赤軍楽隊 CHIJUN

北京語:チージュン

 北京のバンド。バンド結成に到るまでは、2000年、王智欽(B)が樹村で李四偉(G)や新疆出身の閻磊(極限楽隊)(Dr)と知り合いになる。また、朱華[金由](G)とも知り合いになり、一緒にバンド結成を試みて、練習を行うが、李四偉と閻磊は脱退してしまう。その後、陳昆(Dr)と陸飛洲(Vo)が参加し、メンバーが陸飛洲(Vo)・朱華[金由](G)・王智欽(B)・陳昆(Dr)となり、正式に結成となった。同年末、閻浩(最後的嘶吼楽隊)(リズムG)が加入した。

 2001年初、練習場所を樹村より霍営へ移した。間もなくして、陸飛洲が能力の限界を感じて、バンドを脱退した。この頃か、5代目ボーカリストとして張揚が加入したが、長続きはしなかった。ボーカルがいなくなったため、朱華[金由]がボーカルに転向する。やがて、閻浩の友達である鳥鳥(最後的嘶吼楽隊)(G)が加入し、メンバーが朱華[金由](Vo)・鳥鳥(G)・閻浩(リズムG)・王智欽(B)・陳昆(Dr)となり、バンド名を赤軍楽隊とした。4月7日、開心楽園でライブを行った。

 結成から3ヶ月後、陳昆(Dr)と鳥鳥が脱退した。そして、閻磊(Dr)がバンドに復帰した。また鄭海東(Sampler)が加入した。8月には、北戴河音楽節に参加する予定であったが、中止となってしまう。10月30日には、開心楽園でライブを行った。11月、李仲秋(Per)が加入した。しかし、8代目ボーカリストの劉國良が脱退、そして10月に加入した江治が、9代目ボーカリストとなった。そのため、朱華[金由]はボーカルを完全に外れてギターに戻り、メンバーは江志(Vo)・朱華[金由](G)・閻浩(リズムG)・王智欽(B)・閻磊(Dr)・鄭海東(Sampler)・李仲秋(Per)となった。鄭海東加入の影響で、バンドはノイズの要素が強くなり、音楽スタイルはやがてインダストリアルノイズへと変化した。そこで同年末、バンド名を噬君楽隊と改名した。

 
 

 

●関連サイト(→噬君楽隊

 

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