「曹平」の版間の差分
(同じ利用者による、間の9版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{Infobox Musician | {{Infobox Musician | ||
| name = 曹平 | | name = 曹平 | ||
− | | image = [[Image:Caoping_11.jpg|center| | + | | image = [[Image:Caoping_11.jpg|center|220px]] |
| iamge_caption = 1990年代前半の写真だと思われる。 | | iamge_caption = 1990年代前半の写真だと思われる。 | ||
| chinesename_jiantizi = 曹平 | | chinesename_jiantizi = 曹平 | ||
17行目: | 17行目: | ||
| instrument = [[ギター]]・[[ベース]]・[[ドラム]] | | instrument = [[ギター]]・[[ベース]]・[[ドラム]] | ||
| genre = | | genre = | ||
− | | occupation = [[音楽学校講師]] | + | | occupation = [[音楽学校講師]]・[[プロダクション経営者]] |
| years_active = | | years_active = | ||
| influences = | | influences = | ||
− | | current_members = 曹平<br />[[高旗]]<br />[[ | + | | current_members = 曹平<br />[[高旗]]<br />[[曹均]] |
}} | }} | ||
30行目: | 30行目: | ||
*'''曹平''' [[リードギター]] & [[ボーカル]](1986年 - 1987年末) | *'''曹平''' [[リードギター]] & [[ボーカル]](1986年 - 1987年末) | ||
*'''[[高旗]]''' [[リズムギター]](1986年 - 1987年末) | *'''[[高旗]]''' [[リズムギター]](1986年 - 1987年末) | ||
− | *'''[[ | + | *'''[[曹均]]''' [[ベース]](1986年 - 1987年前半) |
− | |||
− | |||
=== 過去に在籍したメンバー === | === 過去に在籍したメンバー === | ||
− | |||
*'''蔡深文''' [[ドラム]](1986年) | *'''蔡深文''' [[ドラム]](1986年) | ||
47行目: | 44行目: | ||
1982年、復員と共に[[北京市]]に戻る。1983年、[[イギリス]]の友達が持ってきたアーティストやロックに関する本を翻訳した。 | 1982年、復員と共に[[北京市]]に戻る。1983年、[[イギリス]]の友達が持ってきたアーティストやロックに関する本を翻訳した。 | ||
− | + | 1985年夏には、[[奥琪吉它大奨賽]]に兄弟で出場する。そこで、[[高旗]]と知り合いになる。同年末には、[[七合板楽隊]]と交流を結ぶようになる。 | |
1985年から1986年にかけて、[[高旗]]と行動を共にするようになる。1986年には、曹平・[[高旗]]・[[曹均]]・蔡深文でバンドを結成したが、バンド名は無かった。 | 1985年から1986年にかけて、[[高旗]]と行動を共にするようになる。1986年には、曹平・[[高旗]]・[[曹均]]・蔡深文でバンドを結成したが、バンド名は無かった。 | ||
54行目: | 51行目: | ||
1988年には、[[時効楽隊]]を結成したが、翌年解散となった。当時、彼の住んでいた西三旗賓館では、多くのロッカー達が練習や情報交換のためにやってきていて、ここに同居したことのあるロッカーは20人以上もいた。 | 1988年には、[[時効楽隊]]を結成したが、翌年解散となった。当時、彼の住んでいた西三旗賓館では、多くのロッカー達が練習や情報交換のためにやってきていて、ここに同居したことのあるロッカーは20人以上もいた。 | ||
+ | |||
+ | その後、鬱病のような状態になってしまい、積極的な活動はしなくなっていった。 | ||
1993年、[[北京迷笛音楽学校]]の創立時の講師となり、多くの海外教材を翻訳した。 | 1993年、[[北京迷笛音楽学校]]の創立時の講師となり、多くの海外教材を翻訳した。 | ||
1996年、[[北京現代音楽研修学院]]を創立する。 | 1996年、[[北京現代音楽研修学院]]を創立する。 | ||
− | |||
− | |||
1998年には[[赤龍楽隊]]を結成した。 | 1998年には[[赤龍楽隊]]を結成した。 | ||
− | 1999年、[[ | + | 1999年、[[曹平知音教室]]を設立した。同年、[[Mitabe楽隊]]で[[ドラム]]を担当した。 |
2008年から[[北京巴洛克学院]]で[[音楽学校講師]]となった。 | 2008年から[[北京巴洛克学院]]で[[音楽学校講師]]となった。 | ||
+ | |||
+ | == 評判 == | ||
+ | |||
+ | 国内外のロックに詳しく、また[[ギター]]も得意であったため、多くのロッカーが彼の周りに集まってきた。[[中国ロック]]界で第一世代と呼ばれる人物から現在に到るまで、多くの人物が彼から音楽や楽器について教わっていた。[[中国ロック]]界の裏方として、[[中国ロック]]の発展に大きく貢献した人物である。 | ||
== ディスコグラフィー == | == ディスコグラフィー == | ||
163行目: | 164行目: | ||
== 主要なライブ・コンサート == | == 主要なライブ・コンサート == | ||
− | *[[奥琪吉它大奨賽| | + | *[[奥琪吉它大奨賽|1985年夏 北京市 奥琪吉它大奨賽]] 兄弟で出場 |
*[[北京化工学院/1987年5月|1987年5月 北京市 北京化工学院地下礼堂 PARTY]] メンバー:曹平・[[高旗]]・[[曹鈞]]など | *[[北京化工学院/1987年5月|1987年5月 北京市 北京化工学院地下礼堂 PARTY]] メンバー:曹平・[[高旗]]・[[曹鈞]]など | ||
*[[V-One Club/2000年3月28日|2000年3月28日 北京市 V-One Club]] クレジット:曹平+[[曹鈞]]+[[厳剛]]+[[高旗]] | *[[V-One Club/2000年3月28日|2000年3月28日 北京市 V-One Club]] クレジット:曹平+[[曹鈞]]+[[厳剛]]+[[高旗]] | ||
181行目: | 182行目: | ||
[[Category:ドラマー]] | [[Category:ドラマー]] | ||
[[Category:音楽学校講師]] | [[Category:音楽学校講師]] | ||
+ | [[Category:プロダクション経営者]] |
2024年5月2日 (木) 15:46時点における最新版
曹平 | |
---|---|
1990年代前半の写真だと思われる。 | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 曹平 |
中国語名(繁体字) | 曹平 |
拼音 | Cao Ping |
発音転記 | ツァオ ピン |
出生日 | 1961年3月22日 |
出身地 | 北京市 |
担当楽器 | ギター・ベース・ドラム |
職業 | 音楽学校講師・プロダクション経営者 |
メンバー |
曹平 高旗 曹均 |
曹平(ツァオ ピン、Cao Ping、1961年3月22日 -)は、北京市で活動しているギタリスト。「ロック伝教士」の異名を持つ、中国で本当のロックを初めて演奏したギタリストである。
メンバー
過去に在籍したメンバー
- 蔡深文 ドラム(1986年)
経歴
北京市で生まれたが、3歳の時に広東省広州市に移る。1974年からギターを勉強し、1975年には、広州市で有名なギタリスト・容氏兄弟にギターを教えてもらう。のち、弟の曹均までがギターを好きになったので、曹平は彼にギターを教えるようになる。1979年、人民解放軍に入隊する。
1980年には、陳志の教材でギターを勉強し、技術が格段にアップした。やがて曹鈞が香港の六線譜を入手した。以後、カセットを聴きながら英語の曲を練習し始める。当時先生の家で、The Beatlesの曲を聴いていた。またファンクを好んで聴くようになる。
1982年、復員と共に北京市に戻る。1983年、イギリスの友達が持ってきたアーティストやロックに関する本を翻訳した。
1985年夏には、奥琪吉它大奨賽に兄弟で出場する。そこで、高旗と知り合いになる。同年末には、七合板楽隊と交流を結ぶようになる。
1985年から1986年にかけて、高旗と行動を共にするようになる。1986年には、曹平・高旗・曹均・蔡深文でバンドを結成したが、バンド名は無かった。
1987年5月には、北京化工学院で行なわれたPARTYに参加した。このライブ以後、高旗とともに本格的なバンド結成を考え、夏から中央美術学院に行ってMayfly楽隊を結成して、練習を開始した。しかし高旗との音楽的な方向性の違いが明らかとなり、同年末には解散となった。また同年秋には、Da Da Da楽隊を結成したが、1年あまりで解散となった。
1988年には、時効楽隊を結成したが、翌年解散となった。当時、彼の住んでいた西三旗賓館では、多くのロッカー達が練習や情報交換のためにやってきていて、ここに同居したことのあるロッカーは20人以上もいた。
その後、鬱病のような状態になってしまい、積極的な活動はしなくなっていった。
1993年、北京迷笛音楽学校の創立時の講師となり、多くの海外教材を翻訳した。
1996年、北京現代音楽研修学院を創立する。
1998年には赤龍楽隊を結成した。
1999年、曹平知音教室を設立した。同年、Mitabe楽隊でドラムを担当した。
評判
国内外のロックに詳しく、またギターも得意であったため、多くのロッカーが彼の周りに集まってきた。中国ロック界で第一世代と呼ばれる人物から現在に到るまで、多くの人物が彼から音楽や楽器について教わっていた。中国ロック界の裏方として、中国ロックの発展に大きく貢献した人物である。
ディスコグラフィー
音楽教材
参加アルバム
アーティスト・バンド名 | 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
呼吸楽隊 | 爱的光芒 | 呼吸 | 1990/7 | 作曲(高旗と) | |
呼吸楽隊 | 爱的光芒 | 中国大揺滾 - 献給国際減災十年 | 1993/1/8 | 作曲(高旗と) | |
呼吸楽隊 | 爱的光芒 | 揺滾衝撃波1 | 1994 | 作曲(高旗と) | |
呼吸楽隊 | 爱的光芒 | 中国揺滾経典 | 1995 | 作曲(高旗と) |
出演
媒体 | 曲名 | 収録ソフト名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
VCD | 曹平教你弹弗拉门戈吉他(上) | G2 吉他平方2004第10期 | 2004/10 | フラメンコギター教学 |
主要なライブ・コンサート
- 1985年夏 北京市 奥琪吉它大奨賽 兄弟で出場
- 1987年5月 北京市 北京化工学院地下礼堂 PARTY メンバー:曹平・高旗・曹鈞など
- 2000年3月28日 北京市 V-One Club クレジット:曹平+曹鈞+厳剛+高旗
外部リンク
- UTF-8