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'''鉄玉蘭楽隊'''(ティエユィラヌ、Tieyulan)は、1990年代後半、[[上海市]]で活動していたバンド。[[上海市|上海]]のバンドで初めてアルバムを発売し、全国的に名前が知れ渡ったバンドである。 | '''鉄玉蘭楽隊'''(ティエユィラヌ、Tieyulan)は、1990年代後半、[[上海市]]で活動していたバンド。[[上海市|上海]]のバンドで初めてアルバムを発売し、全国的に名前が知れ渡ったバンドである。 | ||
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=== マネージャー === | === マネージャー === | ||
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+ | 彼らの音楽は、流行音楽を好む[[上海人]]と同様、バラードを中心とした[[ポップロック]]を演奏しており、それが逆に当時としては新鮮であったため、[[老哥]]の目に留まることになった。 | ||
− | + | 1995年1月、[[百楽門]]での専属バンドの契約が突然終了してしまい、それからはメンバーは定期的な練習以外は、それぞれいろいろな店で専属ミュージシャンとして活動を始めた。 | |
− | + | [[程進]](元・[[紅星生産社]]総経理、[[MTV]]の取材担当、のちの[[麒麟童公司]]総経理)からは、上京して活動しないかと声をかけられたが、①メンバーがみな[[上海人]]で北方での生活に合わない、もしレコーディングやライブは問題なくても、長期での生活には向かない場所、②北方文化を取り入れることによって、自分達の特色(上海の文化)を失う可能性があるという判断から、やんわりと上京を断った。 | |
− | + | 1997年3月、王小峰に[[デモテープ]]を委託し、レコード会社を探してもらうことにした。5月から7月、42日間をかけて、1stアルバムをレコーディングした。7月、[[北京京文音像公司]]と正式契約を結んだ。 | |
− | 1998年2月19日、[[台湾]]の[[喜多音楽有限公司]]と[[北京京文音像公司]] | + | 1998年2月19日、[[台湾]]の[[喜多音楽有限公司]]と[[北京京文音像公司]]が海外でのアルバム発売の契約をした。4月11日に1stアルバム『[[鉄玉蘭楽隊(鉄玉蘭楽隊)|鉄玉蘭楽隊]]』(台湾盤は『[[回家的路(鉄玉蘭楽隊)|回家的路]]』)が発売となった。アルバム発売は、[[上海ロック]]バンド初の快挙となった。 |
暫く表立った活動の話は聞かなかったが、メンバーを多少入れ替え、2001年12月23日には、[[上海市]]の[[新天地ARK]]でライブを行なった。 | 暫く表立った活動の話は聞かなかったが、メンバーを多少入れ替え、2001年12月23日には、[[上海市]]の[[新天地ARK]]でライブを行なった。 | ||
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*[[蘭心大戯院/1994年5月|1994年5月 上海市 蘭心大戯院]] | *[[蘭心大戯院/1994年5月|1994年5月 上海市 蘭心大戯院]] | ||
− | *[[上海外国語大学/ | + | *1994年12月初 [[上海電視台|上海電視台演播大庁]] 『中国原創音楽榜季度頒奬礼』 季度十大歌曲 |
+ | *[[上海外国語大学/1994年12月16日|1994年12月16日 上海市 上海外国語大学]] オーストラリア新聞電視台の取材を受ける | ||
+ | *1990年代半ば [[上海市]] [[部落人酒吧]] | ||
+ | *1995年8月29日 [[MTV]] 取材を受ける | ||
*[[上海徐匯区少年宮劇場/1996年7月6日|1996年7月6日 上海市 上海徐匯区少年宮劇場]] | *[[上海徐匯区少年宮劇場/1996年7月6日|1996年7月6日 上海市 上海徐匯区少年宮劇場]] | ||
− | * | + | *[[陽陽迪斯科舞庁/1998年4月11日|1998年4月11日 上海市 陽陽迪斯科舞庁]] 1stアルバム発表会 |
+ | *[[天星音像専売店/1998年7月25日|1998年7月25日 北京市 天星音像専売店]] 1stアルバム発売記念サイン会 | ||
*[[新天地ARK/2001年12月23日|2001年12月23日 上海市 新天地ARK]] | *[[新天地ARK/2001年12月23日|2001年12月23日 上海市 新天地ARK]] | ||
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鉄玉蘭楽隊 | |
---|---|
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 铁玉兰 |
中国語名(繁体字) | 鐵玉蘭 |
拼音 | Tieyulan |
発音転記 | ティエユィラヌ |
英語名・外国語名 | IRON ORCHID、IRON MAGNOLLA |
出身地 | 上海市 |
ジャンル | ポップロック・ハードロック |
活動期間 | 1994年春 - ? |
メンバー | 胡建明 |
鉄玉蘭楽隊(ティエユィラヌ、Tieyulan)は、1990年代後半、上海市で活動していたバンド。上海のバンドで初めてアルバムを発売し、全国的に名前が知れ渡ったバンドである。
メンバー
過去に在籍したメンバー
- 張明華 ドラム(1994年4月26日 - 1994年5月) -- 百楽門でのライブに参加。
- 周楽嘉 ドラム(1994年5月 - 1997年初) -- 元・双針楽隊のメンバー。『揺滾中国III』のレコーディングに参加。上海民族楽団に在籍していたため、北京市などのライブに参加することができず脱退。
- 高天 リードギター(1997年2月 - 1998年後半?)
- 白雷(阿雲嘎) ドラム(1997年2月 - 1998年?) -- 以前は広東省深圳市にいたが、周紫峰に呼ばれて参加。
- 周紫峰 リードギター(1994年春 - 1998年前半頃,2001年12月23日) -- 元・双針楽隊のメンバー。百楽門でのライブには不参加。1998年7月のサイン会は不参加。
- 蔡継文 ベース(1994年春 - 2001年?) -- 元・双針楽隊のメンバー。
- 董音 キーボード(1994年春 - 2001年?) -- 元・双針楽隊のメンバー。
マネージャー
経歴
1994年春、双針楽隊が改名した。バンド名に関しては上海市のバンドらしさを見せるために、素朴で強い男性的なイメージの「鉄」と、上海市の市花である「玉蘭」の2つの単語を繋げたもので、蔡継文が名付けた。11月、自分達でレコーディングした「回家的路」のデモテープがラジオで放送され、中国原創音楽榜と東方風雲榜の2つの音楽ランキングで1位となる。『中国原創音楽榜季度頒奬礼』では、季度十大歌曲に選ばれた。11月には、老哥からの要請で上京して「回家的路」をレコーディングし、のちにオムニバス・アルバム『揺滾中国III』に曲が収録されたことで、上海市のバンドで初めて全国に知れ渡ったバンドとなる。
彼らの音楽は、流行音楽を好む上海人と同様、バラードを中心としたポップロックを演奏しており、それが逆に当時としては新鮮であったため、老哥の目に留まることになった。
1995年1月、百楽門での専属バンドの契約が突然終了してしまい、それからはメンバーは定期的な練習以外は、それぞれいろいろな店で専属ミュージシャンとして活動を始めた。
程進(元・紅星生産社総経理、MTVの取材担当、のちの麒麟童公司総経理)からは、上京して活動しないかと声をかけられたが、①メンバーがみな上海人で北方での生活に合わない、もしレコーディングやライブは問題なくても、長期での生活には向かない場所、②北方文化を取り入れることによって、自分達の特色(上海の文化)を失う可能性があるという判断から、やんわりと上京を断った。
1997年3月、王小峰にデモテープを委託し、レコード会社を探してもらうことにした。5月から7月、42日間をかけて、1stアルバムをレコーディングした。7月、北京京文音像公司と正式契約を結んだ。
1998年2月19日、台湾の喜多音楽有限公司と北京京文音像公司が海外でのアルバム発売の契約をした。4月11日に1stアルバム『鉄玉蘭楽隊』(台湾盤は『回家的路』)が発売となった。アルバム発売は、上海ロックバンド初の快挙となった。
暫く表立った活動の話は聞かなかったが、メンバーを多少入れ替え、2001年12月23日には、上海市の新天地ARKでライブを行なった。
その後、ライブ活動をしていないが、バンド自体は解散を宣言していない。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
デモテープ
- 回家的路(中唱版)(1994年9月)
ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
---|---|---|---|
回家的路 | 揺滾中国III | 1995/7 | バックボーカル:『另類拼盤』も▽1994年10月31日から11月4日かけて北京市に行き、北京百花録音棚でレコーディングを行なった▽王江は「回家的路(百花版)」と呼んでいる |
回家的路 | 京文TV零号 | 1999/9 | ▼MV |
回家的路 | 京文時態零号 | 1999/9 | |
回家的路 | 揺滾十年 | 2010 | |
月亮光 | 20世紀中国揺滾大系1 | 1999 | 1stアルバムと同じ▽『揺滾衝撃波3』も |
月亮光 | 京文TV零号 | 1999/9 | ▼MV |
月亮光 | 京文時態零号 | 1999/9 | 1stアルバムと同じ |
主要なライブ・コンサート
- 1994年4月26日 上海市 百楽門
- 1994年4月26日 - 1995年1月 上海市 百楽門 専属バンド
- 1994年5月 上海市 蘭心大戯院
- 1994年12月初 上海電視台演播大庁 『中国原創音楽榜季度頒奬礼』 季度十大歌曲
- 1994年12月16日 上海市 上海外国語大学 オーストラリア新聞電視台の取材を受ける
- 1990年代半ば 上海市 部落人酒吧
- 1995年8月29日 MTV 取材を受ける
- 1996年7月6日 上海市 上海徐匯区少年宮劇場
- 1998年4月11日 上海市 陽陽迪斯科舞庁 1stアルバム発表会
- 1998年7月25日 北京市 天星音像専売店 1stアルバム発売記念サイン会
- 2001年12月23日 上海市 新天地ARK
外部リンク
- 中国語