「襁褓楽隊」の版間の差分

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== メンバー ==
 
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*'''[[袁晴]]''' [[ボーカル]] & [[ギター]](1996年6月 - 1997年12月末,1998年後半 - 1998年12月,2000年3月,2000年6月 - 2000年11月) -- 元・[[黒雨楽隊(成都市)|黒雨楽隊]]のメンバー。
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=== 過去に在籍したメンバー ===
 
=== 過去に在籍したメンバー ===
  
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*'''黎深''' [[リズムギター]](1996年6月 - 1996年後半) -- 元・[[黒雨楽隊(成都市)|黒雨楽隊]]のメンバー。
*'''''' [[ギター]]
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*'''何文鼎''' [[ドラム]](1996年6月 - ?) -- 元・[[黒雨楽隊(成都市)|黒雨楽隊]]のメンバー。
*'''''' [[ギター]]
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*'''[[曽泰]]''' [[ドラム]](1997年9月 - 1997年12月)
*'''''' [[ベース]]
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*[[ドラム]](1997年12月 - 1997年12月末)
*'''''' [[ドラム]]
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*'''[[羅友生]]''' [[ギター]](2000年8月 - 2000年10月)
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*'''顔璐''' [[ベース]](2000年6月 - 2000年9月?)
  
 
=== サポートメンバー ===
 
=== サポートメンバー ===
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*'''馬俊傑''' [[バイオリン]](2000年10月 - 2000年11月) -- [[アメリカ人]]。2000地下成都八支楽隊北京演出現場に参加。
  
 
== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
  
成都のバンド。1996年6月結成。メンバーは、袁晴(Vo&G)・黎深(リズムG)・冉爲(B)・何文鼎(Dr)。結成当初はヘビーメタルバンドであった。黎深はすぐ脱退してしまった。
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1996年6月、[[黒雨楽隊(成都市)|黒雨楽隊]]が改名した。結成当初は[[ヘビーメタル]]バンドであった。
 1997年4月には、3曲ほどレコーディングを行う。この時の音源が、のちオムニバス『地下成都』に収録された。完成度はとても低く、音楽の出来の悪さに失望してしまう。暫くの間、自分たちの方向を探っていたが、4ADのバンドに影響を受け、スタイルを見出していく。
 
 
 
 9月には、上海の過敏楽隊の曾泰(Dr)を加える。12月、曾泰がバンドを脱退する。3人目の新しいドラマーを加えるが、半月あまりで脱退してしまう。そして、バンドは解散となった。
 
 
 
 
 
2000年10月6日のライブ
 
(写真:蔡鳴)
 
 
 
 
 
 
  
 その後、袁晴は夾江という都市で風信子花楽隊を結成するが、1ヶ月あまり活動の後、成都に戻る。暫くして、冉爲をメンバーに加えてバンド名を襁褓楽隊の名前にする。ここにおいて、襁褓楽隊は再び活動を始めた。再結成後は、SONIC YOUTHやU2などを目標にするなど、スタイルも以前と異なっていた。しかし、袁晴が音楽活動に疑問を持ち始めてしまい、嫌悪感を抱いたことから、活動は不可能となり、1998年12月に解散となってしまった。
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1997年4月には、3曲ほどレコーディングを行なう。この時の音源が、のち[[オムニバス・アルバム]]『[[地下成都]]』に収録された。完成度はとても低く、音楽の出来の悪さに失望してしまう。暫くの間、自分たちの方向を探っていたが、4ADのバンドに影響を受け、スタイルを見出していく。同年12月末、バンドは解散となった。
 1998年12月まで、合計2年半ほど活動を続けたが、6回も解散をするなど、トラブル続きのバンドであった。しかし、袁晴はこのバンドに対して相当未練があったようで、2000年3月には、袁晴(Vo&G)・冉爲(B)・孟[日含](Dr)が集まり、襁褓楽隊時代の曲をレコーディングする。
 
  
 6月には、袁晴が組んでいた交媾者的巣穴楽隊の名前を襁褓楽隊にして、再び襁褓楽隊は活動を開始した。この時のメンバーは、袁晴(Vo&G)・張黎兵(G)・顔[王路](B)・孟[日含](Dr)だった。
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その後、[[袁晴]]は[[四川省]][[楽山市]][[夾江県]]で[[風信子花楽隊]]を結成するが、1ヶ月あまり活動の後、[[成都市]]に戻る。1998年後半、[[冉為]]をメンバーに加えてバンド名を襁褓楽隊の名前にする。ここにおいて、襁褓楽隊は再び活動を始めた。再結成後は、SONIC YOUTHやU2などを目標にするなど、スタイルも以前と異なっていた。しかし、[[袁晴]]が音楽活動に疑問を持ち始めてしまい、嫌悪感を抱いたことから、活動は不可能となり、1998年12月に解散となってしまった。
 
2000年10月6日のライブ
 
(写真:蔡鳴)
 
  
 8月、羅友生(G)が加入し、DEMO『発育過程中下落』を製作する。10月、羅友生は音楽性の違いにより脱退してしまった。10月6日、万国商場酒[ロ巴]街で行われた“熊猫商城揺滾音楽会”に出演し、唐朝楽隊や爻釋・子曰楽隊と同じ舞台に立った。10月末から11月にかけて、北京でライブを行った時は、ベースに冉爲が復帰していたほか、馬俊傑(米国人)(サポートバイオリン)が参加していた。
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1998年12月まで、合計2年半ほど活動を続けたが、6回も解散をするなど、トラブル続きのバンドであった。しかし、[[袁晴]]はこのバンドに対して相当未練があったようで、2000年3月には、[[袁晴]]がメンバーを召集し、襁褓楽隊時代の曲をレコーディングする。
 北京から成都に戻ってきたあと、また解散してしまった。
 
  
 解散した後の2001年、音楽サイトweiku.comと契約した。1月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽6』に曲が収録された。2002年6月、オムニバス『LIVE 小酒館1997-2002』に作品が収録された。
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6月には、[[袁晴]]が組んでいた[[交媾者的巣穴楽隊]]の名前を襁褓楽隊にして、再び襁褓楽隊は活動を開始した。8月、インディーズ1stアルバム『[[発育過程中下落(襁褓楽隊)|発育過程中下落]]』を制作する。10月末から11月にかけて、[[北京市]]でライブを行なった。
  
 2003年4月、CD付雑誌『極度揺滾』に曲が収録された。
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[[北京市]]から[[成都市]]に戻ってきたあと、また解散してしまった。
 
  
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解散した後の2001年、音楽サイト[http://www.weiku.com weiku.com]と契約したり、[[オムニバス・アルバム]]に曲が収録された。
  
 
== ディスコグラフィー ==
 
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*[[万国商場酒吧街/2000年10月6日|2000年10月6日 四川省成都市 万国商場酒吧街]]
*2000年10月末 - 11月 [[北京市]] 2000地下成都八支楽隊北京演出現場 サポート:馬俊傑(バイオリン)
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2018年7月14日 (土) 16:02時点における最新版

襁褓楽隊
Qiangbao 13.jpg
2000年10月6日のライブ。(写真:蔡鳴
基本情報
中国語名(簡体字) 襁褓
中国語名(繁体字) 襁褓
拼音 Qiangbao
発音転記 チアンバオ
出身地 四川省成都市
ジャンル ヘビーメタル(結成時)・オルタナティブ
活動期間 1996年6月 - 1997年12月末
1998年後半 - 1998年12月
2000年3月
2000年6月 - 2000年11月
影響 4AD・SONIC YOUTH・U2
メンバー 袁晴
張黎兵
冉為
孟晗
2000年10月6日のライブ。(写真:蔡鳴

襁褓楽隊(チアンバオ、Qiangbao)は、1990年代後半から2000年代前半にかけて、四川省成都市で活動していたバンド。

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

経歴

1996年6月、黒雨楽隊が改名した。結成当初はヘビーメタルバンドであった。

1997年4月には、3曲ほどレコーディングを行なう。この時の音源が、のちオムニバス・アルバム地下成都』に収録された。完成度はとても低く、音楽の出来の悪さに失望してしまう。暫くの間、自分たちの方向を探っていたが、4ADのバンドに影響を受け、スタイルを見出していく。同年12月末、バンドは解散となった。

その後、袁晴四川省楽山市夾江県風信子花楽隊を結成するが、1ヶ月あまり活動の後、成都市に戻る。1998年後半、冉為をメンバーに加えてバンド名を襁褓楽隊の名前にする。ここにおいて、襁褓楽隊は再び活動を始めた。再結成後は、SONIC YOUTHやU2などを目標にするなど、スタイルも以前と異なっていた。しかし、袁晴が音楽活動に疑問を持ち始めてしまい、嫌悪感を抱いたことから、活動は不可能となり、1998年12月に解散となってしまった。

1998年12月まで、合計2年半ほど活動を続けたが、6回も解散をするなど、トラブル続きのバンドであった。しかし、袁晴はこのバンドに対して相当未練があったようで、2000年3月には、袁晴がメンバーを召集し、襁褓楽隊時代の曲をレコーディングする。

6月には、袁晴が組んでいた交媾者的巣穴楽隊の名前を襁褓楽隊にして、再び襁褓楽隊は活動を開始した。8月、インディーズ1stアルバム『発育過程中下落』を制作する。10月末から11月にかけて、北京市でライブを行なった。

北京市から成都市に戻ってきたあと、また解散してしまった。

解散した後の2001年、音楽サイトweiku.comと契約したり、オムニバス・アルバムに曲が収録された。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
天生残缺地下成都2000/4
天生的残缺極度揺滾2003/4
未来象是阴谋(演奏曲)我愛揺滾楽62001/1
磁谷LIVE 小酒館1997-20022002/6
TOKYO DOG小酒館五周年紀念巡演2003/6▼VCD
母爱小酒館五周年紀念巡演2003/6▼VCD

主要なライブ・コンサート