嚎叫倶楽部
提供:Chinese Rock Database
ナビゲーションに移動検索に移動北京市にあったライブハウス。英語名はSCREAM CLUB。オーナーは呂玻。学校が数多くある海淀区にあり、100人入れば溢れてしまうほど、小さなライブハウスであった。1998年初から2000年初までの約2年間だけであったが、数多くのアンダーグラウンドバンドがここでライブを行なった。他のライブハウスではあまり見ることが出来なかったパンクバンドのライブが多かったこともあり、パンクの聖地とも呼ばれた。のちに、このライブハウスで育ったパンクバンドが海外ツアーを行なったり、10年後でも第一線でトップバンドで活動するなど、このライブハウスが中国パンクに与えた影響は計り知れない。2000年以降は、嚎叫倶楽部の看板を下ろしたようだが、次のオーナーが決まるまでの一時期は勝手に店を開けてライブを行なっていたようだ。そして、同年から橡樹酒吧と改名した。
1998年
1998年4月
1998年5月
1998年7月
1998年9月
/1998年9月6日 /1998年9月16日 /1998年9月25日