水藍楽隊 WATER BLUE
北京語:シュイラン
四川省眉山のバンド。2003年、楽山で結成となった。結成当時のメンバーは易強(易思宏)(31楽隊)(B)と張超(G)の2人で、師院の学生によって構成されている。そして、劉青(31楽隊)(Dr)がサポートを務めていた。間もなくして、鹽巴([足崩]極楽隊)(B)が加入した。その後、鹽巴が脱退し、陳強(新起點楽隊)(Dr)・王波(B)が加入した。同年、“康師傅冰紅茶第三届冰力先鋒楽隊選抜賽楽山賽区”に出場して1位となり、成都で四川地区の予選に参加したが、8位であった。同年夏になり、メンバーが易強(Vo&リズムG)・張超(リードG)・冷強(Vo&B)・小黒(Dr)となった。音楽スタイルは、ブリティッシュロック。 2004年4月9日、師院でライブを行った。5月1日、哈里路亜酒[ロ巴]で行われた解析式楽隊のライブの前座を務めた。9月、冷強がバンドを脱退し、メンバーが易強(Vo&G)・晏[王路]傑(B&Cho)・于彬(Dr)・deng程(Key)・鹽巴(サポートB)となった。10月10日、九天音[ロ巴]でライブを行った。同月、鹽巴が成都へ行ってしまったため、バンドを離れた。12月3日、楽山師院露天籃球場でライブを行った。 |
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2004年のライブ |
2005年2月18日、風巣酒[ロ巴]でライブを行った。5月4日、風巣酒[ロ巴]でライブを行った。5月21日、風巣酒[ロ巴]で行われた31楽隊のライブの前座を務めた。7月3日、四川省眉山市仁寿県の星期[ロ巴]でライブを行った。8月、眉山市仁寿県の維ka部落[ロ巴]でライブを行った。11月5日、成都の小酒館でライブを行った。この時のメンバーは、易思宏(Vo&G)・黎小田(B&Cho)・陳強(Dr)。11月23日、楽山人民広播電台(ラジオ)の番組「娯楽百分百」にゲスト出演した。 2006年1月14日、MIX左岸酒[ロ巴]で行われたロックオムニバス『六月』発表会に参加した。また、『六月』に曲が収録された。1月25日、眉山市仁寿県の戦友情酒[ロ巴]でライブを行った。2月12日、綿陽のLOW酒[ロ巴]でライブを行った。その後、眉山での活動を始める。同年夏、李崢(G)が加入し、メンバーは、易思宏(Vo&G)・李崢(G)・黎小田(B)・陳強(Dr)となった。10月5日、眉山の空瓶子酒[ロ巴]でライブを行った。その後全国ツアーを開始し、11月24日、成都の禾木縁酒[ロ巴]で、12月9日、楽山の時光漫歩酒[ロ巴]で、12月16日、貴陽の南方公園で、12月23・24日、南昌の黒鉄酒[ロ巴]で、12月31日、徐州の中国礦業大学でライブを行った。 |
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2006年2月12日、LOW酒[ロ巴]でのライブ |
2007年1月3日、南京の古堡酒[ロ巴]で、1月4・5日、上海の021酒[ロ巴]で、1月6日、寧波の1982酒[ロ巴]で、1月7日、蘇州の後街酒[ロ巴]で、1月13日、武漢のVOX酒[ロ巴]で、1月20日、綿陽のLOW酒[ロ巴]で、1月21日、成都の小酒館玉林店でライブを行った。その後、李崢が脱退し、3人編成となった。2月10日、成都の小酒館芳沁店でライブを行った。12月1日、楽山師範学院学生活動中心でライブを行った。 2008年半ば、水瀾楽隊と改名した。 易強(易思宏)は2004年、新起点琴行を経営している。2006年前半、仁寿県の沸楽隊のサポートボーカルを務めた。同年、群英楽隊を結成した。同年には、眉山市仁寿県で易思琴行を開いた。黎小田は2006年、眉山市仁寿県の易思琴行でギターとベースの講師を務めた。 |
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●ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発行年 | 備考 |
老去之前 年軽之後 | 六月 | 2006/1 |
●関連サイト
「水藍楽隊」(中国語GB)
バンドのサイト。
「水藍楽隊的個人主頁」(中国語GB)
163888.netより。バンドのサイト。音源の視聴ができる。
「上豆上街」(中国語GB)
バンドのBLOG。
「易思琴行」(中国語GB)
楽器屋のBLOG。易思宏が運営。