「冥界楽隊」の版間の差分

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2011年8月29日 (月) 14:11時点における版

冥界楽隊
Mingjie 11.jpg
基本情報
中国語名(簡体字) 冥界
中国語名(繁体字) 冥界
拼音 Mingjie
発音転記 ミンジエ
出身地 北京市
ジャンル デスメタル
活動期間 1993年 -
メンバー



ファイル:11.jpg
(写真:)

冥界楽隊(ミンジエ、Mingjie)は、北京市で活動しているバンド。中国初のデスメタルバンドで、一度バンドは解散したが、新たなメンバーで再活動を行なっており、中国メタル界ではカリスマ的人気がある。

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

経歴

中国を代表するデスメタルバンド。  1993年6月に冥界楽隊の前身である、死亡鐘楽隊が北京にて成立した。1994年5月に、死亡鐘楽隊がメンバーを変更して名称を冥界楽隊と変更した。この時のメンバーは、王強(Vo&B)・周鴻飛(リズムG)。間もなくして、オムニバス『中国原創揺滾壹』のために、「錯乱」をレコーディングしたが、レコード会社から半ば強制的に「愛的瘋狂」とタイトルを変更させられた。

 王強と周鴻飛は、新しいメンバーを探し始める。その間に、郭智勇(G)・陸勳(Dr)が練習に参加する。Metallicaを目指して活動していたが、郭智勇がデスメタル好きであったため、その影響を受けてデスメタルスタイルとなっていった。同時期に活動していた戰斧楽隊と同じスタイルでは特色がないため、音楽性において一層の区別を付けるために音が重くなっていったという事もある。


左から:扈晶波・陸勳・周鴻飛・王強 (写真:MORT PRODUCTIONS)


 のち、郭智勇は脱退、新たに扈晶波(リードG)が加入し、メンバーが王強(Vo&B)・周鴻飛(リズムG)・扈晶波(リードG)・陸勳(Dr)となる。そして、オムニバスのためにレコーディングを行う。

 1995年1月1日、馬克西姆餐庁でライブを行った。

 1996・1997年頃、陸勳が脱退し、元・天堂楽隊の王勇(Dr)が加入する。また、扈晶波の後任として譚衛華(向日葵的低語楽隊)(G)が加入うしたが、すぐに脱退してしまった。1997年から1998年にかけては小哲(Key)も加入する。また1997年には、王勇の紹介で、劉一緯(G)が加入した。1998年には、扈晶波が脱退する。そしてメンバーは王強(Vo&B)・周鴻飛(リズムG)・劉一緯(リードG)・王勇(Dr)となる。

 劉一緯の加入により、作曲・編曲は劉一緯が、作詞は王勇が担当することとなり、音楽的変化が生じた。その理由は、生活スタイルの変化にもよる。以前は長髪で反逆性に満ちていたが、のち、これは外見でしか過ぎないと悟り、自分達の音楽を追及しようとした結果、デスメタルが中心ではあるが、ノイズやハードコアなど多くのスタイルを取り入れた。

(写真:MORT PRODUCTIONS)

 過去に、多くのアルバムに曲を発表し、1997年以降、北京以外では保定・鄭州・通県でライブを行った事がある。しかし、ライブを行ってもほとんど収入がない状態だったため、1998年はたった4回ライブを行っただけであった。神秘性を保ち続けたいという理由もあった。  1998年末、王強が更なる発展のために、ドイツへ行くこととなる。そのため、彼が行ってしまうまでに、アルバムレコーディングを行った。この頃、王強の歌い方はラップ化していて、デスメタルを続けたい周鴻飛と考え方にズレが出てきており、周鴻飛はレコーディングに参加しなかった。

 超載楽隊の高旗は、「彼らは、中国でもっとも優れたバンドのひとつだ」と語っている。その理由として、デスメタルを演奏することは時代と逆行することで、決して売れる音楽ではないのに、理想の音楽を追求してスタイルを変更していないことだと述べている。ただ音楽性のため、アルバムレコーディングが終了した後も、発売してくれるレコード会社が見つからなかった。


『中国原創揺滾壹』の歌詞カードより


 アルバムレコーディング以降、活動休止となり、2000年には正式に解散となった。

 解散となっても、冥界楽隊を慕うものは数多く、2001年11月には、オムニバス『衆神的復活』に「悪夢在継続」が収録されたり、2002年1月発売のメタル雑誌『重型音楽4』では、冥界楽隊の特集が組まれた。

 2002年5月、過去の作品を1つに集めたアルバム『冥界』がMort Productionsから発売となった。5月18日には、豪運酒[ロ巴]でアルバム発表ライブが行われ、周鴻飛(G)と陳曦(G)、田奎(内部腐爛楽隊)(Vo)や勾踐(B)、陳小歐(殺戮楽隊)(Dr)が共同で、冥界楽隊の曲を演奏した。

『紅星3号』の歌詞カードより

 この日はアルバム発表記念で、1日だけ再結成されたが、その後、冥界楽隊は同メンバーで活動を再開した。周鴻飛の心を再結成に動かしたものは、メタルファンの根強い支持と熱望である。冥界楽隊は、中国メタルファンの間では、伝説化しているバンドであった。すでに元メンバーはデスメタルを演奏せず、別な音楽に興味が移っており、冥界楽隊は過去のものとなっている。周鴻飛も他のメタル関係のミュージシャンとは異なり、髪の毛が短く、普通の若者と同じような格好で、とてもメタルを演奏しているようには見えない。しかし、この日のライブは、多くのメタルファンと媒体から大きな注目を浴びた。これほど大きな反響になるとは、周鴻飛も思っていなかったに違いない。それほど、冥界楽隊は大きな存在となっていたのである。  7月27日、豪運酒[ロ巴]で行われた『重型音楽5』発売記念ライブに参加した。9月8日、重慶の重慶珊瑚公園でライブを行った。9月21日、豪運酒[ロ巴]で行われた『重型音楽』雑誌創刊2周年ライブに参加した。10月5日、天津の大営盤酒城でライブを行った。11月30日、上海の音楽倉でライブを行った。その後、ライブ活動を数ヶ月間休止する。


2002年11月30日、音楽倉でのライブより 左から:田奎(Vo)・勾踐(B)・陳曦(G)・陳小歐(Dr)・周鴻飛(G) (撮影:YIREN)


 2003年3月15日、豪運酒[ロ巴]で行われた施教日楽隊のアルバム『天湖』発売及びオムニバス『衆神復活Ⅱ』発売記念ライブに参加した。3月30日、豪運酒[ロ巴]で行われた“北京重金属勢力音楽節”に参加した。7月12日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。9月28日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。

 2004年初、陳小歐が海外留学のためにバンドを脱退した。6月、孫克(Dr)が加入し、活動を再開した。7月10日、無名高地酒[ロ巴]で行われた『血流中国』巡演に参加した。8月14日、鄭州の珠江演義庁で行われた『血流中国』巡演に参加した。8月15日、西安の金碧輝煌KTV歌城一楼大庁で行われた『血流中国』巡演に参加した。9月25日、唐山のPlayer Clubで行われた『血流中国』巡演に参加した。この時、聶兵(Dr)がサポートを務めた。10月17日、哈爾濱の哈爾濱話劇院で行われた“哈爾濱新音楽芸術節”に参加した。12月11日、上海のfusion酒[ロ巴]で行われた『血流中国』巡演に参加した。12月、オムニバス『血流中国』に曲が収録された。12月17日、新雲夢酒[ロ巴]でライブを行った。12月31日、13CLUBでライブを行った。この時、周鴻飛はライブに参加しなかった。

 2005年1月22日、13CLUBでライブを行った。

2006年の写真 (写真:音楽基地、中国地下音楽網)  1月29日、天津の阿里.李搏撃酒[ロ巴]で行われた“《血流中国》全体楽隊向DIME致敬(DIMEBAG DARRELL追悼)”ライブに参加した。3月26日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。5月2日、無名高地酒[ロ巴]で行われた『衆神復活3』発表会に参加した。同年、何岩(Dr)が参加した。  2006年1月14日、13CLUBでライブを行った。3月、元メンバーの陳小歐(Dr)が外国から戻ってきて、バンドに復帰した。そしてメンバーは、田奎(Vo)・陳曦(G)・張亮(元・内部腐爛楽隊)(G)・勾踐(B)・陳小歐(Dr)となった。4月14日、13CLUBでライブを行った。5月2日、北京海淀公園で行われた迷笛音楽節吉他中国舞台に参加した。5月27日、13CLUBでライブを行った。6月25日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。7月8日、13CLUBでライブを行った。8月13日、星光現場音楽庁でライブを行った。9月9日、上海の育音堂でライブを行った。9月15日、星光現場音楽庁でライブを行った。9月24日、星光現場音楽庁で行われた“Zippo Hot Tour--火熱之旅2006 中国原創動力秀”コンテスト北京賽区に出演した。10月1日、13CLUBで行われた“首届HZ 13金属音楽節”に参加した。10月5日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。10月27日、天津のU-CLUB上遊開場で行われた“群英会・2006天津原創音楽季”に参加した。10月31日、豪運酒[ロ巴]で行われた“06鬼節十年大型揺滾狂歓夜”ライブに参加した。11月3日、13CLUBでライブを行った。11月、張亮が脱退し、毛亮(弑主楽隊)(G)が加入した。11月10日、星光現場音楽庁でライブを行った。11月25日、上海の哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。12月8日、13CLUBで行われた“永生的地獄牛仔 - 向已故PANTERA吉他手金属戦士DIME致敬演唱会”に参加した。12月30日、大連の和平展館で行われた“和平広場新年揺滾音楽会”に参加した。12月31日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。


2007年の写真 (写真:MORT RECORDS)

   2007年3月、陳小歐が脱退し、ドイツのバンド・Jester's funeralの博天(Bastian)(独国人)(Dr)が加入した。3月29日、MAOでライブを行った。3月30日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。5月1日、13CLUBでライブを行った。5月2日、星光現場音楽庁で行われた迷笛音楽節後舞台に参加した。5月4日、北京海淀公園で行われた迷笛音楽節Gibson Guitar舞台に参加した。5月19日、13CLUBでライブを行った。6月8日、広州のBUNKER[ロ巴]でライブを行った。6月15日、寧波の1982酒[ロ巴]でライブを行った。6月16日、杭州の暗火酒[ロ巴]でライブを行った。7月27日、星光現場音楽庁で行われた“TRIBUTE TO TESTAMENT”ライブに参加した。8月4日、13CLUBでライブを行った。8月、博天はバンドを脱退し、王亞楠(Dr)が加入した。そしてメンバーは、田奎(Vo)・陳曦(G)・勾踐(B)・王亞楠(Dr)となった。9月14日、星光現場音楽庁で行われた“重型音楽 創刊七周年盛大慶典”に参加した。9月22日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。10月1日、13CLUBで行われた“拾参金属音楽節2”に参加した。10月4日、北京海淀公園で行われた“摩登天空音楽節”主舞台に参加した。10月5日、MAOで行われた“《来自地獄的牛仔》 - 已故PANTERA吉他手Dimebag Abbott画伝発表会”に参加した。10月26日、13CLUBでライブを行った。12月8日、13CLUBで行われた“TRIBUTE TO DIMEBAG LIVE CONCERT”に参加した。12月、Mort Productionsより1stライブアルバム『暗火覚醒』が発売となった。12月31日、海淀展覧館で行われた“魔菇2008現代音楽節”に参加した。  2008年1月11日、愚公移山で行われたスウェーデンのバンド・Dark Tranquillityのライブの前座を務めた。3月、薛文(G)が加入し、田奎(Vo)・陳曦(G)・薛文(G)・勾踐(B)・王亞楠(Dr)となった。3月14日、13CLUBでライブを行った。3月22日、13CLUBで行われた『衆神復活5』発表会に参加した。また、『衆神復活5』に曲が収録された。3月29日、13CLUBでライブを行った。4月4日、天津の13CLUB天津店でのライブを皮切りに『瞬間燃焼』ツアーを開始し、4月6日、江蘇省徐州の維京酒[ロ巴]で、4月9日、武漢のVOX酒[ロ巴]で、4月11日、杭州の愛爾蘭酒[ロ巴]で、4月12日、上海の現場酒[ロ巴]で、4月13日、寧波の1982酒[ロ巴]で、4月18日、浙江省義烏の隔壁酒[ロ巴]で、4月19日、蘇州の後街酒[ロ巴]で、4月20日、合肥の花童酒[ロ巴]で、4月25日、南京の古堡酒[ロ巴]で、4月26日、上海の育音堂で、4月27日、zi博の銹[ロ巴]でライブを行った。4月30日、天津の13CLUB天津店で行われたデンマークのバンド・RAUNCHYとドイツのバンド・DEBAUCHERYのライブの前座を務めた。5月2日、星光現場音楽庁で2ndアルバム『瞬間燃焼』発表会を開いた。この時、周鴻飛(G)もライブに参加した。5月17・18日、西安の月亮鑰匙酒[ロ巴]でライブを行った。6月21日、勾踐はバンドを脱退した。8月24日、MAOでライブを行った。9月30日、13CLUBで行われた“第三届13金属音楽節”に参加した。10月2日、迷笛音楽学校で行われた迷笛音楽節主舞台に参加した。11月7日、天津の13CLUB天津店で行われた“天津第三届原創音楽季 群英会”に参加した。12月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽82』に曲が収録された。

 2009年1月16日、13CLUBでライブを行った。2月28日、13CLUBでライブを行った。4月5日、愚公移山でライブを行った。4月、15周年記念BOX『SAMSARA』が発売となった。5月1日、星光現場音楽庁で行われた“2009迷笛之夜”に参加した。11月14日、西安の日落之前酒[ロ巴]でライブを行った。11月21日、銀川の額楽金得酒[ロ巴]でライブを行った。12月27日、13CLUBでライブを行った。

 

 


ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

アルバム・ボックス

デモテープ

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
爱的疯狂中国原創揺滾壹1995本来の曲名は「错乱」であったが、変更させられ、歌詞も修正させられた
爱的疯狂揺滾之旅壹1996中国原創揺滾壹』と同じ
窒息非常揺滾壹1996
燃烧揺滾工廠1996
犯戒紅星3号1996
恶梦在继续揺滾北京III1997京劇「紅灯記」の台詞をデスメタルの中に取り入れている
恶梦在继续衆神復活2001/11/24
恶梦在继续2007摩登天空音楽節2008/9▼DVD
海市蜃楼血流中国2004/12
钻石与锈铁衆神復活52008/3/22
(曲名不明)拾参金属音楽節22008/9/28▼DVD▽2007年10月1日、「拾参金属音楽節2」でのライブ
夜魔之路我愛揺滾楽822008/12

主要なライブ・コンサート

中国を代表するデスメタルバンド。  1993年6月に冥界楽隊の前身である、死亡鐘楽隊が北京にて成立した。1994年5月に、死亡鐘楽隊がメンバーを変更して名称を冥界楽隊と変更した。この時のメンバーは、王強(Vo&B)・周鴻飛(リズムG)。間もなくして、オムニバス『中国原創揺滾壹』のために、「錯乱」をレコーディングしたが、レコード会社から半ば強制的に「愛的瘋狂」とタイトルを変更させられた。

 王強と周鴻飛は、新しいメンバーを探し始める。その間に、郭智勇(G)・陸勳(Dr)が練習に参加する。Metallicaを目指して活動していたが、郭智勇がデスメタル好きであったため、その影響を受けてデスメタルスタイルとなっていった。同時期に活動していた戰斧楽隊と同じスタイルでは特色がないため、音楽性において一層の区別を付けるために音が重くなっていったという事もある。


左から:扈晶波・陸勳・周鴻飛・王強 (写真:MORT PRODUCTIONS)


 のち、郭智勇は脱退、新たに扈晶波(リードG)が加入し、メンバーが王強(Vo&B)・周鴻飛(リズムG)・扈晶波(リードG)・陸勳(Dr)となる。そして、オムニバスのためにレコーディングを行う。

 1995年1月1日、馬克西姆餐庁でライブを行った。

 1996・1997年頃、陸勳が脱退し、元・天堂楽隊の王勇(Dr)が加入する。また、扈晶波の後任として譚衛華(向日葵的低語楽隊)(G)が加入うしたが、すぐに脱退してしまった。1997年から1998年にかけては小哲(Key)も加入する。また1997年には、王勇の紹介で、劉一緯(G)が加入した。1998年には、扈晶波が脱退する。そしてメンバーは王強(Vo&B)・周鴻飛(リズムG)・劉一緯(リードG)・王勇(Dr)となる。

 劉一緯の加入により、作曲・編曲は劉一緯が、作詞は王勇が担当することとなり、音楽的変化が生じた。その理由は、生活スタイルの変化にもよる。以前は長髪で反逆性に満ちていたが、のち、これは外見でしか過ぎないと悟り、自分達の音楽を追及しようとした結果、デスメタルが中心ではあるが、ノイズやハードコアなど多くのスタイルを取り入れた。

(写真:MORT PRODUCTIONS)

 過去に、多くのアルバムに曲を発表し、1997年以降、北京以外では保定・鄭州・通県でライブを行った事がある。しかし、ライブを行ってもほとんど収入がない状態だったため、1998年はたった4回ライブを行っただけであった。神秘性を保ち続けたいという理由もあった。  1998年末、王強が更なる発展のために、ドイツへ行くこととなる。そのため、彼が行ってしまうまでに、アルバムレコーディングを行った。この頃、王強の歌い方はラップ化していて、デスメタルを続けたい周鴻飛と考え方にズレが出てきており、周鴻飛はレコーディングに参加しなかった。

 超載楽隊の高旗は、「彼らは、中国でもっとも優れたバンドのひとつだ」と語っている。その理由として、デスメタルを演奏することは時代と逆行することで、決して売れる音楽ではないのに、理想の音楽を追求してスタイルを変更していないことだと述べている。ただ音楽性のため、アルバムレコーディングが終了した後も、発売してくれるレコード会社が見つからなかった。


『中国原創揺滾壹』の歌詞カードより


 アルバムレコーディング以降、活動休止となり、2000年には正式に解散となった。

 解散となっても、冥界楽隊を慕うものは数多く、2001年11月には、オムニバス『衆神的復活』に「悪夢在継続」が収録されたり、2002年1月発売のメタル雑誌『重型音楽4』では、冥界楽隊の特集が組まれた。

 2002年5月、過去の作品を1つに集めたアルバム『冥界』がMort Productionsから発売となった。5月18日には、豪運酒[ロ巴]でアルバム発表ライブが行われ、周鴻飛(G)と陳曦(G)、田奎(内部腐爛楽隊)(Vo)や勾踐(B)、陳小歐(殺戮楽隊)(Dr)が共同で、冥界楽隊の曲を演奏した。

『紅星3号』の歌詞カードより

 この日はアルバム発表記念で、1日だけ再結成されたが、その後、冥界楽隊は同メンバーで活動を再開した。周鴻飛の心を再結成に動かしたものは、メタルファンの根強い支持と熱望である。冥界楽隊は、中国メタルファンの間では、伝説化しているバンドであった。すでに元メンバーはデスメタルを演奏せず、別な音楽に興味が移っており、冥界楽隊は過去のものとなっている。周鴻飛も他のメタル関係のミュージシャンとは異なり、髪の毛が短く、普通の若者と同じような格好で、とてもメタルを演奏しているようには見えない。しかし、この日のライブは、多くのメタルファンと媒体から大きな注目を浴びた。これほど大きな反響になるとは、周鴻飛も思っていなかったに違いない。それほど、冥界楽隊は大きな存在となっていたのである。  7月27日、豪運酒[ロ巴]で行われた『重型音楽5』発売記念ライブに参加した。9月8日、重慶の重慶珊瑚公園でライブを行った。9月21日、豪運酒[ロ巴]で行われた『重型音楽』雑誌創刊2周年ライブに参加した。10月5日、天津の大営盤酒城でライブを行った。11月30日、上海の音楽倉でライブを行った。その後、ライブ活動を数ヶ月間休止する。


2002年11月30日、音楽倉でのライブより 左から:田奎(Vo)・勾踐(B)・陳曦(G)・陳小歐(Dr)・周鴻飛(G) (撮影:YIREN)


 2003年3月15日、豪運酒[ロ巴]で行われた施教日楽隊のアルバム『天湖』発売及びオムニバス『衆神復活Ⅱ』発売記念ライブに参加した。3月30日、豪運酒[ロ巴]で行われた“北京重金属勢力音楽節”に参加した。7月12日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。9月28日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。

 2004年初、陳小歐が海外留学のためにバンドを脱退した。6月、孫克(Dr)が加入し、活動を再開した。7月10日、無名高地酒[ロ巴]で行われた『血流中国』巡演に参加した。8月14日、鄭州の珠江演義庁で行われた『血流中国』巡演に参加した。8月15日、西安の金碧輝煌KTV歌城一楼大庁で行われた『血流中国』巡演に参加した。9月25日、唐山のPlayer Clubで行われた『血流中国』巡演に参加した。この時、聶兵(Dr)がサポートを務めた。10月17日、哈爾濱の哈爾濱話劇院で行われた“哈爾濱新音楽芸術節”に参加した。12月11日、上海のfusion酒[ロ巴]で行われた『血流中国』巡演に参加した。12月、オムニバス『血流中国』に曲が収録された。12月17日、新雲夢酒[ロ巴]でライブを行った。12月31日、13CLUBでライブを行った。この時、周鴻飛はライブに参加しなかった。

 2005年1月22日、13CLUBでライブを行った。

2006年の写真 (写真:音楽基地、中国地下音楽網)  1月29日、天津の阿里.李搏撃酒[ロ巴]で行われた“《血流中国》全体楽隊向DIME致敬(DIMEBAG DARRELL追悼)”ライブに参加した。3月26日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。5月2日、無名高地酒[ロ巴]で行われた『衆神復活3』発表会に参加した。同年、何岩(Dr)が参加した。  2006年1月14日、13CLUBでライブを行った。3月、元メンバーの陳小歐(Dr)が外国から戻ってきて、バンドに復帰した。そしてメンバーは、田奎(Vo)・陳曦(G)・張亮(元・内部腐爛楽隊)(G)・勾踐(B)・陳小歐(Dr)となった。4月14日、13CLUBでライブを行った。5月2日、北京海淀公園で行われた迷笛音楽節吉他中国舞台に参加した。5月27日、13CLUBでライブを行った。6月25日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。7月8日、13CLUBでライブを行った。8月13日、星光現場音楽庁でライブを行った。9月9日、上海の育音堂でライブを行った。9月15日、星光現場音楽庁でライブを行った。9月24日、星光現場音楽庁で行われた“Zippo Hot Tour--火熱之旅2006 中国原創動力秀”コンテスト北京賽区に出演した。10月1日、13CLUBで行われた“首届HZ 13金属音楽節”に参加した。10月5日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。10月27日、天津のU-CLUB上遊開場で行われた“群英会・2006天津原創音楽季”に参加した。10月31日、豪運酒[ロ巴]で行われた“06鬼節十年大型揺滾狂歓夜”ライブに参加した。11月3日、13CLUBでライブを行った。11月、張亮が脱退し、毛亮(弑主楽隊)(G)が加入した。11月10日、星光現場音楽庁でライブを行った。11月25日、上海の哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。12月8日、13CLUBで行われた“永生的地獄牛仔 - 向已故PANTERA吉他手金属戦士DIME致敬演唱会”に参加した。12月30日、大連の和平展館で行われた“和平広場新年揺滾音楽会”に参加した。12月31日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。


2007年の写真 (写真:MORT RECORDS)

   2007年3月、陳小歐が脱退し、ドイツのバンド・Jester's funeralの博天(Bastian)(独国人)(Dr)が加入した。3月29日、MAOでライブを行った。3月30日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。5月1日、13CLUBでライブを行った。5月2日、星光現場音楽庁で行われた迷笛音楽節後舞台に参加した。5月4日、北京海淀公園で行われた迷笛音楽節Gibson Guitar舞台に参加した。5月19日、13CLUBでライブを行った。6月8日、広州のBUNKER[ロ巴]でライブを行った。6月15日、寧波の1982酒[ロ巴]でライブを行った。6月16日、杭州の暗火酒[ロ巴]でライブを行った。7月27日、星光現場音楽庁で行われた“TRIBUTE TO TESTAMENT”ライブに参加した。8月4日、13CLUBでライブを行った。8月、博天はバンドを脱退し、王亞楠(Dr)が加入した。そしてメンバーは、田奎(Vo)・陳曦(G)・勾踐(B)・王亞楠(Dr)となった。9月14日、星光現場音楽庁で行われた“重型音楽 創刊七周年盛大慶典”に参加した。9月22日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。10月1日、13CLUBで行われた“拾参金属音楽節2”に参加した。10月4日、北京海淀公園で行われた“摩登天空音楽節”主舞台に参加した。10月5日、MAOで行われた“《来自地獄的牛仔》 - 已故PANTERA吉他手Dimebag Abbott画伝発表会”に参加した。10月26日、13CLUBでライブを行った。12月8日、13CLUBで行われた“TRIBUTE TO DIMEBAG LIVE CONCERT”に参加した。12月、Mort Productionsより1stライブアルバム『暗火覚醒』が発売となった。12月31日、海淀展覧館で行われた“魔菇2008現代音楽節”に参加した。  2008年1月11日、愚公移山で行われたスウェーデンのバンド・Dark Tranquillityのライブの前座を務めた。3月、薛文(G)が加入し、田奎(Vo)・陳曦(G)・薛文(G)・勾踐(B)・王亞楠(Dr)となった。3月14日、13CLUBでライブを行った。3月22日、13CLUBで行われた『衆神復活5』発表会に参加した。また、『衆神復活5』に曲が収録された。3月29日、13CLUBでライブを行った。4月4日、天津の13CLUB天津店でのライブを皮切りに『瞬間燃焼』ツアーを開始し、4月6日、江蘇省徐州の維京酒[ロ巴]で、4月9日、武漢のVOX酒[ロ巴]で、4月11日、杭州の愛爾蘭酒[ロ巴]で、4月12日、上海の現場酒[ロ巴]で、4月13日、寧波の1982酒[ロ巴]で、4月18日、浙江省義烏の隔壁酒[ロ巴]で、4月19日、蘇州の後街酒[ロ巴]で、4月20日、合肥の花童酒[ロ巴]で、4月25日、南京の古堡酒[ロ巴]で、4月26日、上海の育音堂で、4月27日、zi博の銹[ロ巴]でライブを行った。4月30日、天津の13CLUB天津店で行われたデンマークのバンド・RAUNCHYとドイツのバンド・DEBAUCHERYのライブの前座を務めた。5月2日、星光現場音楽庁で2ndアルバム『瞬間燃焼』発表会を開いた。この時、周鴻飛(G)もライブに参加した。5月17・18日、西安の月亮鑰匙酒[ロ巴]でライブを行った。6月21日、勾踐はバンドを脱退した。8月24日、MAOでライブを行った。9月30日、13CLUBで行われた“第三届13金属音楽節”に参加した。10月2日、迷笛音楽学校で行われた迷笛音楽節主舞台に参加した。11月7日、天津の13CLUB天津店で行われた“天津第三届原創音楽季 群英会”に参加した。12月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽82』に曲が収録された。

 2009年1月16日、13CLUBでライブを行った。2月28日、13CLUBでライブを行った。4月5日、愚公移山でライブを行った。4月、15周年記念BOX『SAMSARA』が発売となった。5月1日、星光現場音楽庁で行われた“2009迷笛之夜”に参加した。11月14日、西安の日落之前酒[ロ巴]でライブを行った。11月21日、銀川の額楽金得酒[ロ巴]でライブを行った。12月27日、13CLUBでライブを行った。

 

 



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