「張勇(ギタリスト)」の版間の差分
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== 主要なライブ・コンサート == | == 主要なライブ・コンサート == | ||
2019年7月13日 (土) 01:44時点における版
| 張勇 | |
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(写真提供:周俭、优蝶) | |
| 基本情報 | |
| 中国語名(簡体字) | 张勇 |
| 中国語名(繁体字) | 張勇 |
| 拼音 | Zhang Yong |
| 発音転記 | ジャン ヨン |
| 出生日 | 1957年 |
| 学歴 | The Sydney Conservatorium of Music |
| 出身地 | 北京市 |
| 担当楽器 | ギター |
| ジャンル | ポップ・ポップロック・ジャズ(オーストラリア留学以降) |
| 職業 | 楽器製造メーカー社員・スタジオミュージシャン |
張勇(ジャン ヨン、Zhang Yong、1957年 -)は、北京市で活動していたギタリスト。中国初のプロのギタリストである。オーストラリア華僑。
経歴
10代の時にギターに触れる。華僑と触れ合う機会が多かったことから、彼らがギターを弾いている姿などを見る機会が多かった。やがて独学で勉強する。
東方歌舞団団長の王昆によって、ギターの才能を見出され、東方歌舞団電声楽隊で首席ギターとなり、「吉他大侠」(ギター侠客)と呼ばれた。東方歌舞団電声楽隊と共に、欧米6か所を訪問した。
中国初のプロのギタリストである。
1986年5月9日には、全国第一届百名歌星演唱会に崔健のバックバンドメンバーとなった。崔健との活動は1987年まで続いた。
1986年、1stアルバム『吉它世界』が発売となった。ギターファンの間で注目を浴び、ギタリストのスターとなった。
1987年、2ndアルバム『吉他大王』が発売となった。
この頃から毛阿敏と付き合うようになり、スキャンダルに巻き込まれてしまう。
1990年、オーストラリアに留学し、オーストラリア華僑となる。
そして1996年にはThe Sydney Conservatorium of Musicの大学院を卒業した。この大学在籍期間にジャズを勉強した。
2000年、中国に戻ってきた。
2002年はRolandのテクニカル副マネジャーを担当していた。
その後、貿易業に携わるようになった。この頃はギターは趣味で弾くだけとなった。
2004年1月、CD付き自伝『我理想擱浅的沙灘』を発表した。
2008年1月24日、帰国後初のアルバム『弾情I』·『弾情II』を発表した。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
書籍
- 我理想擱浅的沙灘(2004年1月)