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*'''崔石光''' [[ドラム]](2009年 - 2012年?) -- [[大話@梅楽隊]]のメンバー。2009年12月12日のライブに参加。2010年1月8日のライブには不参加。2010年から正式メンバー。
 
*'''崔石光''' [[ドラム]](2009年 - 2012年?) -- [[大話@梅楽隊]]のメンバー。2009年12月12日のライブに参加。2010年1月8日のライブには不参加。2010年から正式メンバー。
 
*'''[[蝌蚪|郭奕科]]'''([[蝌蚪]]) [[ベース]](2008年 - 2019年) -- 2009年12月12日のライブに参加。2013年頃から正式メンバーとなった。2020年は正式メンバーを離れ、ライブメンバーとなった。
 
*'''[[蝌蚪|郭奕科]]'''([[蝌蚪]]) [[ベース]](2008年 - 2019年) -- 2009年12月12日のライブに参加。2013年頃から正式メンバーとなった。2020年は正式メンバーを離れ、ライブメンバーとなった。
*'''伍紹維''' [[ドラム]](2013年 - 2019年) -- [[鏡花縁楽隊(広州市)|鏡花縁楽隊]]のメンバー。2012年4月1日、[[喜窩酒吧/2012年4月1日|喜窩酒吧]]で行なわれた小不点与[[小果]]の演奏を担当した。やがて、[[GoUp楽隊]]を結成した。2020年は正式メンバーを離れ、ライブメンバーとなった。
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*'''伍紹維''' [[ドラム]](2012年? - 2019年) -- [[鏡花縁楽隊(広州市)|鏡花縁楽隊]]のメンバー。2012年4月1日、[[喜窩酒吧/2012年4月1日|喜窩酒吧]]で行なわれた小不点与[[小果]]の演奏を担当した。やがて、[[GoUp楽隊]]を結成した。2020年は正式メンバーを離れ、ライブメンバーとなった。
  
 
=== ゲストボーカル ===
 
=== ゲストボーカル ===

2021年7月14日 (水) 01:47時点における版

与非門
Yufeimen 51.jpg
2013年の写真。(写真:与非門
基本情報
中国語名(簡体字) 与非门
中国語名(繁体字) 與非門
拼音 Yufeimen
発音転記 ユィフェイメヌ
出身地 広東省広州市
ジャンル メタル(初期)・ファンク(初期)・ヒップホップ(2000年)・オルタナティブ(2000年以降)・エレクトロロック(2000年以降)・ポップロック(2000年以降)
活動期間 1995年 -
影響 Guns n' Roses・Metallica・The Red Hot Chili Peppers・LMF
メンバー 蒋凡
阿慶
三少
2004年6月14日、上海市新天地ARKでのライブ。左から:三少蒋凡劉嘉慶(サポート)・阿慶。(撮影:YIREN
2003年1月1日、上海市新天地ARKでのライブ。映像と音楽の融合を試みた中国バンドは初めてである。左から:阿慶蒋凡三少。(撮影:YIREN
1997年の写真。(撮影:王寧徳、写真:与非门20周年:必须起舞 | 着调专访、老丁、着调
2000年の写真。左から:蒋凡三少阿慶。(写真:NANDのサイト)
2002年7月26日、北京市CD CAFEでのライブ。左から:三少蒋凡阿慶。(撮影:田鶏)
2004年2月14日、上海市B.BOSS Clubでのライブ。左から:阿慶蒋凡三少。(撮影:YIREN
2004年6月15日、上海市新天地ARKでのライブ。左から:蒋凡劉嘉慶(サポート)・阿慶。(撮影:YIREN
2010年3月28日、上海市MAO(上海店)でのライブ。左から:三少蝌蚪(サポート)・蒋凡阿慶。(撮影:YIREN

与非門(ユィフェイメヌ、Yumeimen)は、広東省広州市で活動しているバンド・ユニット。中国南方ロック最高の人気を誇るエレクトロロックバンド・ユニットである。

メンバー

過去に在籍したメンバー

  • 陳賢君(阿君) ギター(1995年 -1999年6月,2013年6月23日) -- 1999年7月、穴居蕩婦楽隊の再結成に参加した。
  • 子也 ベース(1995年 - 1999年6月) -- 1999年7月、穴居蕩婦楽隊の再結成に参加した。
  • 梁海山 ドラム(1995年 - ?)
  • 曠芷融 ボーカル(初期) -- 女性。
  • 李馳 (初期)
  • 張敬 ボーカル(1998年)
  • 高原 ドラム(? - 1999年6月) -- 1999年7月、穴居蕩婦楽隊の再結成に参加した。
  • 崔石光 ドラム(2009年 - 2012年?) -- 大話@梅楽隊のメンバー。2009年12月12日のライブに参加。2010年1月8日のライブには不参加。2010年から正式メンバー。
  • 郭奕科蝌蚪) ベース(2008年 - 2019年) -- 2009年12月12日のライブに参加。2013年頃から正式メンバーとなった。2020年は正式メンバーを離れ、ライブメンバーとなった。
  • 伍紹維 ドラム(2012年? - 2019年) -- 鏡花縁楽隊のメンバー。2012年4月1日、喜窩酒吧で行なわれた小不点与小果の演奏を担当した。やがて、GoUp楽隊を結成した。2020年は正式メンバーを離れ、ライブメンバーとなった。

ゲストボーカル

サポートメンバー

経歴

1995年に結成した。音楽的に対したレベルではなかったが、ライブでは人の耳に残るような演奏を行なっていた。音楽スタイルはメタルファンクであった。

やがて、広東省広州市のアンダーグラウンドシーンでは次第に名前が知られるようになっていたが、1999年6月には解散した。

2000年5月になり、与非門はユニットとして再結成する。メンバーは、三少阿慶で、再結成後、初めて創作した曲は、LMFのヒップホップに影響を受けた「快楽夜」であった。しかし、曲に女性の声が必要と感じ、何人かの女性を試した。結局、蒋凡に歌ってもらってから、3人での活動がスタートした。音楽はエレクトロロックを中心として、その中にいろいろなジャンルが交差している。

同年、レコーディングを行ない、2001年1月には、自主制作である1stEP『做愛做的事……』を発売した。やがて、『做愛做的事……』がレコード会社の目に留まり、同年末には、1stアルバム『01』が発売となった。

2002年11月、KORGのエレクトロニカダンス機材の中国地区エンドーザーとなった。12月30・31日と2003年1月1日、上海市新天地ARKでライブを行なった。そのうち12月31日と1月1日には、巨大スクリーンに映像を流して、音楽と映像の融合を試みるなど、中国のバンドとして、最先端の試みを行なっていた。

2003年4月、幾何文化と契約する。12月初、マレーシアへ行き、MV撮影などを行なう。12月、2ndアルバム『10楽園』が発売となった。アルバム発売前に発表した「正午」は、広東電台(ラジオ)の音楽先鋒榜で8週ランクイン(最高1位)、広州電台(ラジオ)の紅星風雲榜之華語熱播榜で4週ランクイン(最高1位)、広州電台の21世紀新音楽原創榜で8週ランクイン(最高1位)、広東電台の音楽先鋒榜で“第三季季選十大金曲的金曲金賞”に輝いた。

2004年3月、香港環球唱片公司(ユニバーサルレコード)と契約した。7月初、マレーシアでプロモーション活動を行なった。8月14日、シンガポールの「Singapore Fireworks Festival」に参加した。8月26日、フランス・ブレスト市で行なわれた「法国海浜音楽節」に中国代表として参加した。10月22日、日本の東京・渋谷eggmanで行なわれた「第1回東京アジア・ミュージックマーケット」に出演した。

2005年1月、3rdアルバム『11』が発売となった。10月、初のベスト・アルバムA邏輯』が発売となった。

海外でのライブだけでなく、全国の大型コンサートに参加するなど、広東省で最も実力と人気を兼ね備えたバンドである。

2008年、中天門文化伝媒(北京)有限公司と契約した。

2009年12月12日、4thアルバム『是与非』が発売となった。

2013年頃から、蒋凡が与非門での活動に参加しなくなった。その後、「与非門+」というプロジェクトを掲げるようになり、ボーカリストを固定しなくなった。

1stアルバム発売時の彼らの評価

彼らは広州市のアンダーグラウンドシーンで長年活動してきただけあって、広州市地区に数多くのファンを抱えているだけでなく、ラジオでアルバム収録曲が流され、テレビに出演するようになったため、アンダーグラウンドの枠を超え、多くのファンが付くようになった。ポップ調のメロディがあるため、一部のロックファンからは商業的な音楽だと揶揄される事もあるが、決して商業的ではなく、あくまでも「与非門」が目指す音楽を追求している結果に過ぎない。2003年7月12日、上海市新天地ARK竇唯+不一定楽隊のライブが行なわれたが、この時、竇唯は「1061」を歌った。コピーを一切演奏しない竇唯が歌ったという事で、かなり大きな話題となった。それだけ、与非門の曲が注目を浴びていたのである。

エレクトロロックシーンを牽引してきたバンドの行く末は

これまでの中国のバンドは、ボーカルギターベースドラムキーボードの一般的な編成で、以前から脈々と続くロックスタイルであったが、2000年以降から積極的にエレクトロミュージックを取り入れ、DJやVJをゲストに呼んで、技術を駆使して最先端の欧米の音楽を目指したバンドである。実験的な要素を取り入れながらも、メジャー路線を追求しており、その音楽スタイルが中国内外で評価され、南方バンドの中ではいち早く海外大手レーベルと契約することになった。

音楽スタイルを注目されることが多いが、これまでの4枚のアルバムに参加してきた蒋凡の、淡々としていて気だるさを醸しだしながらも、力強さも感じさせるボーカルも魅力的であり、彼女がボーカルを担当しなければ、与非門は現在の地位まで登ることができたか、不明である。ただ、蒋凡はすでに不在で、新しいボーカリストがゲスト参加する形になったが、このスタイルが以前の与非門を越えることができるか、今後に注目である。

2020年6月になり、蒋凡が復帰し、7月18日には中山記念堂で20周年記念ライブを行ない、大きな話題を呼んだ。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ベスト・アルバム

EP

プロモーション・シングル

デモテープ

コラボレーション・シングル

  • 派楽隊 Feat. 与非門 満紅紅(2006年11月)

ソロ発表曲 

テンプレート:Solo List 50

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考
ラジオ城市民謡夜2002/1/22インタビュー、歌仏山電台の番組より▽ホームページ上からダウンロードできた
VCD音楽王国0022004/10ライブ、自己紹介

主要なライブ・コンサート

外部リンク