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2019年9月7日 (土) 01:13時点における版
聶小鈞 | |
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2013年12月、聶小鈞及壹楽団芸術公社のライブより。(写真:新浪微博) | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 聂小钧 |
中国語名(繁体字) | 聶小鈞 |
拼音 | Nie Xiaojun |
発音転記 | ニエ シアオジュヌ |
英語名・外国語名 | Gustav Nieh |
出生名 | 聶鈞 |
別名 | 釈子、水木伯 |
出生日 | 1969年7月31日 |
学歴 | 上海音楽学院付属中学 |
出身地 | 北京市 |
担当楽器 | キーボード |
ジャンル | ポップ・ヘビーメタル・ポップロック・ジャズ・フュージョン・ポストロック |
職業 | ライブバー専属ミュージシャン・アレンジャー・プロデューサー・レコーディングエンジニア・スタジオ経営者・脚本家・小説家 |
活動期間 | 1988年 - |
聶小鈞(ニエ シアオジュヌ、Nie Xiaojun、1969年7月31日 -)は、上海市で活動しているプロデューサー・脚本家・小説家。
経歴
4歳の時から父母の教えでピアノを勉強し、かつて上海音楽学院付属中学作曲系で勉強したが、2年後に退学した。
その後、ミュージシャンとしていろいろな歌舞団に所属しながら地方を転々とした。上海市に戻った後は、上海蜂花電声音楽団に加入した。
1988年8月8日、大衆人楽隊を結成した。
1990年、電熨斗楽隊を結成した。
1992年頃、福建省泉州市に電熨斗楽隊のメンバーとして滞在し、戻って来た後、電熨斗楽隊は解散した。そしてアレンジャーの仕事を始めた。また、Richard ClaydermanやKenny Gの曲を演奏して、レコーディングして発表した。これらの曲は現在でも、駅の待合室などで使用されている。
1993年、ジャズやフュージョンに興味を持つようになり、復蘇的手楽隊を結成する。
1994年、中唱上海公司紅太陽音楽制作室のプロデューサーとなる。そこで、『情人II』・『夢舞池II』・『温馨夜』などのアルバムを制作した。
のち、藍蝙蝠楽隊のメンバーとなった。
時期ははっきりしないが、興興楽園夜総会で活動していた時は、胡建明(Vo)や龔鳴(G)が一緒だった。
1999年、中唱上海公司紅太陽音楽制作室を離れ、After Touch音楽工作室を設立した。その後、大物歌手・ミュージシャンのサポートやアルバムに参加した。
やがて、聶小鈞と名乗るようになる。
2008年、After Touch音楽工作室を閉鎖した。その後、テレビドラマの脚本や小説を書くようになる。また、聶小鈞及壹楽団芸術公社(壹楽団)を結成した。
2017年8月18日、壹楽団は解散した。9月から3か月ほど、スイス領事館と文化基金会の要請でスイスを訪問し、ミニコンサートも開いた。
ディスコグラフィー
参加アルバム
主要なライブ・コンサート
- 2001年5月18日 上海市
- 2011年10月16日 上海市 世博公園宝鋼大舞台 2011爵士上海音楽節
- 2012年3月1日 上海市 TZ HOUSE(鎮寧店)
- 2014年5月3日 上海市 上海当代芸術博物館3楼小劇場
- 2014年10月6日 上海市 上海世博公園 2014上海簡単生活節
- 2017年4月7日 上海市 On Stage
- 2017年9月13日 スイス 伯尓尼芸術家中心小展庁 安魂曲主題音楽会
- 2019年3月28日 上海市 雍福会・密訓
外部リンク
[Category:ポストロック]]