「撹水男孩楽隊」の版間の差分
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+ | == 経歴 == | ||
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+ | 瀋陽のバンド。1995年末結成。メンバーは阿白(Vo)・楊志明(G)・(G)・老虎(B)・(Dr)。音楽スタイルはNirvanaの影響を強く受けている。 | ||
+ | 1996年11月1・2日、説[イ尓]説我酒[ロ巴]で行われた“芸術家的精神聚会”に出演した。12月20日、“紅茶房的春天”ライブに参加した。 | ||
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+ | 1997年1月31日、“一記鉄拳”ライブに参加した。4月8日、“記念柯特柯本(Kurt Cobain)辞世三周年”ライブに参加した。同年、北京で活動しようと上京するが、北京のロック界に合わないと感じ、瀋陽に戻ってしまう。9月5日、鉄西区和平影劇院で、瀋陽アンダーグラウンド史に残るライブを行う。まだ、瀋陽ではほとんどライブが行われていなかった時だったが、1000人以上もの客が集まった。12月24日、瀋陽で子曰楽隊やNO楽隊と共にライブを行った。 | ||
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+ | 多くのバーや会場でライブを行い、その活躍振りが、『音楽天堂』・『朋克時代』・『摩登天空有声音楽雑誌』・『通俗歌曲』などの音楽雑誌に紹介されたことがあった。 | ||
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+ | 1999年3月、唐山コンサートに参加したメンバー | ||
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+ | 1998年4月には蘭州へ赴き、咸陽の子彈打完了楽隊、蘭州の王凡、點串楽隊、紅楽隊、水晶花園楽隊とともにライブを行う。戻ってきた後、メンバーの生活苦が原因でバンドは解散してしまった。 | ||
+ | 1999年になり、再結成する。3月27日、河北省唐山の西山口倶楽部で行われた“春天来了!!!‐1999中国新音楽発表会”に参加した。2000年12月19日、瀋陽の凱特金酒[ロ巴]でライブを行った。阿白は同年、瀋陽のインディーズカルチャー雑誌『大衆健康』を発行した。 | ||
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+ | 1990年代の瀋陽のインディーズバンドの中で、最も大陸中に名前が知れ渡っているバンドである。 | ||
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+ | 2001年のメンバーは阿白(Vo)・楊志明(リズムG)・張淺(リードG)・老虎(B)・小丹(Dr)・朱遥(Key)。4月27日、東陵文化宮でのライブを最後に5月初には上京し、樹村で生活をし始めた。8月、瀋陽の嬉皮士酒[ロ巴]で行われた“福音演唱会”に参加した。 | ||
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+ | 2002年12月25日のライブ | ||
+ | (写真:[王奇][王奇]、サイト:「自由之声」) | ||
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+ | 2002年2月8日、約1年振りに瀋陽でライブを行った。2月28日、瀋陽市の嬉皮士酒[ロ巴]でライブを行った。7月20日、瀋陽市の嬉皮士酒[ロ巴]で行われたPK14楽隊の孫霞のための“尽可能---不挿電友情演出”チャリティコンサートに参加した。12月25日、瀋陽市の[石盍]酒[ロ巴]でライブを行った。 | ||
+ | 2003年3月30日、瀋陽の嬉皮士酒[ロ巴]で行われた“給和平一次機会-人道主義援助”チャリティーライブに参加した。4月5日、瀋陽の唐寧[ロ巴]倶楽部で行われた[シ文]麟と陸勳の“揺滾現場”のゲストとして出演した。 | ||
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+ | 2004年初、バンドは解散となった。 | ||
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+ | 張淺は2004年にまでにはバンドを脱退した。そして2004年4月18日には、大連の火鳥演芸[ロ巴]で行われた“DUNCAN之夜”ライブに参加した。 | ||
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+ | 1997年1月31日、“一記鉄拳”ライブに参加した。4月8日、“記念柯特柯本(Kurt Cobain)辞世三周年”ライブに参加した。同年、北京で活動しようと上京するが、北京のロック界に合わないと感じ、瀋陽に戻ってしまう。9月5日、鉄西区和平影劇院で、瀋陽アンダーグラウンド史に残るライブを行う。まだ、瀋陽ではほとんどライブが行われていなかった時だったが、1000人以上もの客が集まった。12月24日、瀋陽で子曰楽隊やNO楽隊と共にライブを行った。 | ||
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+ | 2002年2月8日、約1年振りに瀋陽でライブを行った。2月28日、瀋陽市の嬉皮士酒[ロ巴]でライブを行った。7月20日、瀋陽市の嬉皮士酒[ロ巴]で行われたPK14楽隊の孫霞のための“尽可能---不挿電友情演出”チャリティコンサートに参加した。12月25日、瀋陽市の[石盍]酒[ロ巴]でライブを行った。 | ||
+ | 2003年3月30日、瀋陽の嬉皮士酒[ロ巴]で行われた“給和平一次機会-人道主義援助”チャリティーライブに参加した。4月5日、瀋陽の唐寧[ロ巴]倶楽部で行われた[シ文]麟と陸勳の“揺滾現場”のゲストとして出演した。 | ||
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+ | 2004年初、バンドは解散となった。 | ||
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+ | 張淺は2004年にまでにはバンドを脱退した。そして2004年4月18日には、大連の火鳥演芸[ロ巴]で行われた“DUNCAN之夜”ライブに参加した。 | ||
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2020年6月16日 (火) 12:05時点における版
撹水男孩楽隊 | |
---|---|
1999年3月、唐山コンサートに参加したメンバー。 | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 搅水男孩 |
中国語名(繁体字) | 攪水男孩 |
拼音 | Jiaoshui Nanhai |
発音転記 | ジアオショイ ナヌハイ |
出身地 | 遼寧省瀋陽市 |
ジャンル | グランジ |
活動期間 | 1995年末 - ? |
影響 | Nirvana |
メンバー |
阿白 張浅 楊志明 老虎 小丹 朱遥 |
撹水男孩楽隊(ジアオショイ ナヌハイ、Jiaoshui Nanhai)は、2000年代前半、遼寧省瀋陽市で活動していたバンド。
メンバー
過去に在籍したメンバー
経歴
瀋陽のバンド。1995年末結成。メンバーは阿白(Vo)・楊志明(G)・(G)・老虎(B)・(Dr)。音楽スタイルはNirvanaの影響を強く受けている。 1996年11月1・2日、説[イ尓]説我酒[ロ巴]で行われた“芸術家的精神聚会”に出演した。12月20日、“紅茶房的春天”ライブに参加した。
1997年1月31日、“一記鉄拳”ライブに参加した。4月8日、“記念柯特柯本(Kurt Cobain)辞世三周年”ライブに参加した。同年、北京で活動しようと上京するが、北京のロック界に合わないと感じ、瀋陽に戻ってしまう。9月5日、鉄西区和平影劇院で、瀋陽アンダーグラウンド史に残るライブを行う。まだ、瀋陽ではほとんどライブが行われていなかった時だったが、1000人以上もの客が集まった。12月24日、瀋陽で子曰楽隊やNO楽隊と共にライブを行った。
多くのバーや会場でライブを行い、その活躍振りが、『音楽天堂』・『朋克時代』・『摩登天空有声音楽雑誌』・『通俗歌曲』などの音楽雑誌に紹介されたことがあった。
1999年3月、唐山コンサートに参加したメンバー
1998年4月には蘭州へ赴き、咸陽の子彈打完了楽隊、蘭州の王凡、點串楽隊、紅楽隊、水晶花園楽隊とともにライブを行う。戻ってきた後、メンバーの生活苦が原因でバンドは解散してしまった。 1999年になり、再結成する。3月27日、河北省唐山の西山口倶楽部で行われた“春天来了!!!‐1999中国新音楽発表会”に参加した。2000年12月19日、瀋陽の凱特金酒[ロ巴]でライブを行った。阿白は同年、瀋陽のインディーズカルチャー雑誌『大衆健康』を発行した。
1990年代の瀋陽のインディーズバンドの中で、最も大陸中に名前が知れ渡っているバンドである。
2001年のメンバーは阿白(Vo)・楊志明(リズムG)・張淺(リードG)・老虎(B)・小丹(Dr)・朱遥(Key)。4月27日、東陵文化宮でのライブを最後に5月初には上京し、樹村で生活をし始めた。8月、瀋陽の嬉皮士酒[ロ巴]で行われた“福音演唱会”に参加した。
2002年12月25日のライブ (写真:[王奇][王奇]、サイト:「自由之声」)
2002年2月8日、約1年振りに瀋陽でライブを行った。2月28日、瀋陽市の嬉皮士酒[ロ巴]でライブを行った。7月20日、瀋陽市の嬉皮士酒[ロ巴]で行われたPK14楽隊の孫霞のための“尽可能---不挿電友情演出”チャリティコンサートに参加した。12月25日、瀋陽市の[石盍]酒[ロ巴]でライブを行った。 2003年3月30日、瀋陽の嬉皮士酒[ロ巴]で行われた“給和平一次機会-人道主義援助”チャリティーライブに参加した。4月5日、瀋陽の唐寧[ロ巴]倶楽部で行われた[シ文]麟と陸勳の“揺滾現場”のゲストとして出演した。
2004年初、バンドは解散となった。
張淺は2004年にまでにはバンドを脱退した。そして2004年4月18日には、大連の火鳥演芸[ロ巴]で行われた“DUNCAN之夜”ライブに参加した。
ディスコグラフィー
ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
---|---|---|---|
化学尸体 | 血色童心 | 2001/8 | |
化学尸体 | 我愛揺滾楽11 | 2002/1 | 『血色童心』と同じ |
主要なライブ・コンサート
瀋陽のバンド。1995年末結成。メンバーは阿白(Vo)・楊志明(G)・李一驍(G)・老虎(B)・狂魔(Dr)。音楽スタイルはNirvanaの影響を強く受けている。 1996年11月1・2日、説[イ尓]説我酒[ロ巴]で行われた“芸術家的精神聚会”に出演した。12月20日、“紅茶房的春天”ライブに参加した。
1997年1月31日、“一記鉄拳”ライブに参加した。4月8日、“記念柯特柯本(Kurt Cobain)辞世三周年”ライブに参加した。同年、北京で活動しようと上京するが、北京のロック界に合わないと感じ、瀋陽に戻ってしまう。9月5日、鉄西区和平影劇院で、瀋陽アンダーグラウンド史に残るライブを行う。まだ、瀋陽ではほとんどライブが行われていなかった時だったが、1000人以上もの客が集まった。12月24日、瀋陽で子曰楽隊やNO楽隊と共にライブを行った。
多くのバーや会場でライブを行い、その活躍振りが、『音楽天堂』・『朋克時代』・『摩登天空有声音楽雑誌』・『通俗歌曲』などの音楽雑誌に紹介されたことがあった。
1999年3月、唐山コンサートに参加したメンバー
1998年4月には蘭州へ赴き、咸陽の子彈打完了楽隊、蘭州の王凡、點串楽隊、紅楽隊、水晶花園楽隊とともにライブを行う。戻ってきた後、メンバーの生活苦が原因でバンドは解散してしまった。 1999年になり、再結成する。3月27日、河北省唐山の西山口倶楽部で行われた“春天来了!!!‐1999中国新音楽発表会”に参加した。2000年12月19日、瀋陽の凱特金酒[ロ巴]でライブを行った。阿白は同年、瀋陽のインディーズカルチャー雑誌『大衆健康』を発行した。
1990年代の瀋陽のインディーズバンドの中で、最も大陸中に名前が知れ渡っているバンドである。
2001年のメンバーは阿白(Vo)・楊志明(リズムG)・張淺(リードG)・老虎(B)・小丹(Dr)・朱遥(Key)。4月27日、東陵文化宮でのライブを最後に5月初には上京し、樹村で生活をし始めた。8月、瀋陽の嬉皮士酒[ロ巴]で行われた“福音演唱会”に参加した。
2002年12月25日のライブ (写真:[王奇][王奇]、サイト:「自由之声」)
2002年2月8日、約1年振りに瀋陽でライブを行った。2月28日、瀋陽市の嬉皮士酒[ロ巴]でライブを行った。7月20日、瀋陽市の嬉皮士酒[ロ巴]で行われたPK14楽隊の孫霞のための“尽可能---不挿電友情演出”チャリティコンサートに参加した。12月25日、瀋陽市の[石盍]酒[ロ巴]でライブを行った。 2003年3月30日、瀋陽の嬉皮士酒[ロ巴]で行われた“給和平一次機会-人道主義援助”チャリティーライブに参加した。4月5日、瀋陽の唐寧[ロ巴]倶楽部で行われた[シ文]麟と陸勳の“揺滾現場”のゲストとして出演した。
2004年初、バンドは解散となった。
張淺は2004年にまでにはバンドを脱退した。そして2004年4月18日には、大連の火鳥演芸[ロ巴]で行われた“DUNCAN之夜”ライブに参加した。