昊翰
昊翰 | |
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(写真提供:周俭、优蝶) | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 昊翰 |
中国語名(繁体字) | 昊翰 |
拼音 | Haohan |
発音転記 | ハオハヌ |
出生名 | 史立寧 |
別名 | 浩翰、昊瀚 |
出生日 | 1968年12月24日 |
血液型 | O |
学歴 | 中央美術学院 |
出身地 | 河北省承徳市 |
担当楽器 | ボーカル・ギター・ハンドパン |
ジャンル | ポップ(初期)・ヘビーメタル(1991年以降)・デスメタル(1991年以降)・仏教音楽・サイケデリック |
職業 | 歌手・和尚・俳優・彫師・楽器製作者 |
影響 | Richard Marx |
昊翰(ハオハヌ、Hao Han、1968年12月24日 -)は、北京市で活動していたアーティスト。かつて浩翰の名前で活動していた。満州族。
経歴
1986年、作品「爱我」がオムニバス・アルバムに収録された。
1987年、北京市の中央美術学院版画系に入学した。同年、当時の流行曲を歌い、いろいろなオムニバス・アルバムに収録された。この頃、Richard Marxの歌などをカバーしていた。
1988年にはいくつの大型コンサートに出演し、流行歌手としての道を着実に歩いていた。
1989年、新加坡喜馬唱片と契約した。そしてオムニバス・アルバム『黒白神情』に曲が収録された。
1990年、1stアルバム『今夜想回家』を発表した。
1991年、2ndアルバム『愛の末日』が発売となった。同年、中央電視台の番組「春節連歓晩会」に出演した。また、曲「转世的人」を創作してから、音楽スタイルがヘビーメタルとなった。同年、デスメタルバンド・三八楽隊を結成し、ボーカルを担当した。
1992年、北京法源寺で仏門に入った。8月、頭を丸め、通法の法号を賜った。同年、北京市で自覚楽隊を結成した。
オムニバス・アルバムに数々の作品を発表したが、曲はロックというより、御経を現代音楽のメロディを付けて読んだといったほうが相応しい。心の内面を歌う歌詞が評判となり、「アジアで最も前衛的なアンダーグラウンドミュージシャン」と呼ばれた。
1995年、チベット語を勉強した。同年、四川省甘孜蔵族自治州でチベット仏教を勉強し、向巴翁旭の法号を賜った。
作品が海外でも認められ、1996年には香港の劉以達(タツ・ラウ)も彼をプロデュースした。また、台湾の卓安古典唱片公司により、アメリカでアルバム『釈迦本仏心咒曲』が発売となったが、編曲や念仏を担当した。また、テレビドラマ『宰相劉羅鍋』や映画『大閙天宮』、映画『陸小鳳』、映画『三個和尚』に出演した。
2011年、インドへ行き、3年の時間をかけて『聖般若宝経』を新訳した。
2014年から、ハンドパンを製作して販売するようになった。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
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转世的人 | 揺滾衝撃波1 | 1994 | |
谁来过 | 中国揺滾精華版(第一集) | 1994 | |
阿弥陀佛 | 中国揺滾精華版(第二集) | 1994 | |
大圆满 | 麻木 | 1996 | 香港の劉以達(タツ・ラウ)のプロデュース |
参加アルバム
アーティスト・バンド名 | 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
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自覚楽隊 | 自觉 | 揺滾先鋒 | 1994 | 詞曲、ボーカル、ギター、木魚 | |
自覚楽隊 | 其乐世界 | 神揺第一章・・極楽揚州路 | 1994 | ボーカル | 『揺滾北京II』も |
自覚楽隊 | 无我 | 神揺第二章・・別再躱蔵 | 1995 | 編曲、ボーカル、ギター | 『成長状態001』も |
自覚楽隊 | 酒埵 | 揺滾特快 | 1996 | 詞曲、演奏、法鼓、法鈴 |
主要なライブ・コンサート
- 1988年 北京市 紅馬杯大賽 男歌星組:優勝 「自己的路」を演奏
- 1988年 北京市 北京内蒙古飯店
- 1990年 遼寧錦州電視台 番組『春節連歓晩会』
- 1991年 北京市 中央電視台 番組『春節連歓晩会』
- 2000年3月12日 広東省深圳市 根拠地酒吧
外部リンク
- 中国語