「曹平」の版間の差分
36行目: | 36行目: | ||
=== 過去に在籍したメンバー === | === 過去に在籍したメンバー === | ||
− | *'''[[ | + | *'''[[曹均]]''' [[ベース]](1986年 - 1987年前半) |
*'''蔡深文''' [[ドラム]](1986年) | *'''蔡深文''' [[ドラム]](1986年) | ||
== 経歴 == | == 経歴 == | ||
− | [[北京市]]で生まれたが、3歳の時に[[広東省]][[広州市]]に移る。1974年から[[ギター]]を勉強し、1975年には、[[広州市]]で有名な[[ギタリスト]]・容氏兄弟に[[ギター]]を教えてもらう。のち、弟の[[ | + | [[北京市]]で生まれたが、3歳の時に[[広東省]][[広州市]]に移る。1974年から[[ギター]]を勉強し、1975年には、[[広州市]]で有名な[[ギタリスト]]・容氏兄弟に[[ギター]]を教えてもらう。のち、弟の[[曹均]]までが[[ギター]]を好きになったので、曹平は彼に[[ギター]]を教えるようになる。1979年、[[人民解放軍]]に入隊する。 |
1980年には、陳志の教材で[[ギター]]を勉強し、技術が格段にアップした。やがて[[曹鈞]]が[[香港]]の六線譜を入手した。以後、カセットを聴きながら英語の曲を練習し始める。当時先生の家で、The Beatlesの曲を聴いていた。また[[ファンク]]を好んで聴くようになる。 | 1980年には、陳志の教材で[[ギター]]を勉強し、技術が格段にアップした。やがて[[曹鈞]]が[[香港]]の六線譜を入手した。以後、カセットを聴きながら英語の曲を練習し始める。当時先生の家で、The Beatlesの曲を聴いていた。また[[ファンク]]を好んで聴くようになる。 | ||
49行目: | 49行目: | ||
1985年には、[[奥琪吉它大奨賽]]に兄弟で出場する。そこで、[[高旗]]と知り合いになる。同年末には、[[七合板楽隊]]と交流を結ぶようになる。 | 1985年には、[[奥琪吉它大奨賽]]に兄弟で出場する。そこで、[[高旗]]と知り合いになる。同年末には、[[七合板楽隊]]と交流を結ぶようになる。 | ||
− | 1985年から1986年にかけて、[[高旗]]と行動を共にするようになる。1986年には、曹平・[[高旗]]・[[ | + | 1985年から1986年にかけて、[[高旗]]と行動を共にするようになる。1986年には、曹平・[[高旗]]・[[曹均]]・蔡深文でバンドを結成したが、バンド名は無かった。 |
1987年5月には、[[北京化工学院]]で行なわれた[[PARTY]]に参加した。このライブ以後、[[高旗]]とともに本格的なバンド結成を考え、夏から[[中央美術学院]]に行って[[Mayfly楽隊]]を結成して、練習を開始した。しかし[[高旗]]との音楽的な方向性の違いが明らかとなり、同年末には解散となった。また同年秋には、[[Da Da Da楽隊]]を結成したが、1年あまりで解散となった。 | 1987年5月には、[[北京化工学院]]で行なわれた[[PARTY]]に参加した。このライブ以後、[[高旗]]とともに本格的なバンド結成を考え、夏から[[中央美術学院]]に行って[[Mayfly楽隊]]を結成して、練習を開始した。しかし[[高旗]]との音楽的な方向性の違いが明らかとなり、同年末には解散となった。また同年秋には、[[Da Da Da楽隊]]を結成したが、1年あまりで解散となった。 | ||
175行目: | 175行目: | ||
[[Category:アーティスト]] | [[Category:アーティスト]] | ||
[[Category:北京市のアーティスト]] | [[Category:北京市のアーティスト]] | ||
+ | [[Category:音楽関係者]] | ||
+ | [[Category:北京市の音楽関係者]] | ||
[[Category:ギタリスト]] | [[Category:ギタリスト]] | ||
[[Category:ベーシスト]] | [[Category:ベーシスト]] | ||
[[Category:ドラマー]] | [[Category:ドラマー]] | ||
[[Category:音楽学校講師]] | [[Category:音楽学校講師]] |
2019年7月11日 (木) 00:22時点における版
曹平 | |
---|---|
1990年代前半の写真だと思われる。 | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 曹平 |
中国語名(繁体字) | 曹平 |
拼音 | Cao Ping |
発音転記 | ツァオ ピン |
出生日 | 1961年3月22日 |
出身地 | 北京市 |
担当楽器 | ギター・ベース・ドラム |
職業 | 音楽学校講師 |
メンバー |
曹平 高旗 張炬 朱佳 周松 |
曹平(ツァオ ピン、Cao Ping、1961年3月22日 -)は、北京市で活動しているギタリスト。「ロック伝教士」の異名を持つ、中国で本当のロックを初めて演奏したギタリストである。
メンバー
- 曹平 リードギター & ボーカル(1986年 - 1987年末)
- 高旗 リズムギター(1986年 - 1987年末)
- 張炬 ベース(1987年 - 1987年末)
- 朱佳 (1987年前半 - 1987年末)
- 周松 (1987年前半 - 1987年末)
過去に在籍したメンバー
経歴
北京市で生まれたが、3歳の時に広東省広州市に移る。1974年からギターを勉強し、1975年には、広州市で有名なギタリスト・容氏兄弟にギターを教えてもらう。のち、弟の曹均までがギターを好きになったので、曹平は彼にギターを教えるようになる。1979年、人民解放軍に入隊する。
1980年には、陳志の教材でギターを勉強し、技術が格段にアップした。やがて曹鈞が香港の六線譜を入手した。以後、カセットを聴きながら英語の曲を練習し始める。当時先生の家で、The Beatlesの曲を聴いていた。またファンクを好んで聴くようになる。
1982年、復員と共に北京市に戻る。1983年、イギリスの友達が持ってきたアーティストやロックに関する本を翻訳した。
1985年には、奥琪吉它大奨賽に兄弟で出場する。そこで、高旗と知り合いになる。同年末には、七合板楽隊と交流を結ぶようになる。
1985年から1986年にかけて、高旗と行動を共にするようになる。1986年には、曹平・高旗・曹均・蔡深文でバンドを結成したが、バンド名は無かった。
1987年5月には、北京化工学院で行なわれたPARTYに参加した。このライブ以後、高旗とともに本格的なバンド結成を考え、夏から中央美術学院に行ってMayfly楽隊を結成して、練習を開始した。しかし高旗との音楽的な方向性の違いが明らかとなり、同年末には解散となった。また同年秋には、Da Da Da楽隊を結成したが、1年あまりで解散となった。
1988年には、時効楽隊を結成したが、翌年解散となった。当時、彼の住んでいた西三旗賓館では、多くのロッカー達が練習や情報交換のためにやってきていて、ここに同居したことのあるロッカーは20人以上もいた。
1993年、北京迷笛音楽学校の創立時の講師となり、多くの海外教材を翻訳した。
1996年、北京現代音楽研修学院を創立する。
国内外のロックに詳しく、またギターも得意であったため、多くのロッカーが彼の周りに集まってきた。中国ロック界で第一世代と呼ばれる人物から現在に到るまで、多くの人物が彼から音楽について教わっていた。バンド活動は決して成功したとはいえないが、中国ロックの発展に大きく貢献した人物である。
1998年には赤龍楽隊を結成した。
1999年、曹平音楽教室を設立した。
ディスコグラフィー
音楽教材
参加アルバム
アーティスト・バンド名 | 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
呼吸楽隊 | 爱的光芒 | 呼吸 | 1990/7 | 作曲(高旗と) | |
呼吸楽隊 | 爱的光芒 | 中国大揺滾 - 献給国際減災十年 | 1993/1/8 | 作曲(高旗と) | |
呼吸楽隊 | 爱的光芒 | 揺滾衝撃波1 | 1994 | 作曲(高旗と) | |
呼吸楽隊 | 爱的光芒 | 中国揺滾経典 | 1995 | 作曲(高旗と) |
出演
媒体 | 曲名 | 収録ソフト名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
VCD | 曹平教你弹弗拉门戈吉他(上) | G2 吉他平方2004第10期 | 2004/10 | フラメンコギター教学 |
主要なライブ・コンサート
- 1985年 北京市 奥琪吉它大奨賽 兄弟で出場
- 1987年5月 北京市 北京化工学院地下礼堂 PARTY メンバー:曹平・高旗・曹鈞など
- 2000年3月28日 北京市 V-One Club クレジット:曹平+曹鈞+厳剛+高旗
外部リンク
- UTF-8