蔡継文
蔡継文 | |
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1993年、藍天賓館でのライブ。(写真:張予、部落人酒吧前传-“恼火练习”乐队(三)、魔都音阈) | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 蔡继文 |
中国語名(繁体字) | 蔡繼文 |
拼音 | Cai Jiwen |
発音転記 | ツァイ ジィウエヌ |
出身地 | 上海市 |
担当楽器 | ギター・ベース |
ジャンル | ポップロック・ハードロック |
職業 | [[[ライブバー専属ミュージシャン]]・音楽学校講師 |
蔡継文(ツァイ ジィウエヌ、Cai Jiwen)は、上海市で活動しているギタリスト・ベーシスト。
経歴
ギターテクニックに好評なほか、電気関係にも詳しく、エフェクターも自作している。ディスコや夜総会でライブバー専属ミュージシャンとして活動していた。空いた時間には、学生達に楽器を教えていた。1986年、生徒の紹介で水産局芸術小分隊に赴いてライブの時、水産局のリーダーに見初められ、水産局芸術小分隊に入隊し、ギタリストとなった。やがてバンドのベーシストが脱退したため、ベーシストに転向した。
やがて、双流軽音楽団に入団し、ベーシストとなった。双流軽音楽団に参加して初めてライブを行なった時、張耀光と知り合いになった。
1988年、双流軽音楽団を脱退し、張耀光らと藍森林演唱組を結成した。
1989年初から、上海軽音楽団録音工作室で仕事を始めたが、この時に声学や理論を学んだ。同年、藍森林演唱組の初めての練習の時、胡建明と知り合いになった。
1990年9月17日から藍森林演唱組のメンバーとして広東省ツアーを行なったが、うまくいかず、上海市に戻った。その後、再度広東省広州市に行き、広州市のバンドに加入した。ある時、ホテルのオーナーがPink Floydの映画『The Wall』を見せてもらってから、これまで以上にロックに興味を持ちだした。この頃上海市の平均月収は243元であったが、広州市では食事住まい付きで1500・1600元くらいの収入があり、そのお金でビデオデッキを購入し、Stuart HammとBilly Sheehanの教学映像を見て、ベースの様々なテクニックを勉強した。
1991年春節の後、広東省恵州市の水大富豪夜総会で専属ミュージシャンとして活動した後、同地区の他の夜総会でも活動した。やがて、胡建明を呼び、広東省東莞市の東莞君悦大酒店で活動を始めた。この時、艾諾からMIDIの使用方法を教えてもらった。
1992年末、胡建明と王江に誘われ、1993年初、上海市に戻った。そして、双針楽隊を結成した。
ディスコグラフィー
参加アルバム
アーティスト・バンド名 | 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
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