殺戮楽隊 BLOODBATH
北京語:シャールー
北京のスラッシュメタルバンド。1999年11月結成。メンバーは、潘晨(Vo)・王巍(リードG)・高徐(リズムG)・勾踐(B)・陳小歐(Dr)。結成当初はヘビーメタルであったが、次第にデスメタル化していった。 2000年3月、莱茵河声場で行われた“星連星”大型ロックライブに参加した。この時が初めてのライブであった。4月、新聞『音楽生活報』に「期待殺戮」と題した記事が掲載される。同年7月、潘晨が脱退し、高徐がボーカルを兼任するようになる。9月10日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。 身長は全員180cm以上で長髪と、見た目はメタルだが、まだ活動期間は長くないので、技術力のアップが今後の課題である。 10月12日、北京理工大学大礼堂でライブを行った。11月、高徐が脱退した。同年末、新しいボーカルが加入するが、バンドに合わず、すぐに脱退してしまった。その後、3人で活動するようになる。たまに王巍がボーカルを兼任する。勾踐も一時期バンドを脱退したことがあるが、すぐに復帰した。12月、阿徳(Vo)が加入した。12月20日、朋友倶楽部でライブを行った。12月21日、朋友倶楽部でライブを行った。12月24日、朋友倶楽部でライブを行った。 |
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2001年のメンバー |
2001年前後、4トラックDEMOを製作する。同年、映画『北京楽与路』の撮影に参加したが、撮影シーンはカットとなってしまう。3月から北京郊外の山に移り住み、北京アンダーグラウンドシーンから離れ、創作活動と練習に励むようになった。11月には、オムニバス『衆神復活』に曲が収録された。 メタルファンからは施教日楽隊と殺戮楽隊、窒息楽隊の3バンドを合わせて“金属老三様(メタル御三家)”と呼ばれている。それは、メタル界では一定の人気があり、活動期間も長いためである。 2002年2月8日、哈尼酒[ロ巴]でライブを行った。5月18日、豪運酒[ロ巴]で行われた冥界楽隊アルバム発表記念ライブに参加した。6月23日、天津の迷城倶楽部でライブを行った。7月27日、豪運酒[ロ巴]で行われた『重型音楽5』発売記念ライブに参加した。 |
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(写真提供:Ragnark Wang) |
約3ヶ月ほど、メンバー同士の交流がほとんどなく、創作活動をしていなかった。そのため、バンド活動が停滞気味である。 9月6日、豪運酒[ロ巴]で行われた“聖霊狂想之夜”ライブに出演した。9月21日、豪運酒[ロ巴]で行われた『重型音楽』雑誌創刊2周年ライブに参加した。11月、王巍と勾踐はバンドを脱退し、メンバーが阿徳と陳小歐だけになり、活動休止に追い込まれた。 2003年3月30日、豪運酒[ロ巴]で“北京重金属勢力音楽節”が行われたが、このライブのためにバンドは再結成し、ライブを行った。この時のメンバーは、阿徳(Vo)・陳曦(G)・A.G(オーストラリア)(B)・陳小歐(Dr)・高徐(サポートG)。このライブを最後に、ライブは行わなくなった。同年、MORT PRODUCTIONと契約した。8月、1stアルバムのレコーディングを行った。同年、バンド活動は停止となった。 |
2006年12月、オムニバス『衆神復活1』に曲「封建」が収録された。 2010年前半、活動を再開した。 |
●ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発行年 | 備考 |
活者 | 衆神復活 | 2001/11/24 | 4トラックDEMO収録の作品をリマスタリングしたもの |
封建 | 衆神復活1 | 2006/12 | ボーナストラック▽中国科学文化音像出版社版のみ |
●関連サイト
「BLOOD
BUTCHER」(中国語GB)
中国のエクストリームサイト。バンドインタビューが掲載されている。
「MORT
PRODUCTIONS」(中国語GB)
中国のエクストリームメタル専門のレコード会社。バンド紹介がある。