||
| + | |||
| + | *1987年2月 フィリピン 文化交流 中国音楽家代表団員の一員 | ||
| + | *[[1987年5月 北京市 首届海内外江南絲竹比賽 演奏1位 | ||
| + | 1989年6月 北京市 国際ART杯中国器楽比賽古筝青年組 2位 | ||
| + | |||
| + | *1993年2月 ドイツ・ベルリン ベルリン世界文化宮 中国前衛文化月間 | ||
| + | *[[五台山体育館/1993年5月1日|1993年5月1日 江蘇省南京市 五台山体育館]] [[唐朝楽隊]]・[[眼鏡蛇楽隊]]・[[王勇]] | ||
| + | *[[五台山体育館/1993年5月2日|1993年5月2日 江蘇省南京市 五台山体育館]] [[唐朝楽隊]]・[[眼鏡蛇楽隊]]・[[王勇]] | ||
| + | *[[烏魯木斉体育館/1993年6月 新疆ウイグル自治区烏魯木斉市 烏魯木斉体育館]] | ||
| + | *[[石家荘体育館/1993年10月|1993年10月 河北省石家荘市 石家荘体育館]] | ||
| + | *1994年10月 日本・福岡県 コンサート | ||
| + | *[[沙田大会堂/1995年5月|1995年5月 香港 沙田大会堂 中国南北名家古筝音楽会]] | ||
| + | *[[亜州唱片博覧会|1996年 香港 亜州唱片博覧会]] The Land(香港) | ||
| + | *1997年 Kunihiko Ryo東京演唱会 | ||
| + | *1997年 上海 NHKの依頼 | ||
| + | *1999年 イギリス・ロンドン 北京--倫敦之夜 | ||
| + | *1999年 オランダ・アムステルダム 北京--阿姆斯特丹之夜 | ||
| + | *1999年 ドイツ・ケルン ドイツのミュージシャン達とライブ | ||
| + | *2000年 アメリカ SXSW2000 | ||
| + | *2000年 ドイツ・ベルリン CROSS BORO2000音楽節 | ||
| + | *2000年 スイス Will Sall爵士節 | ||
| + | *2000年 北京市 Swatch長城時装秀]] | ||
| + | *2000年 オランダ・アムステルダム皇家音楽庁 | ||
| + | |||
| + | でライブを行った。 | ||
| + | 2001年、『Mondo』を発売した。9月、ドイツのベルリンで行われた“柏林亜太芸術周・中国節”に参加した。この時は、王勇音楽小組(WANGYONGGROUP)を組織し、「天・地・人・物」という題で、新しい概念を持ちこんだ。その王勇音楽小組のメンバーは、王勇・王曉芳・秦[王奇](G)・岳浩昆(B)・張健(Key)・艾尼瓦爾・劉效松(Per)・袁波・焦山林・那日森・那仁格日樂(モンゴル族)・陳莎莎・董曉林と、ロック界の大物ばかりである。この時、金少剛も、エンジニアとして参加した。12月31日、深[土川]で行われた“世界之窓CCTV新年音楽会”に王勇音楽小組として参加した。 | ||
| + | |||
| + | 1990年代前半の写真 | ||
| + | 王勇は、中国音楽とMIDIの融合を試みただけでなく、そこにロックも取り入れてオリジナルの音楽を作り出した。仏教をテーマにした曲が多いため、全体的に暗く、商業路線から外れているが、ワールドミュージック的分野からしてみれば秀逸な作品を数多く残している。 | ||
| + | 2002年、アルバム『Free touching』が香港のNOISE ASIAより発売となった。6月21日、中国児童劇院で“夢天遊池”音楽会を開いた。この時、王勇音楽小組としてコンサートを行ったが、艾斯ka爾と韓紅、娜仁其木路がボーカルを担当した。 | ||
| + | |||
| + | 2003年1月29・30日、世紀劇院で“王勇・跨界2003新春音楽会”を開いた。この時は王勇音楽小組としてコンサートを行ったが、ボーカルは艾斯ka爾や、娜仁其木路のほか、葉[艸/倍]・丁武・李杰が参加した。3月、王勇音楽小組はハンガリーへ赴き、“ブタペスト民間芸術節”に参加した。11月27日、仁倶楽部で行われた“理想不倒,向音楽致敬!”ライブに出演し、「招魂」を演奏した。 | ||
| + | |||
| + | 2004年2月1日、北京の北展劇場で行われた新民楽迎春音楽会に、艾爾肯と共に出演した。8月7日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演した。11月12日、香港の香港文化中心で香港中楽団と共に“夢天遊池”音楽会を開いた。 | ||
| + | |||
| + | 2005年7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。 | ||
| + | |||
| + | 2007年5月26日、陝西省西岳華山麓の玉泉院広場で行われた“巨石伝情・情動華山 - 2007中国陝西特別奉献”コンサートに参加した。10月20日、南京の大行宮広場大舞台で行われた“徳中流行音楽盛典”に王勇音楽小組として参加した。 | ||
| + | |||
| + | 2008年1月27日、フランス・カンヌのMartinez Hotelで行われた“MIDEM OPENING NIGHT PARTY Music China”開幕式に参加した。11月15日、広州の天河体育場広場で王勇音楽小組としてライブを行った。 | ||
| + | |||
| + | 2009年10月7日、北京朝陽公園で行われた“摩登天空音楽節”に参加した。 | ||
| + | |||
| + | == 外部リンク == | ||
| + | |||
| + | *UTF-8 | ||
| + | **[http://www.myspace.cn/huziband MySpace] | ||
| + | **[http://www.douban.com/artist/huzimusic/ 豆瓣音乐人] | ||
| + | |||
| + | {{DEFAULTSORT:Wangyong}} | ||
| + | [[Category:アーティスト]] | ||
| + | [[Category:北京市のアーティスト]] | ||
| + | [[Category:ギタリスト]] | ||
| + | [[Category:テクノアーティスト]] | ||
| + | [[Category:ボーカリスト]] | ||
| + | [[Category:ブラジル]] | ||
| + | [[Category:ドイツ]] | ||
| + | [[Category:パンク]] | ||
| + | [[Category:オルタナティブ]] | ||
| + | [[Category:エレクトロニカ]] | ||
| + | [[Category:人民解放軍]] | ||
| + | [[Category:DJ]] | ||
2010年12月14日 (火) 14:34時点における版
| 王勇 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 中国語名(簡体字) | 王勇 |
| 中国語名(繁体字) | 王勇 |
| 拼音 | Wang Yong |
| 発音転記 | ワンヨン |
| 出生日 | 1964年6月10日 - |
| 学歴 | 中国音楽学院 |
| 出身地 | 北京市 |
| 担当楽器 | 古筝・MIDI・キーボード |
| ジャンル | オルタナティブ・民族音楽 |
| 職業 | 人民解放軍(1990年代前半)・DJ |
| 活動期間 | 1981年 - |
王勇(ワン ヨン、Wang Yong)は、北京市在住の古筝奏者・ボーカリスト。
経歴
6歳からダンスを勉強し始める。1991年からギターの勉強を始める。13歳の時、人民解放軍の文工団に入隊してダンサーとなった。その時は、李延亮と同じ部隊にいた。この部隊で活動している時、偶然Cocteau Twinsを聴き、ロックに興味を持つ。この時から、毎日10数時間ギターの練習を始め、ダンスの練習から逃げるために、熱湯で自分の足をわざと火傷させたこともあった。
1994年、黒色星期五楽隊を結成し、ギターを担当した。
離隊した後の1997年、上京する。同年、中国音楽学院で古筝を勉強しはじめる。1月、NO楽隊に加入し、1stアルバムのレコーディングに参加した。9月、病医生楽隊を結成、ボーカルとギターを務める。
のち子宮楽隊、地下嬰児楽隊、馬軍与卡口先生楽隊にサポートギターとして加わる。
1999年からは、蒼蝿楽隊と張浅潜のバックで演奏する。また、同年からテクノに興味を持ち、外国人とラップとテクノを融合したユニットを結成するも、外国人の帰国により解散してしまった。
2000年になり、突然「中国ロックは死んだ」と考えるようになり、2月、テクノジャズバンド・FM3を結成する。6月には、痩人楽隊に、符寧の代わりにライブサポートを務めた。同年後半、FM3を脱退した。
2001年9月、蒼蝿楽隊を脱退した。そして、DJとして活動し始め、また中国最大のモデルマネジメント会社である新絲路と共同で、ファッションショーの音楽を手がけた。
2002年5月2日には、映像カメラマンの趙亮と共に迷笛音楽節に参加し、音楽と映像の融合によるライブを行なった。7月、1stアルバム『叛客』を発売した。同月、オムニバス・アルバム『BAD HEAD』に曲が収録された。
2003年7月、CD付雑誌『我愛揺滾楽21』に曲が収録された。
2004年8月8日 寧夏回族自治区銀川市で行なわれた中国揺滾的光輝道路大型音楽節に、左小祖咒のバンドメンバーとして参加した。9月、2ndアルバム『口痴』が発売となり、24日には蔵酷酒吧で『口痴』+オムニバス・アルバム『charming playlist』発表会を開いた。
2005年6月、ブラジルへ行き、中国歴代服飾展のための音楽を担当した。11月、王娟とのコラボレーション・アルバム『両個人的旅行』を発表した。11月、オムニバス・アルバム『CHILL OUT Autumn Selection』に曲が収録された。
2006年から、現代舞のダンサー・小柯とテクノの融合を試みた実験ライブを行なうようになり、上海市・北京市・ドイツなどでライブを行なった。4月、CD付雑誌『我愛揺滾楽51』に曲が収録された。
2007年には、アルバムを一緒に制作した王娟とライブツアーを行なった。同年、PET CONSPIRACY楽隊を結成した。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
コラボレーション・アルバム
- 王勇&史蒂夫・布莱労克 藍調古筝(1997年3月15日)
- Han Bennink・Wong Young・Andreas Schreiber・Dennis Rea・Steffen Schorn・Claudio Puntin Free Touching(2002年)
ソロ発表曲
| 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 安魂进行曲 | 揺滾北京 | 1993 | |
| 安魂进行曲 | 神揺第一章・・極楽揚州路 | 1994 | 揺滾北京IIには収録されていない |
| 安魂进行曲 | 流行・揺滾 王暁京制作歌曲精選'90~'97 1 | 1997 | |
| 招魂 | ROCK IN CHINA | 1996 | |
| 招魂 | 中国火II | 1996/8 | |
| 招魂 | 揺滾中国楽勢力十年精選第一輯 | 2001/4 | |
| 招魂 | 中国火 | 2003 | |
| 我想吃我不想吃 | 北京のロック・ライブ’93 | 1994/6 | ▼1993年ドイツコンサートの映像 |
| 自己的空间 | 揺滾中国楽勢力十年精選第二輯 | 2001/4 |
参加アルバム
| アーティスト・バンド名 | 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 崔健 | 新長征路上的揺滾 | 1989 | 古筝 | 全曲参加▽『一無所有』も | |
| 崔健 | 解決 | 1991 | キーボード、古筝、コーラス(複数で)、作曲(崔健と) | 全曲参加 | |
| 崔健 | 1986-1996 珍藏版 | 1996 | キーボード、古筝、作曲(崔健と) | 2曲参加 | |
| 崔健 | 快让我在这雪地上撒点野 | 一無所有 | 1997 | 作曲(崔健と) | |
| 1966 Written Documentary film “1966” | |||||
| 青蓝色和深紫色 |
主要なライブ・コンサート
- 1987年2月 フィリピン 文化交流 中国音楽家代表団員の一員
- [[1987年5月 北京市 首届海内外江南絲竹比賽 演奏1位
1989年6月 北京市 国際ART杯中国器楽比賽古筝青年組 2位
- 1993年2月 ドイツ・ベルリン ベルリン世界文化宮 中国前衛文化月間
- 1993年5月1日 江蘇省南京市 五台山体育館 唐朝楽隊・眼鏡蛇楽隊・王勇
- 1993年5月2日 江蘇省南京市 五台山体育館 唐朝楽隊・眼鏡蛇楽隊・王勇
- 烏魯木斉体育館/1993年6月 新疆ウイグル自治区烏魯木斉市 烏魯木斉体育館
- 1993年10月 河北省石家荘市 石家荘体育館
- 1994年10月 日本・福岡県 コンサート
- 1995年5月 香港 沙田大会堂 中国南北名家古筝音楽会
- 1996年 香港 亜州唱片博覧会 The Land(香港)
- 1997年 Kunihiko Ryo東京演唱会
- 1997年 上海 NHKの依頼
- 1999年 イギリス・ロンドン 北京--倫敦之夜
- 1999年 オランダ・アムステルダム 北京--阿姆斯特丹之夜
- 1999年 ドイツ・ケルン ドイツのミュージシャン達とライブ
- 2000年 アメリカ SXSW2000
- 2000年 ドイツ・ベルリン CROSS BORO2000音楽節
- 2000年 スイス Will Sall爵士節
- 2000年 北京市 Swatch長城時装秀]]
- 2000年 オランダ・アムステルダム皇家音楽庁
でライブを行った。 2001年、『Mondo』を発売した。9月、ドイツのベルリンで行われた“柏林亜太芸術周・中国節”に参加した。この時は、王勇音楽小組(WANGYONGGROUP)を組織し、「天・地・人・物」という題で、新しい概念を持ちこんだ。その王勇音楽小組のメンバーは、王勇・王曉芳・秦[王奇](G)・岳浩昆(B)・張健(Key)・艾尼瓦爾・劉效松(Per)・袁波・焦山林・那日森・那仁格日樂(モンゴル族)・陳莎莎・董曉林と、ロック界の大物ばかりである。この時、金少剛も、エンジニアとして参加した。12月31日、深[土川]で行われた“世界之窓CCTV新年音楽会”に王勇音楽小組として参加した。
1990年代前半の写真 王勇は、中国音楽とMIDIの融合を試みただけでなく、そこにロックも取り入れてオリジナルの音楽を作り出した。仏教をテーマにした曲が多いため、全体的に暗く、商業路線から外れているが、ワールドミュージック的分野からしてみれば秀逸な作品を数多く残している。 2002年、アルバム『Free touching』が香港のNOISE ASIAより発売となった。6月21日、中国児童劇院で“夢天遊池”音楽会を開いた。この時、王勇音楽小組としてコンサートを行ったが、艾斯ka爾と韓紅、娜仁其木路がボーカルを担当した。
2003年1月29・30日、世紀劇院で“王勇・跨界2003新春音楽会”を開いた。この時は王勇音楽小組としてコンサートを行ったが、ボーカルは艾斯ka爾や、娜仁其木路のほか、葉[艸/倍]・丁武・李杰が参加した。3月、王勇音楽小組はハンガリーへ赴き、“ブタペスト民間芸術節”に参加した。11月27日、仁倶楽部で行われた“理想不倒,向音楽致敬!”ライブに出演し、「招魂」を演奏した。
2004年2月1日、北京の北展劇場で行われた新民楽迎春音楽会に、艾爾肯と共に出演した。8月7日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演した。11月12日、香港の香港文化中心で香港中楽団と共に“夢天遊池”音楽会を開いた。
2005年7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。
2007年5月26日、陝西省西岳華山麓の玉泉院広場で行われた“巨石伝情・情動華山 - 2007中国陝西特別奉献”コンサートに参加した。10月20日、南京の大行宮広場大舞台で行われた“徳中流行音楽盛典”に王勇音楽小組として参加した。
2008年1月27日、フランス・カンヌのMartinez Hotelで行われた“MIDEM OPENING NIGHT PARTY Music China”開幕式に参加した。11月15日、広州の天河体育場広場で王勇音楽小組としてライブを行った。
2009年10月7日、北京朝陽公園で行われた“摩登天空音楽節”に参加した。
