妖蕊楽隊 EVIL HEART
北京語:ヤオルイ
西安のパンクバンド。バンド結成のきっかけは、妖睿(Vo&G)がインターネットで王磊(B)と出会い、1997年冬、2人でバンドを結成したことであった。この頃は、バンド名がなかった。ドラムは、友達が紹介してくれた雷震が担当していたが、正式なメンバーではなかった。1998年冬、和平酒[ロ巴]で潜楽隊のメンバーと知り合いになる。この頃、バンド名は憤怒的旁觀者楽隊であった。 1999年8・9月頃、潜楽隊が解散した後、王[日/立](Dr)が加入し、9月になり、バンド名を妖蕊楽隊とした。この頃のスタイルは複雑であるが、グランジに影響を受けていた。 2000年冬になり、バンドは解散してしまうが、1ヶ月も経たないうちに、再活動を始めた。しかし、ドラムは曲晨がサポートを務めているだけで、正式なメンバーではない。 その後、数多くのメンバー変更を経て、2001年には、妖睿(Vo&G)・沙維奇(G)・王磊(B)・王[日/立](Dr)となった。ギターリストが2人いることからか、音楽スタイルは少しメタル寄りであった。間もなくして、沙維奇と王磊が脱退してしまったため、バンドは少しの間解散となり、調整期間に入る。同年9月には、馬甲(B)と元・斑楽隊の冉欣(G)・曲晨(Dr)が加入し、バンド活動を再開させた。音楽スタイルはオールドスクールパンクである。その後、メンバーは妖睿(Vo&G)・冉欣(G)・趙毅楓(B)・王[日/立](Dr)となった。10月19日には、八又二分之一酒[ロ巴]で行われた“顛覆&超越−西安朋克第一撃”に出演した。 |
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2002年の妖蕊の写真 |
11月30日には、八又二分之一酒[ロ巴]で行われた阿修羅楽隊の前座を務めた。12月15日には、辺家村大通圓酒店でライブを行った。12月20日には、八又二分之一酒[ロ巴]でライブを行った。 2002年1月19日、夜上濃妝酒[ロ巴]でライブを行った。1月26日には、鉄哨子酒[ロ巴]でライブを行った。3月22日と23日には、八又二分之一酒[ロ巴]でライブを行った。3月30日には、夜上濃妝酒[ロ巴]でライブを行った。5月5日、北京の豪運酒[ロ巴]でライブを行った。7月11日、大雁塔停車場でライブを行った。7月19・20日、八又二分之一酒[ロ巴]でライブを行った。9月7日、辺家村文化宮でライブを行った。12月7日、阿波羅旱冰場でライブを行った。12月31日、八又二分之一酒[ロ巴]でライブを行った。 2003年頃のメンバーは妖睿(Vo&G)・王寧(G)・趙毅楓(B&Cho)・李凱(Dr)。3月29日、石家庄の奥ka羅倶楽部でフランスのVialkaとともにライブを行った。6月30日、西安西部電子商城広場で行われた“康師傅冰力先鋒楽隊選抜賽”に出場し、2位に輝いた。12月31日、北京のB52酒[ロ巴]でライブを行った。その後、バンド活動は休止となる。 |
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2005年2月18日のライブ |
2004年3月、オムニバス『西安独立音楽合輯
Vol.1』に曲が収録された。 2005年1月15日、JIMI酒[ロ巴]でライブを行った。1月29日、韓国のCHAOS CLASSが手がけたインディーズパンクオムニバス『NEXT GENERATION]に曲が収録された。2月18日、甘粛省天水市工会院内で行われた“自由回帰”ライブに参加した。バンド活動を再開してから初めてのライブで、メンバーは、妖睿(Vo&G)・馬多(G)・馬強(B)・蒋丁[日/立]呈(顴頭)(Dr)。 2006年6月24日、2008-98酒[ロ巴]で行われたJOY SIDE楽隊のライブの前座を務めた。 その後、大きなメンバー変更を行い、11月にはHyuk(亂戰門)(Vo)・Ray(Vo&G)・Sam(DJ 7-1)となり、音楽スタイルはヒップホップ、パンク、ロック、レゲエ、ディスコなど。バンド形式ではなくなった。 |
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妖蕊の写真 |
●ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発行年 | 備考 |
WHERE TO GO | 西安独立音楽合輯 Vol.1 | 2004/3 | |
NEXT GENERATION | 2005/1 | 韓国のChaosClassが手がけたオムニバス |
●関連サイト(→妖蕊)