「続弦楽隊」の版間の差分
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+ | 南京のバンド。1998年結成。メンバーは高磊(Vo&G)・李罡(B)・顔冬(Dr)。同年末、1stDEMO『続弦』を製作した。その頃の音楽スタイルはグランジ。 | ||
+ | 1999年、李剛が諸事情により脱退、バンドは暫く活動休止となる。10月、女性の龍莉娜(B)が加入し活動を再開する。12月、南京大光明広場で初ライブを行う。12月31日、答案酒[ロ巴]で行われた“世紀末音楽会”に参加した。 | ||
+ | 2000年3月、南京の大学を巡演する。同月、南京全景音楽工作室と契約するが、7月になり、高磊が契約を破棄した。この後、龍莉娜が脱退し、續弦楽隊は再び活動を休止した。10月、朱曉南がサポートベーシストとなり、2ndDEMO『莫名傷感』を製作した。このアルバムのスタイルはポストパンクだった。1ヵ月後、龍莉娜が再加入し、朱曉南はキーボードを務めることとなった。間もなくして、郭東(リズムG)が加入した。 | ||
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+ | 2006年8月12日、上海の育音堂でのライブ | ||
+ | 左から:李璐・顔冬・高磊・朱曉南 | ||
+ | (撮影:YIREN) | ||
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+ | 2001年、陳卓(G)が加入し、6人編成となる。音楽スタイルはグラムロックへ近づいていった。同年、紅色気球音楽坊で初のソロライブを行った。 | ||
+ | 2002年、顔冬が脱退し、魏星(Dr)が加入した。1月、龍莉娜がバンドを脱退する。6月1日、紅色気球音楽坊で行われた星期三旅行楽隊のライブの前座を務めた。7月27日、紅色気球音楽坊でライブを行った。9月14日、紅色気球音楽坊で行われた木馬楽隊のライブの前座を務めた。その後、11月、3rdDEMO『墓志銘』のレコーディングを行ったが、この時、龍莉娜が参加した。 | ||
+ | 2003年1月、『墓志銘』が発売となった。3月9日、南師大仙林校区大活舞庁でライブを行った。3月16日、南京中医薬大学仙林校区大活舞庁でライブを行った。9月26日、南京工程兵指揮学院でライブを行った。 | ||
+ | 2005年3月、活動を再開した。同年初、魏星が脱退し、顔冬(Dr)が復帰した。メンバーは高磊(Vo&G)・李[王路](G)・朱曉南(B)・顔冬(Dr)。この頃の音楽スタイルはポストパンクであった。 | ||
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+ | 2006年1月13日、極地77酒[ロ巴]で行われたTHE VERSE楽隊のライブの前座を務めた。3月25日、拉丁音楽酒[ロ巴]でライブを行った。この時はPIGFACE與續弦楽隊という名称でライブに参加した。4月15日、上海の育音堂で行われた“口袋音楽二周年記念”ライブに参加した。4月23日、南京農業大学でライブを行った。6月2日、南京工業大学江捕校区でライブを行った。8月12日、上海の育音堂でライブを行った。8月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽55』に曲が収録された。12月10日、拉丁音楽酒[ロ巴]で行われた“偽揺中国杯大型頒奨晩会”に参加した。同年、4thDEMO『続弦』を発表した。12月23日、揚州の正大演芸KK[ロ巴]で行われた“烽火揚州路-1997-2007江蘇非主流音楽会”に参加した。 | ||
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+ | 2009年1月、インディーズオムニバス『偽揺滾倶楽部合輯NO.1』に曲が収録された。1月11日、古堡酒[ロ巴]で行われた[シ文]川大地震被災者チャリティライブに参加した。 | ||
+ | 朱曉南は2003年8月、ANGRY JERKS楽隊に加入した。陳卓は2003年、PIGFACE楽隊を結成した。魏星は2007年1月、V-DAY楽隊に加入した。高磊は2007年12月14日、南京郵電大学仙林校区でライブを行った。 | ||
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+ | 1999年、李剛が諸事情により脱退、バンドは暫く活動休止となる。10月、女性の龍莉娜(B)が加入し活動を再開する。12月、南京大光明広場で初ライブを行う。12月31日、答案酒吧]で行われた“世紀末音楽会”に参加した。 | ||
+ | 2000年3月、南京の大学を巡演する。同月、南京全景音楽工作室と契約するが、7月になり、高磊が契約を破棄した。この後、龍莉娜が脱退し、續弦楽隊は再び活動を休止した。10月、朱曉南がサポートベーシストとなり、2ndDEMO『莫名傷感』を製作した。このアルバムのスタイルはポストパンクだった。1ヵ月後、龍莉娜が再加入し、朱曉南はキーボードを務めることとなった。間もなくして、郭東(リズムG)が加入した。 | ||
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+ | 2006年8月12日、上海の育音堂でのライブ | ||
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+ | 2002年、顔冬が脱退し、魏星(Dr)が加入した。1月、龍莉娜がバンドを脱退する。6月1日、紅色気球音楽坊で行われた星期三旅行楽隊のライブの前座を務めた。7月27日、紅色気球音楽坊でライブを行った。9月14日、紅色気球音楽坊で行われた木馬楽隊のライブの前座を務めた。その後、11月、3rdDEMO『墓志銘』のレコーディングを行ったが、この時、龍莉娜が参加した。 | ||
+ | 2003年1月、『墓志銘』が発売となった。3月9日、南師大仙林校区大活舞庁でライブを行った。3月16日、南京中医薬大学仙林校区大活舞庁でライブを行った。9月26日、南京工程兵指揮学院でライブを行った。 | ||
+ | 2005年3月、活動を再開した。同年初、魏星が脱退し、顔冬(Dr)が復帰した。メンバーは高磊(Vo&G)・李[王路](G)・朱曉南(B)・顔冬(Dr)。この頃の音楽スタイルはポストパンクであった。 | ||
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+ | 2006年1月13日、極地77酒吧で行われたTHE VERSE楽隊のライブの前座を務めた。3月25日、拉丁音楽酒吧でライブを行った。この時はPIGFACE與續弦楽隊という名称でライブに参加した。4月15日、上海の育音堂で行われた“口袋音楽二周年記念”ライブに参加した。4月23日、南京農業大学でライブを行った。6月2日、南京工業大学江捕校区でライブを行った。8月12日、上海の育音堂でライブを行った。8月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽55』に曲が収録された。12月10日、拉丁音楽酒吧で行われた“偽揺中国杯大型頒奨晩会”に参加した。同年、4thDEMO『続弦』を発表した。12月23日、揚州の正大演芸KK吧で行われた“烽火揚州路-1997-2007江蘇非主流音楽会”に参加した。 | ||
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+ | 4月8日、極地77音楽酒吧]でライブを行った。4月22日、中山陵園石刻公園で行われた“動感地帯 春之吶喊音楽季”に参加した。5月27日、拉丁音楽酒吧で行われた“[王崔][王粲]揺滾群星演唱会”に参加し、The Cureの役をしながら演奏した。その後、李[王路]・顔冬がバンドを脱退した。 | ||
+ | 同年7月、バンドは活動休止となった。 | ||
+ | 2008年、バンド活動が再開となった。再活動後のメンバーは、高磊(Vo&G)・程超(G)・朱曉南(B)・余gan寧(飛揚楽隊)(Dr)。5月8日、古堡酒吧で行われた愚人船楽隊のライブの前座を務めた。5月23日、神韵酒吧]で行われた[シ文]川大地震被災者チャリティライブに参加した。10月1日、南京国展中心南広場で行われた“南京首届慕尼黒啤酒節”に出場した。10月3日、南京国展中心南広場で行われた“南京首届慕尼黒啤酒節決賽”に出場し、優勝した。この時、胡軍(B)が参加した。10月17日、古堡酒吧]でライブを行った。10月18日、安徽省馬鞍山の体育館門前広場で行われた“馬鞍山第二届揺滾節”に参加した。12月31日、神韵酒[ロ巴]で行われた“南京偽揺滾倶楽部跨年頒奨典礼”に参加した。 | ||
+ | 2009年1月、インディーズオムニバス『偽揺滾倶楽部合輯NO.1』に曲が収録された。1月11日、古堡酒吧]で行われた[シ文]川大地震被災者チャリティライブに参加した。 | ||
+ | 朱曉南は2003年8月、ANGRY JERKS楽隊に加入した。陳卓は2003年、PIGFACE楽隊を結成した。魏星は2007年1月、V-DAY楽隊に加入した。高磊は2007年12月14日、南京郵電大学仙林校区でライブを行った。 | ||
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*[[欧拉芸術空間/2016年6月26日|2016年6月26日 江蘇省南京市 欧拉芸術空間]] | *[[欧拉芸術空間/2016年6月26日|2016年6月26日 江蘇省南京市 欧拉芸術空間]] | ||
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2019年5月19日 (日) 15:09時点における版
続弦楽隊 | |
---|---|
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 续弦 |
中国語名(繁体字) | 續弦 |
拼音 | Xuxian |
発音転記 | シュイシエヌ |
出身地 | 江蘇省南京市 |
ジャンル | グランジ |
活動期間 | 1998年 - |
メンバー |
|
続弦楽隊(シュイシエヌ、Xuxian)は、2000年代前半、江蘇省南京市で活動していたバンド。
メンバー
過去に在籍したメンバー
サポートメンバー
経歴
南京のバンド。1998年結成。メンバーは高磊(Vo&G)・李罡(B)・顔冬(Dr)。同年末、1stDEMO『続弦』を製作した。その頃の音楽スタイルはグランジ。 1999年、李剛が諸事情により脱退、バンドは暫く活動休止となる。10月、女性の龍莉娜(B)が加入し活動を再開する。12月、南京大光明広場で初ライブを行う。12月31日、答案酒[ロ巴]で行われた“世紀末音楽会”に参加した。 2000年3月、南京の大学を巡演する。同月、南京全景音楽工作室と契約するが、7月になり、高磊が契約を破棄した。この後、龍莉娜が脱退し、續弦楽隊は再び活動を休止した。10月、朱曉南がサポートベーシストとなり、2ndDEMO『莫名傷感』を製作した。このアルバムのスタイルはポストパンクだった。1ヵ月後、龍莉娜が再加入し、朱曉南はキーボードを務めることとなった。間もなくして、郭東(リズムG)が加入した。
2006年8月12日、上海の育音堂でのライブ 左から:李璐・顔冬・高磊・朱曉南 (撮影:YIREN)
2001年、陳卓(G)が加入し、6人編成となる。音楽スタイルはグラムロックへ近づいていった。同年、紅色気球音楽坊で初のソロライブを行った。 2002年、顔冬が脱退し、魏星(Dr)が加入した。1月、龍莉娜がバンドを脱退する。6月1日、紅色気球音楽坊で行われた星期三旅行楽隊のライブの前座を務めた。7月27日、紅色気球音楽坊でライブを行った。9月14日、紅色気球音楽坊で行われた木馬楽隊のライブの前座を務めた。その後、11月、3rdDEMO『墓志銘』のレコーディングを行ったが、この時、龍莉娜が参加した。 2003年1月、『墓志銘』が発売となった。3月9日、南師大仙林校区大活舞庁でライブを行った。3月16日、南京中医薬大学仙林校区大活舞庁でライブを行った。9月26日、南京工程兵指揮学院でライブを行った。 2005年3月、活動を再開した。同年初、魏星が脱退し、顔冬(Dr)が復帰した。メンバーは高磊(Vo&G)・李[王路](G)・朱曉南(B)・顔冬(Dr)。この頃の音楽スタイルはポストパンクであった。 2006年8月12日、上海の育音堂でのライブ 左から:李[王路]・顔冬・高磊・朱曉南 (撮影:YIREN) 5月2日、82号酒[ロ巴]で行われた“向Joy Division致敬”ライブに参加した。7月1日、82号酒[ロ巴]でライブを行った。10月5日、拉丁音楽酒[ロ巴]でライブを行った。12月10日、拉丁音楽酒[ロ巴]でドイツのバンド・The Lucky Punchと共にライブを行った。 2006年1月13日、極地77酒[ロ巴]で行われたTHE VERSE楽隊のライブの前座を務めた。3月25日、拉丁音楽酒[ロ巴]でライブを行った。この時はPIGFACE與續弦楽隊という名称でライブに参加した。4月15日、上海の育音堂で行われた“口袋音楽二周年記念”ライブに参加した。4月23日、南京農業大学でライブを行った。6月2日、南京工業大学江捕校区でライブを行った。8月12日、上海の育音堂でライブを行った。8月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽55』に曲が収録された。12月10日、拉丁音楽酒[ロ巴]で行われた“偽揺中国杯大型頒奨晩会”に参加した。同年、4thDEMO『続弦』を発表した。12月23日、揚州の正大演芸KK[ロ巴]で行われた“烽火揚州路-1997-2007江蘇非主流音楽会”に参加した。 2007年1月3日、古堡酒[ロ巴]でライブを行った。
2005年10月5日のライブ (写真:Rock Nanjing) 4月8日、極地77音楽酒[ロ巴]でライブを行った。4月22日、中山陵園石刻公園で行われた“動感地帯 春之吶喊音楽季”に参加した。5月27日、拉丁音楽酒[ロ巴]で行われた“[王崔][王粲]揺滾群星演唱会”に参加し、The Cureの役をしながら演奏した。その後、李[王路]・顔冬がバンドを脱退した。 同年7月、バンドは活動休止となった。 2008年、バンド活動が再開となった。再活動後のメンバーは、高磊(Vo&G)・程超(G)・朱曉南(B)・余gan寧(飛揚楽隊)(Dr)。5月8日、古堡酒[ロ巴]で行われた愚人船楽隊のライブの前座を務めた。5月23日、神韵酒[ロ巴]で行われた[シ文]川大地震被災者チャリティライブに参加した。10月1日、南京国展中心南広場で行われた“南京首届慕尼黒[口卑]酒節”に出場した。10月3日、南京国展中心南広場で行われた“南京首届慕尼黒[口卑]酒節決賽”に出場し、優勝した。この時、胡軍(B)が参加した。10月17日、古堡酒[ロ巴]でライブを行った。10月18日、安徽省馬鞍山の体育館門前広場で行われた“馬鞍山第二届揺滾節”に参加した。12月31日、神韵酒[ロ巴]で行われた“南京偽揺滾倶楽部跨年頒奨典礼”に参加した。 2009年1月、インディーズオムニバス『偽揺滾倶楽部合輯NO.1』に曲が収録された。1月11日、古堡酒[ロ巴]で行われた[シ文]川大地震被災者チャリティライブに参加した。 朱曉南は2003年8月、ANGRY JERKS楽隊に加入した。陳卓は2003年、PIGFACE楽隊を結成した。魏星は2007年1月、V-DAY楽隊に加入した。高磊は2007年12月14日、南京郵電大学仙林校区でライブを行った。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
- ()(年月日)
ライブ・アルバム
- ()(年月日)
EP
- ()(年月日)
シングル
- ()(年月日)
映像作品
- ()(年月日)
プロモーション・アルバム
- ()(年月日)
プロモーション・シングル
- ()(年月日)
デモテープ
- ()(年月日)
コラボレーション・アルバム
- ()(年月日)
スプリット・アルバム
- ()(年月日)
ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
---|---|---|---|
Peeping Tom
我愛揺滾楽55 2006/8 | |||
Sunday's song
偽揺滾倶楽部合輯NO.1 2009/1 |
参加アルバム
アーティスト・バンド名 | 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
李志 | 我们不能失去信仰 | HAS MAN A FUTURE?HAS MAN A FUTURE? | 2006/11/18 | 編曲 |
主要なライブ・コンサート
南京のバンド。1998年結成。メンバーは高磊(Vo&G)・李gang(B)・顔冬(Dr)。同年末、1stDEMO『続弦』を製作した。その頃の音楽スタイルはグランジ。 1999年、李剛が諸事情により脱退、バンドは暫く活動休止となる。10月、女性の龍莉娜(B)が加入し活動を再開する。12月、南京大光明広場で初ライブを行う。12月31日、答案酒吧]で行われた“世紀末音楽会”に参加した。 2000年3月、南京の大学を巡演する。同月、南京全景音楽工作室と契約するが、7月になり、高磊が契約を破棄した。この後、龍莉娜が脱退し、續弦楽隊は再び活動を休止した。10月、朱曉南がサポートベーシストとなり、2ndDEMO『莫名傷感』を製作した。このアルバムのスタイルはポストパンクだった。1ヵ月後、龍莉娜が再加入し、朱曉南はキーボードを務めることとなった。間もなくして、郭東(リズムG)が加入した。
2006年8月12日、上海の育音堂でのライブ 左から:李[王路]・顔冬・高磊・朱曉南 (撮影:YIREN)
2001年、陳卓(G)が加入し、6人編成となる。音楽スタイルはグラムロックへ近づいていった。同年、紅色気球音楽坊で初のソロライブを行った。 2002年、顔冬が脱退し、魏星(Dr)が加入した。1月、龍莉娜がバンドを脱退する。6月1日、紅色気球音楽坊で行われた星期三旅行楽隊のライブの前座を務めた。7月27日、紅色気球音楽坊でライブを行った。9月14日、紅色気球音楽坊で行われた木馬楽隊のライブの前座を務めた。その後、11月、3rdDEMO『墓志銘』のレコーディングを行ったが、この時、龍莉娜が参加した。 2003年1月、『墓志銘』が発売となった。3月9日、南師大仙林校区大活舞庁でライブを行った。3月16日、南京中医薬大学仙林校区大活舞庁でライブを行った。9月26日、南京工程兵指揮学院でライブを行った。 2005年3月、活動を再開した。同年初、魏星が脱退し、顔冬(Dr)が復帰した。メンバーは高磊(Vo&G)・李[王路](G)・朱曉南(B)・顔冬(Dr)。この頃の音楽スタイルはポストパンクであった。 2006年8月12日、上海の育音堂でのライブ 左から:李[王路]・顔冬・高磊・朱曉南 (撮影:YIREN) 5月2日、82号酒吧]で行われた“向Joy Division致敬”ライブに参加した。7月1日、82号酒吧でライブを行った。10月5日、拉丁音楽酒吧]でライブを行った。12月10日、拉丁音楽酒吧でドイツのバンド・The Lucky Punchと共にライブを行った。 2006年1月13日、極地77酒吧で行われたTHE VERSE楽隊のライブの前座を務めた。3月25日、拉丁音楽酒吧でライブを行った。この時はPIGFACE與續弦楽隊という名称でライブに参加した。4月15日、上海の育音堂で行われた“口袋音楽二周年記念”ライブに参加した。4月23日、南京農業大学でライブを行った。6月2日、南京工業大学江捕校区でライブを行った。8月12日、上海の育音堂でライブを行った。8月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽55』に曲が収録された。12月10日、拉丁音楽酒吧で行われた“偽揺中国杯大型頒奨晩会”に参加した。同年、4thDEMO『続弦』を発表した。12月23日、揚州の正大演芸KK吧で行われた“烽火揚州路-1997-2007江蘇非主流音楽会”に参加した。 2007年1月3日、古堡酒吧でライブを行った。
2005年10月5日のライブ (写真:Rock Nanjing) 4月8日、極地77音楽酒吧]でライブを行った。4月22日、中山陵園石刻公園で行われた“動感地帯 春之吶喊音楽季”に参加した。5月27日、拉丁音楽酒吧で行われた“[王崔][王粲]揺滾群星演唱会”に参加し、The Cureの役をしながら演奏した。その後、李[王路]・顔冬がバンドを脱退した。 同年7月、バンドは活動休止となった。 2008年、バンド活動が再開となった。再活動後のメンバーは、高磊(Vo&G)・程超(G)・朱曉南(B)・余gan寧(飛揚楽隊)(Dr)。5月8日、古堡酒吧で行われた愚人船楽隊のライブの前座を務めた。5月23日、神韵酒吧]で行われた[シ文]川大地震被災者チャリティライブに参加した。10月1日、南京国展中心南広場で行われた“南京首届慕尼黒啤酒節”に出場した。10月3日、南京国展中心南広場で行われた“南京首届慕尼黒啤酒節決賽”に出場し、優勝した。この時、胡軍(B)が参加した。10月17日、古堡酒吧]でライブを行った。10月18日、安徽省馬鞍山の体育館門前広場で行われた“馬鞍山第二届揺滾節”に参加した。12月31日、神韵酒[ロ巴]で行われた“南京偽揺滾倶楽部跨年頒奨典礼”に参加した。 2009年1月、インディーズオムニバス『偽揺滾倶楽部合輯NO.1』に曲が収録された。1月11日、古堡酒吧]で行われた[シ文]川大地震被災者チャリティライブに参加した。 朱曉南は2003年8月、ANGRY JERKS楽隊に加入した。陳卓は2003年、PIGFACE楽隊を結成した。魏星は2007年1月、V-DAY楽隊に加入した。高磊は2007年12月14日、南京郵電大学仙林校区でライブを行った。
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